羽多野×栄の番外「尺には尺を?」のおまけです。
空き瓶を山ほど詰め込んだ袋を両手にぶらさげた羽多野はエレベーターを降りたところで、コンシェルジュの女性に出くわした。彼女の休日は日曜だけだから、土曜は平日と同じように朝から敷地内の掃除に励んでいる。
「あら、おはようタカ。土曜の朝からゴミ捨て? ……瓶ばかり、ずいぶん溜め込んだのね」
この集合住宅には共用のごみ捨て場がある。置いてある分別用のボックスに入れておけば、種別ごとの収集日に合わせて彼女が外のごみステーションまで持っていってくれるのだ。
「その量だとボックスに入りきらないかもしれない。一緒に行くわ」
「すみません、ご面倒を」
よりによって酒瓶ばかり十本以上も持っているところを見られるだなんて、あまり体裁の良いものではない。こうなることを予見した羽多野は毎朝数本ずつ小分けにして廃棄しようと主張したのだが、部屋にゴミを置きっぱなしにするのは嫌だと栄が譲らなかった。
ごみ置き場に着くと、空き瓶用のボックスは六割ほどが埋まっていた。
「これはぎりぎり入りそうね、後で管理人室から追加のボックスを持ってくるわ」
羽多野の手から袋を取り上げコンシェルジュが言う。それが彼女の仕事であることはわかっているが、自分が常識的でない量のごみを持ち出したせいで手間を増やしたと思えば申し訳なかった。
「場所を教えてくれれば俺が行ってきますよ。重いからたいへんでしょう」
「いいのよ仕事だから」
「レディに重いものを持たせるのは趣味じゃないんです」
わざとらしく芝居ぶった言い方をしてみせると彼女は笑う。
「あなた、変わってるわよね。前にもここに日本人が住んでいたことがあるけど、もっとシャイだったわ。悪い人ではなかったけど、面と向かって親切を申し出るのは恥ずかしそうで」
確かに羽多野は一般的な日本人に比べればはっきりとした物言いをする。だが親切な人間かと言われれば決してそういうわけではなく、どちらかといえば打算で生きているタイプだ。このコンシェルジュに対しても約束を破った過去がある。
「クリスマス前に蜘蛛の巣払いを手伝うって約束を破ったから、このくらいはお安い御用ですよ」
「大丈夫よ、あなたのパートナーが代わりにやってくれたから」
「……パートナーでは……」
否定しようとすると彼女は、皆まで言うなとばかりにぽんぽんと羽多野の背中を叩いた。以前も同じことを聞かれて否定したことがあるが、どうやら信じてもらえていないらしい。
勘の良い彼女に嘘を貫く難しさと比較して、羽多野は現実的な方法を申し出ることにした。
「そういう言い方は、彼にはよしてください。気にする方だから」
以前冗談交じりに「コンシェルジュから恋人同士だと誤解されているようだ」と知らせたとき栄は激怒した。あのときと違い羽多野と栄が恋人関係にあることは今や事実なのだが、本当のことを誰彼構わず正直に話すのが常に正しいこととは限らない。
珍しく歯切れの悪い羽多野に、コンシェルジュはうなずいた。
「そうね、彼はあなたよりはずっとシャイに見えるから。それにしてはお酒は好きみたいだけど」
ちょうど彼女の手の中には「山崎二十五年」の空き瓶。未練たらしい男だと思われたくないからあきらめるが、本音では瓶だけでも手元に残したいくらいだ。
「信じないと思うけど、飲んだわけじゃないんだ。ちょっと機嫌を損ねて、俺のコレクションは下水行き。信じられます? 今じゃ六千ポンドはくだらない」
「え? この一本で?」
「彼は飲むのは好きだけど……銘柄にはあまりこだわらないから。多分正確な値段は知らない」
定価でも十二万円。羽多野が議員秘書時代に親しくなった会社社長から手に入れたときはまだ今ほどウイスキーブームが加熱してはいなかったが、それでも三十万円くらいしただろうか。
普段なら酒一本に出す金額ではないが、相手の歓心を買う動機が大きかった。議員や秘書など、栄のような役人相手にいくら偉ぶったところで、支持者相手には芸者のようなものなのだ。
「ウイスキーなんて、スコットランドやアイルランドが最高だと思っていたけどねえ」
ジャパニーズウイスキーの人気を知らない彼女は、不思議そうに空き瓶を眺めた。
「まあ、ともかく良かったじゃないの。今回は追い出されるほどの喧嘩ではなかったみたいで」
「……確かにね」
まずい、勘の良い彼女は羽多野の一時帰国の理由すら察している。悪い人間ではないが、彼女が栄に余計なことを言わないよう今後も注意が必要だろう。
気難しい男のご機嫌を気にする一方で羽多野は、自分たちが赤の他人に察知される程度の空気を醸し出していることに満足した。
「それにしても、六千ポンドを下水に流されたらうちなら離婚よ。惚れ込んでるのね」
「まあ、そうですね。それに、今日のところは金には替えられないいいものをもらったから」
――そう、とっておきの。
* * *
「君、もしかしておしっこしたいの?」
急に切羽詰まった顔でバスルームから出ていってくれと言われ、羽多野が怪しむと栄の顔色が変わった。腹芸が下手なのはわかっているが、それにしたってあからさますぎる。半分は酒のせいで、半分はあまりに余裕がないからだ。
「へ、変なこと言わないでください。あなた、出すもの出してすっきりしたでしょう? もう今日はおしまいです。シャワーを使いたいなら俺の後で」
一緒に浴びたいと言ったら浴びさせてくれるのだろうか。しかし伸ばした腕は冷たく振り払われる。
「そういうのは嫌だって言ったでしょう!」
つれないご主人様を、壁際のシャンプーラックから二匹のゴム製アヒルが眺めていた。衛兵姿の方はダッキー、新たに増えたロンドン警視庁の制服を着た方にはクッキーと名前を付けた。もちろん栄は「くだらない」と一蹴したのだが。
「だったら、谷口くんが嘘をついていない証拠が見たいな」
羽多野は笑いを噛み殺しながら栄を見る。下半身裸のままなので、もじもじと不自然に内股をすり合わせるのも隠せない。彼が尿意を堪えているのは確かだった。
「嘘なんてっ。もう、いいから早く」
焦れたように声を荒げる男の腕を、ぐいと引いた。今夜の作戦があまりにうまくいきすぎて、調子に乗っている自覚はある。だが据え膳はありがたく平らげる主義の羽多野にとって、ここで栄を逃してやる選択肢は存在しなかった。
「だったら、そんなに焦らなくてもいいだろう。こうして便器の前に立っても余裕のはずだよな」
足元をよろめかせる栄を引っ張って、洋式便器の前まで連れていく。これまで風呂とトイレは日本式のセパレートタイプが一番だと思っていたが、まさか同じ室内に便器があることに感謝する日が来ようとは。
「焦ってません。ただ、あなたの下品な遊びに付き合うのが……」
「下品で悪いな。だが、俺は君の困った顔を見るのが好きだ。君が他の誰にも見せたことのない姿を知りたいんだ」
便器の前に立たせて後ろから腰を抱く。いざ排尿の姿勢を取らされて、栄の緊張感が高まるのがわかった。
「……こういうのは、相手が誰かにかかわらず見せるようなものじゃ」
首筋へのキスで、言葉を遮る。
「俺は、見たい」
そう言ってそっと栄の腹を撫でた。胃のあたりを優しく撫でてから、ゆっくり手のひらを下に向けてすべらせると、尿意で勃起したペニスが震えて硬い尻にぐっと力が入るのがわかった。
「見せて、谷口くん。おしっこするところ」
「嫌だ、離して」
切羽詰まった響きに加わるのは懇願。しかし追い詰められた栄には激しい抵抗はもはや難しい。下半身全体にぎゅっと力を入れていないと、少しでも気を緩めれば失禁してしまいそうな感覚には羽多野も覚えがある。
「必死で我慢してる、お尻も、太ももも、腹も、こんなに力を入れて。どれだけ耐えられるかな? それとも尻を中から突いて、押し出して欲しい?」
「やめ……っ」
「そうだな、そっちはもっとゆっくり、ベッドでやるか」
そして羽多野は囁く。大丈夫、君は思ってるよりずっと酔っている。
ついさっき自らの手で完全に剃毛した場所をくるくると撫で回しながら、甘い言葉で栄をセックスとは別の種類の羞恥と快楽に導くように。
「酔っ払ってるから、全部明日の朝には忘れてるかもしれないし、今おしっこを我慢するのももう限界だ。あとひと押しもすれば、俺に見られながら出してしまう」
そして羽多野は、栄の膀胱のあたりをぎゅっと手で押した。
「あ、嫌だ。いや、ああっ」
よっぽど堪えていたのか、ぷしゅっと勢いよく先端から吹き出すと、もう止まらない。さすがに便器の外に小便を飛び散らせるのも哀れなので、羽多野は栄のペニスに手を添えて先端を便器の中に向けてやった。
「……あ、あっ……」
我慢に我慢を重ねた後の排尿がどれほど気持ちいいかは羽多野だって知っている。羞恥に悶え、しかし気持ちよさそうに溜まったものを吐き出す栄の表情は恍惚そのものだ。下手をすれば自分がセックスで与える快感すら負けるのではないか――その感情は羽多野の胸の奥をちりちりと焼いた。
「かわいいが、妬けるな」
「やだ、嫌だ」
羽多野の手に爪を立てて嫌々と首を振りながら、結局栄は腹の中が空になるまで排尿を続けた。やがてその勢いが弱くなり、途切れ、羽多野の手の中ペニスがくたりと力を失うまで。
「……本当に、最低。殺したい」
ここに至って、言葉だけはまだ威勢がいい。悔しそうに唇を噛む栄を腕に、羽多野はほくそ笑む。こんな愛らしくいやらしいものは、自分の頭の中だけにあればいい。今夜のアルコールが悪さをして、栄の記憶を都合よく改変してくれれば最高なのに。
どうやら羽多野自身も、酒と、それだけではない酔いにやられているようだ。とりあえず今夜はこれくらいで、少し眠って続きはまた明日。もちろんこんな生理現象に負けない快楽を与えてやるのが命題だ。
(終)
2020.03.28