「あ、ひき肉買わなきゃいけないんだ。スーパー寄っていい?」
二人で仲良くコンビニデート、といってもクーポンでハーゲンダッツを引き換えるだけなのだが――に行く途中に、思い出したように尚人が言った。
「ひき肉、何に使うの?」
「今夜麻婆豆腐にしようって言ったの未生くんじゃないか。麻婆豆腐の素とお豆腐はあるけど、ひき肉ないんだよね」
そういえば、そうだった。学食で麻婆豆腐定食を食べようと思ったら未生の目の前で売り切れた。そのときからずっと、この週末は絶対麻婆豆腐を食べようと決めていたのだ。
「いいけど、麻婆豆腐の素ってひき肉入ってなかったっけ?」
「気持ち程度だから、肉は足した方がいいよ。絶対あれじゃ未生くんには物足りない」
そんな会話を交わしながらスーパーマーケットに入る。他に特に買う予定のものはないのだが、なんとなく習慣でかごを取ってしまい、そうするとなんとなく売り場を一周してみたくなる。
生果、肉、魚、日配……そしてアイスクリーム売り場で未生はふと足を止める。
「そういえばスーパーだとハーゲンダッツっていくらするんだ?」
実家暮らしをしていた頃は、コンビニエンスストアで値段も見ずに買い物をしていた。アイスクリームだってそう、ハーゲンダッツだろうが「金の」がつくコンビニオリジナルシリーズだろうが気にしない。
だが、借金とバイト代だけで学費と生活費を賄うようになった今では事情が違う。ハーゲンダッツ一個=スーパーカップほぼ三個であることを未生は学んだ。百五十円を超えるアイスは贅沢品。だから無料クーポンで久しぶりにあの濃厚な、正真正銘の〈アイスクリーム〉を手に入れられるのは貴重な機会だ。確かにちょっと貧乏くさいかもしれないが、プライドで腹は満たせない。
「二百八十八円、高っ。スーパーでもこんなにするのかよ」
「ああっ」
ハーゲンダッツの殿様商法に舌打ちする未生の隣で、尚人はついぞ聞いたことのないような驚きの声をあげた。
「どうかした?」
視線を動かすと、尚人はアイスクリームケースの中のある商品に釘付けになっている。スイスかどこかだろうか、雪山のイラストが描かれたパッケージに「ブラックモンブラン」の文字。未生には見覚えのない品だった。
「ブ、ブラックモンブランがある……」
わなわなと、その声はかすかに震えてさえいた。
とてもではないが感動を誘うような貴重な品にも高級な品にも見えない。むしろおしゃれなパッケージのアイスクリームの中ではややチープに見えるくらいだ。例えるならば、ロッテでもグリコでもなく赤城乳業的な。
「尚人、それ好きなの? 俺は初めて見るけど」
そもそも尚人が自分のために甘いものを買うところはほとんど見たことがない。あれば食べるが、なくとも平気というのが彼とスイーツの関係性だとばかり思っていたのだ。
「僕も、東京では初めて見た!」
顔を上げた尚人の目は懐かしさに輝いていた。
「子どもの頃はブラックモンブラン大好きで、アイス買ってもらうときはいつもあれだったんだ。食べるのが下手だからチョコクランチぼろぼろ落として、服やテーブル汚して叱られたりしてさ」
尚人の持つビニール袋には豚ひき肉がひとパック。未生の持つビニール袋にはハーゲンダッツがふたつ。
スーパーマーケットからコンビニエンスストアに行き、目的を果たして帰る途中も尚人は饒舌に、ブラックモンブランなるアイスについて語り続けた。
どうやらそれは、尚人が生まれ育った九州では知らぬ者はいないほど有名な商品であるらしい。甘いもの好きではない尚人も少年時代は親しんだ味――しかし上京して以来めっきり食べる機会がなくなったので、久しぶりに見かけて興奮しているのだ。
「そんな好きなら、買えば良かったのに」
アイスひとつに舞い上がっている尚人が珍しくて可愛くて、未生は笑いを堪えながら言った。さっきスーパーマーケットでアイスケースを凝視しているときも同じことを言ったのに、尚人は断ったのだ。
「だって今日はハーゲンダッツがあるから」
「買っといて、あっちは明日にでも食えばいいじゃん」
「でも……いいよ。好きって言っても子どもの頃の話だし、記憶の中で美化してるのかもしれない」
何を遠慮しているのかわからないが、尚人はたまにこういう他人には理解できない類の躊躇を見せることがある。きっと頭のいい人間は未生の考えの及ばないようなことで迷ったり悩んだりするのだろう。例えば、一緒にハーゲンダッツを食べることを楽しみにしていた未生の前で別のアイスを買うなど申し訳ないとか。
だから未生は、わからないなりにできることをする。それはつまり、無責任に尚人の背中を押してやることだ。だって尚人の本心はあれを買いたいし、食べたいと思っているのだから。
「いいじゃん、俺も尚人の懐かしのアイスがどういうのか見てみたいし。そうだ、半分こしようぜ。だったら夕飯にも響かないだろ」
半分どころかアイスのふたつやみっつ食べたところで未生の胃は夕食も、デザートのハーゲンダッツも軽く平らげてしまえる。甘党ではない尚人だって棒アイスの半分くらいなら平気だろう。
「うん。じゃあ」
しばらく迷うそぶりを見せたが、二人は結局スーパーマーケットに戻ってブラックモンブランを一本だけ買った。
「さてと、尚人がガキの頃食ってたってアイスはどんな味かな」
「あ、未生くん。歩きながらは……」
店を出るなり路上で袋を開ける未生に、行儀が悪いと説教をしかかった尚人だが、懐かしのアイスの魅力には抗えなかったようだ。クランチチョコで覆われたアイスバーを渡されると子どものように目を輝かせた。
尚人が一口かじると、チョコクランチのコーティングが崩れてぱらぱらと何かけか地面に落ちる。
「どう?」
感想など聞かなくたってわかる。尚人は満足げな顔で未生にアイスを差し出してくる。
「美味しい。でもどうだろ、思い出補正もあるかもだから、未生くん気に入るかな」
言葉にかすかな不安をにじませる尚人を横目に、未生は大きく口を開けた。
「あ、うまい」
思わず口に出た言葉は本心だ。サクサクとしたクランチチョコに、パリパリのチョコレート。コーティングがしっかり甘い分、中のアイスはややあっさりとしていてバランスがいい。プレミアムアイスのような濃厚さはないが、まさしく日常的に食べたくなるような素朴な美味しさだ。
「本当? 良かった!」
別にブラックモンブランの開発者でも営業マンでもないのに、尚人は心底ほっとしたように息を吐いた。
未生は数口続けて食べ進め、心持ち半分より多く残った状態でアイスバーを尚人に戻す。
「はい、半分食ったからあとは尚人」
「いいの? もっと食べていいよ」
「せっかく東京で見つけたんだから、尚人こそちゃんと味わえよ」
「だったらお言葉に甘えて」
尚人はアイスの続きを頬張る。
尚人が好きなものを新しく知ることができた未生は嬉しい。そしてきっと、子どもの頃から好きだったものを未生に受け入れてもらえた尚人も同じくらい嬉しい気持ちでいるのだろう。
「あ」
尚人がアイスをすべて食べ終わると、木の棒だけが手の中に残る。ただのごみにしか見えないそれを凝視して、手にした空袋と見比べてから尚人は破顔した。
「見て、未生くん。当たり、110点!」
「え? 当たり?」
目の前に差し出された木の棒には、スロットゲームのように同じ絵柄が三つ並んでいる。空袋を受け取って説明を見ると、今どき珍しいことに、ブラックモンブランは当たり付きアイスであるらしい。同じ絵柄が三つ揃うと、同じ商品ひとつと交換してもらえると書いてあった。
「へえ~、当たり付きね」
とはいえ、三百円オーバーのハーゲンダッツ無料のクーポンを見た後では、百十円のアイスクリーム一本無料は霞んで見える――のはどうやら未生だけだったらしい。
尚人は感激しきりといったようすで、当たりバーをアイスの空袋にしまって、大事に握りしめた。
「僕、アイスの当たりって初めてだよ。運が悪いのかこういうの全然縁がなくて、兄が当たり出したときは羨ましかったなあ……」
どうやら時を超えて少年時代の夢を叶えた尚人にとってはハーゲンダッツ無料クーポンよりも当たりで引き換えるブラックモンブラン一本の方がはるかに価値があるようだ。
未生にとってもまあ悪くない話だ。ハーゲンダッツをしょっちゅう買ってやるのは難しいが、ブラックモンブランなら未生の財力でも手が届く。それに――。
「じゃあ、来週もブラックモンブランだな」
「来週も?」
不思議そうに聞き返す尚人に、未生はからかうように言った。
「だって尚人、コンビニでクーポン出すのも恥ずかしいんだろ? 自分で当たりバー引き換えに持っていける?」
「失礼だな。それくらい、やる気になれば僕だって……」
揶揄された尚人は拗ねたように言い返すが、思い直したように首を振る。
「いや、いいや、引き換えは。東京で初めて見つけたブラックモンブランを未生くんと食べて、初めて当たりが出たから。これは記念に取っておく」
――こういうことを、何の計算もなしに言うから、敵わない。
未生は尚人の腕を掴むと、早足で歩き出す。
「未生くん?」
「急いで帰らなきゃ、ハーゲンダッツが溶ける」
もちろんそれは嘘だ。
少しでも、一分一秒でも早く家に帰って、尚人を抱きしめたい。そのままキスしたらきっと、チョコレートとアイスの甘い甘い味がすることだろう。
(終)
2021.04.27