羽多野が足を怪我した話 (17)

 濡れた音。荒い息。触れた場所から伝わってくる熱。

 信じられないことだが、人並み外れたプライドと羞恥心を持ち合わせた栄が今、自ら彼の体に羽多野の欲望をあてがい、招き入れようとしている――。

 やっぱりこれは、夢だろうか。

 視界をさえぎられたままの羽多野は、ぼんやりとそんなことを思う。さっき栄に頼んで頬をつねってもらったが、目を覚ますには刺激が弱すぎたのかもしれない。やっぱり引っぱたいてもらうべきだった。

 骨折して帰ってきたときの羽多野の態度が気に食わないからといって終始不満をあらわにしていた栄。もともとセックスに対しては受動的というか抑圧が強く、羽多野が強く求めることでようやく内部にある欲求をあらわにすることができるタイプだから、完治するまでセックスなどありえないとあきらめてもいた。

 行為中の高揚感から過激な行動をとることもまれにはあるが、それもあくまで「普段の栄と比較して」程度。思春期のほとんどを外国で過ごした羽多野からすれば、栄の性生活への姿勢は実に奥ゆかしく思える。

 つまり、栄に少しずつセックスの愉しみを教え込み、体や心を変えていくことを日々の楽しみとしている羽多野にとっても、このタイミングでここまで大胆な行動にでてくるというのは予想外だった。

 体を拭いて欲しいと頼んだのも手淫を求めたのも、正直「ダメ元」の気持ちだった。嫌々ながら奉仕に応じてもらえただけでも今日のところは百点だと思っていたのに、まさかその先があるだなんて。羽多野が思っていた以上に、栄もこの三週間のあいだ恋人のぬくもりに飢えて渇いていたのだと思うと、それはひどく嬉しいことに思えた。

 不慣れな栄が結んだネクタイはゆるゆるで、手首の戒めだって目隠しだって、その気になれば簡単に外すことはできる。だが、それをすればせっかくその気になっている栄の興奮に水をさすことになるだろう。羽多野はぐっとこらえる。

「ん……、う」

 声をこらえないでくれ、という羽多野の頼みを拒絶した栄だが、結局のところそれはポーズにすぎない。自身がリードしての行為に余裕がないのか、唇からは次々に甘く濡れた吐息がこぼれる。

 その姿を直に眺めたいという強い欲望に焦がれる一方で、「見られていない」という安心感ゆえに大胆な痴態をさらしているであろう栄を想像することで、羽多野もまた倒錯した興奮をさらに高めた。

「……谷口くん、もう」

 早く中に入って、熱く狭く、でも柔らかい内壁に包まれて、ぞんぶんに擦りたい。羽多野は思わず腰をうごめかすが、同時に背中に激痛が走る。栄は執拗に詐病を疑っていたようだが、背中の痛みは本物だった。

 羽多野がぐっと体をこわばらせて痛みに耐えると、触れている場所から筋肉の緊張が栄に伝わる。

「わかってます」

 愛嬌ゼロの返事だが、その声色ににじむ必死さが愛おしい。

 栄にとっては上になり、羽多野の性器を導いてつながることなどはじめてだ。この姿勢では栄本人にも彼の後孔は見えないので、挿入部位をあわせるのにも簡単ではない。しかもローションや互いの先走りで、そこは必要以上に濡れそぼっている。

 羽多野の切っ先を尻のはざまにあてがった栄がゆっくり腰を落とすと、弾力のあるペニスはつるりと滑り、ひくつく入り口と近くにあるいやらしいほくろをかすめただけで目指す場所への侵入は敵わない。

「あ……っ」

「……うっ」

 思わずふたりして、失望の吐息を漏らす。あまりに間抜けで、普段なら吹き出してしまいそうなところだが、今のふたりは笑うどころではなかった。

 動けない羽多野と不慣れな栄。いい年をしてまるで童貞カップルのようにつながることすらままならずベッドの上で必死になっている。果てしなく滑稽で――しかしなぜか胸の奥がくすぐられるようだった。

「手、ほどけよ」

 羽多野は低い声で求める。

 腰を動かすことは難しくても、両手さえ動けば栄の腰を固定して導いてやることはできる。視界なんかなくたって、どの位置にどの角度で押し当てれば彼の中に入れるかなんて、羽多野は知り尽くしているのだ。

 だが、ここに至って栄はまだ意地を張る。

「嫌、ですっ」

 今日は自分がリードすると宣言した以上、いまさら前言撤回はできないと思っているのだろうか。たらたらとしたたってくる先走りの量からして、栄の側にも余裕などないはずなのに。さっき一度出しているにもかかわらず、こっちだってもう限界はとっくに超えているのだ。張り詰めたペニスは痛みすら訴えている。

「こんなことで意地張ってどうする!」

「うるさいなあ、いちいち! 集中できないから黙っててくださいよ!」

 思わず羽多野が責めるような声をあげると、栄は負けじと言い返す。

 こうなると何を言っても無駄だということはわかっている。羽多野はぐっと唇を噛んで下腹部の痛みに耐えながら、頑固で意地っ張りで――努力家の恋人が自力で難所を越えるのを待つしかなかった。

 

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