情熱的に口づけられて、貪るように抱かれて、ときに「こういう気持ちになるのは君だけだ」などと歯の浮くような言葉を囁かれて溺れそうになりながら、ときに羽多野の過去は針のように栄を苛む。
口の上手い男の言うことをどこまで信用していいのか。他に男も女も抱いたことがあって、結婚すらしていた羽多野は他の相手をどんな風に扱っていたのだろう。栄を抱くときと同じようなセックスをしていたのか、それともまったく違っていたのか。
想像したくないし見たくもない、知りたくない。なのに考えてしまう――こんな懊悩、羽多野みたいな薄情な男にはきっと理解できないのだとばかり思っていた。
でも、もしかしたらそれは勘違いだったのかもしれない。
「冗談だとばかり……っ」
栄は声を絞り出す。
「冗談?」
「あなたが、俺と尚人の行為を知りたいとか、そういうの全部」
「どうしてそう思ったんだ?」
返事をためらうと、羽多野は先を促すようにまた股間のおもちゃを動かす。栄は甘い息をこぼしながら言葉を探した。
「だって……羽多野さんはいつもからかうばかりで……俺の過去なんて」
言いたいことはたくさんあるが、この状況では思考がまとまらない。でも、混乱しているくらいでちょうどいいのかもしれない。だって普段の自分ならば口が裂けたってこんな情けないこと言えないだろうから。
羽多野はお仕置きだと言っていた。さっきまでは意地の悪い笑顔も浮かべていた。でも今、遠回しながらも羽多野の真意――彼の中に潜む嫉妬を確かめようとする栄を見つめる瞳には情熱と愛おしさが満ちているようにも感じられた。
「そりゃあ、尚人くんとのあれこれがなければ、君とこうなることはなかっただろうから。嫉妬なんかしたら、ばちがあたる」
そこから声は、低く甘いささやきに変わる。
「でも、もう終わったことだ。もしも彼が返してくれって言ったところで、俺は君を手放す気はない。もちろん他にどれほど谷口くんの好みの可愛い男が現れたって」
馬鹿なことを言うな、と思う。尚人が再び栄を恋愛や欲望の対象として求めることなどあり得ない。そして、それは栄にとっても同じだ。少なくとも今のところは、栄はこの厄介な男以外を相手にするつもりなどないのだから。
「だったら、あなたも……っ」
答える声は震えて、栄はもうこれ以上こらえきれないとばかりにゆっくりと腰を前に動かす。再びゼリー状のオナホールにペニスが埋まっていく快楽。理性を手放すついでに栄は、ここのところずっと羽多野に告げたかったことをとうとう口にした。
「二度と女を抱こうなんて、考えないでください」
頬を撫でる指。「わかってるよ」という言葉は耳を通り抜けて、消える。
一度欲望を埋めてしまえば、抑制はきかない。栄は羽多野に見られていることを意識せずにすむように硬く目を閉じて、腰を前後に動かしはじめた。彼がこれを心から望んでいるならば、恥ずかしさを堪えて〈与えてやらないわけでもない〉。
「あ……っ、あ……」
羽多野が手で固定した筒に腰を振ってペニスを出し入れする動きは、我ながらぎこちない。
行為の途中で性器を刺激するのは当たり前のことだ。羽多野は栄のそれを口にすることに躊躇しない男だし、手でも愛撫してくれる。だが、こんな風に挿入の擬似的な動きをするのはあまりに久しぶりだった。
「いいな、君のこういう姿は新鮮だ」
「……っ」
呼びかけられれば、羽多野が自分を凝視しているのだということを意識しないわけにはいかず、全身の温度が上昇する。
羽多野は「栄がリードするときのセックスを見てみたい」と言った。確かに栄はこういう体勢で、こういう風にセックスをしたことがあったかもしれない。でもこうして羽多野に見つめられる中では、誰かを思い出すことも誰かを思い浮かべることもない。リードするどころか、玩具相手に腰を振りながら栄はなぜか自分が羽多野に抱かれているような錯覚をしていた。
「ほら見ろよ、やっぱり透明なのを買って正解だった」
浮かれたような言葉にうっすらと目を開けると、筒の中をいやらしい音を立てて動く自分のペニスが見える。普通のオナホールだったら隠れてしまうところ、筒もゼリー状の中身も透明なので透けてしまう。
「手でこすってるときも、口でしても、こんなに丸見えになることはないからな。きれいだ、あんな下品な模型なんかより君ののほうがよっぽどきれいで色っぽい」
こんな品性のかけらもない行為、なにが「きれい」だ。黙れと言いたいのに、なぜだか言葉が口から出てこない。それどころか羽多野に性器の状態を実況されて栄の興奮は高まりさえした。
「……あれ、奥の方が少し濁ってきた。もう出したくなったか?」
透明の玩具に透明のローション。そこに白いものが混じるとすれば栄の先走りが濁り始めているということで、つまり射精が近いということだ。栄自身も陰嚢からじわじわと熱いものが上がってくるのを感じていた。
ここまで高まってしまえば、羞恥より興奮が勝るのが男の悲しい性だ。栄は再びぎゅっと目を閉じるとただ上り詰めることだけに集中した――つもりだった。
「どうした?」
しばらく腰を動かし続け、それでも射精しない栄に気づいて羽多野も不思議そうに声をかけてくる。いや、もしかしたら理由を察してわざと知らない振りをしているのかもしれない。
それでも栄はなんとか動こうとした。恥ずかしくて嫌な行為でも、ここに至れば負けず嫌いが顔を出す。つまり、この疑似セックス的な動きで自分が達することができないとは、認めたくないのだ。
自慰で達することはできるのだから、尻も乳首も触られなくたって、羽多野の体温を感じていなくたっていけるはず。なのになぜだか、いくら集中しても腰にはもどかしさが溜まるだけ。
「……ったく、なんで」
気力と体力のぎりぎりまで粘ったが、最終的に栄は悔し紛れのつぶやきとともに膝から崩れ落ちた。
「おい、電池切れか」
膝の上に倒れ込んできた栄を抱き起こしながら、羽多野は少し心配そうだった。栄のペニスにはまだ忌々しいおもちゃが装着されている。体が自由になってしまえばそんなもの目障りなだけなので、栄はそれを引き抜くとシーツの上に放り出した。
心地よい締めつけから解放された瞬間、勃起したままのペニスが大きく震えて先端から色の濃い先走りが少量噴き出すが、やはり本格的な射精には至らなかった。
「あんなんじゃ、無理」
この事態を不愉快なおもちゃのせいにするのは、栄にとってはぎりぎりの矜持だった。自分が上になるセックスや、ペニスだけの刺激では達することが難しいのだとは信じたくない。
「ふうん、けっこう高かったのに、本物の人間には及ばないか」
のんきなことを言う羽多野にむっとして体を起こす、無理な姿勢でいたせいで腕も脚もじんじんとしびれていた。
「比較なんて、そんなナンセンスなことしませんよ」
第一、自分が尚人をどうやって抱いていたかなんてもう思い出せない。まともなセックスなんて別れるずっと前からしていなかった。
その上――。
「あなたが変なことばかりするから、俺までおかしくなる」
そう言ってため息を吐いたところで、羽多野は嬉しそうににやりと笑う。
「良かった。つまり二度とスケベ心は起こせないってことだ」
「はあ? スケベ心? 俺をあなたと一緒にしないでください!」
悔しいが、押し倒す側、挿入する側でのセックスが難しくなっているのはもしかしたら事実なのかもしれない。それは栄のプライドをへし折る現実であり、本来の自分がどんどん曲げられていくような怖さはある。
でも、それでも今は、目の前の男が満足げな顔をしていれば悪くない気がするし――栄の心と体が求めているのまた、かつてとは別ものなのだった。