Chapter 3|第38話

 ベッドに入ってからも、ラインハルトの頭からはついさっき交わしたルーカスとのやり取りが離れなかった。

ルーカスの不安はまだ消えてはいなかった。戦争の中で実の両親から引き離され、ようやく安住の場所を与えてくれた育ての両親をも失い、当初は望まれもせずここにやってきた。それらの出来事が彼に残した傷跡はあまりに大きいのかもしれない。ラインハルトはルーカスに、彼がここに来てくれて、いてくれることに感謝していると伝えたはずだ。だが、それでもルーカスはちょっとした理由で再び居場所を失うかもしれないという恐怖を捨てきれないままでいるのだ。

 ルーカスが、ラインハルトに恋人ができればここを去らなければいけないのではないかという不安を口にしたのはずいぶん前のことだ。そして今ルーカスは、成長によりラインハルトの理想の姿から離れていくことで、その庇護を失うのではないかという新しい不安に襲われている。

 ラインハルトは今夜直接打ち明けられるまで、ルーカスがそんなことを考えているなどとは思ってもみなかった。それはもちろんラインハルトがルーカスをここから出ていかせる気など毛頭ないからだ。

「馬鹿なこと考えるな。そんなことあるはずないだろ」

 迷いなく否定したにも関わらずルーカスはまだ不穏な考えを捨てきれないようで、無理やりのような笑顔で冗談交じりにつぶやく言葉の裏には切実さがにじむ。

「でも最近、成長を怖れたあんたの気持ちがちょっとだけわかるような気がするんだ」

 うつむいたまま、成長痛が出ているであろう腕のあたりをそっとさする少年の姿は、ひどく痛々しく映った。

 一年前、ラインハルトは自らの抱えるコンプレックスと、ルーカスの外見に対して抱いている憧れや妬みについて率直に打ち明けた。そのときはもちろんルーカスに不要なプレッシャーをかけるつもりなどなかった。ただルーカスが彼の持つ金色の髪や青い目を憎もうとしていることを悲しく辛く思い、少しでもその美しさについて自信を持って欲しかっただけ。

 もちろんルーカスの抱えるあまりに重い過去に対して「幸せだった頃の自分と似ているから、その外見に憧れている」などという甘っちょろい言葉で救いを与えられるなどと思い上がってはいない。それどころかラインハルトの行為はもしかしたら正義感の結果ですらないのかもしれない。目の前で憧れてやまない美しい少年が自らを汚そうとしている――ただその光景に耐えられなかっただけなのかもしれないのだ。

 ともかくあのときルーカスはラインハルトの言葉にいくらかの救いを見出したようだった。だから取り乱した少年の気持ちを落ち着かせる程度の役には立てたのだと思っていた。でも、あれから一年近い月日が経って、ラインハルトの言葉はルーカスの中に新たなひずみを生み出しているのかもしれない。それは思いもよらない副作用だ。

 ラインハルトが少年時代の自分の外見に固執して呪われてしまったのと同じように、もしもラインハルトのメッセージが誤ってルーカスに伝わったのだとすれば? ラインハルトがルーカスを「理想の美しい少年だから」という理由のみでここに置いているのだと彼が理解したのなら? ルーカスも今、ラインハルトと同じように成長する肉体を恐れて、苦しんでいるのだろうか。

 あのときは他に方法はないと思った。でも、もしかしたら自分は余計なことをしてしまったのかもしれない。すっかり酔いの覚めた頭でそんなことを考えているうちにどんどん眠れなくなる。

「いまさらそんなことで放っぽり出したりしない。冗談でもそんなこと考えるな」

 少し強い口調で言い含めると、「うん」とうなずくルーカスの顔には笑みが戻った。ただ、胸の奥に一度住み着いた不安はそう簡単には消え去らないことをラインハルトは知っている。ルーカスは今、眠ろうと努力しながらもソファからははみ出すようになった自分の体を持て余して再び不安に苛まれているのかもしれない。

 気持ちはどうすれば伝わるだろう。自分でも不思議なのだが、ラインハルトはルーカスの身体的な成長に対しては自然に受け入れることができていた。

 ルーカスが出会った当初の「理想の少年」の姿をいつか失っていくであろうことに不安を抱いた時期はあった。そのとき自分は失望するのか、ルーカスへの向き合い方は変化するのか。しかし実際に日々成長と向き合ってみれば、不思議なくらいに喪失感は襲ってこない。

 まだまだルーカスは子どもだ。背丈が伸びても声が低くなっても、ただの子どもだ。弱くて孤独な子どもを守るのは大人の役割だから、ラインハルトは彼が一人で生きていけるようになるまでは屋根を貸して見守ってやらなければいけない。一生結婚もしないであろう、子どもなど持たないであろう自分の中にも父性に似た何かが存在するのだろうか。そこまで考えたところでふと、立ち止まる。

 これは父性で、庇護欲。 ――本当に?

 思い浮かんだのは実の父の顔だった。同性愛者の息子を嫌悪し、悪魔だと唾棄した父親。血の繋がった息子の異常性を執拗に疑い、ルーカスを預かると決めた時にもまさかいたいけな少年に変な気を起こしはしないかと釘を刺してきた父親。

 あのときは傷つき怒った。だってラインハルトにとって人生で唯一の恋愛はオスカル相手の幼く美しく純粋なもので、しかもそれは失われてしまったから。もう一生誰のことも愛せないし誰からも愛されないに決まっている。だから父が恐れているような――ラインハルトが実家に男の恋人を連れて現れるようなことは決して起こり得ないし、ましてや見知らぬ少年に妙な気を起こすことなどあり得ないのだと。

 大丈夫、とラインハルトは自分に言い聞かせる。だって自分は子どもになんか興味はない。自分自身が可愛い愛すべき存在として守られ大切にされたい。それがラインハルトにとっての恋愛で、こんなに醜く成長してしまった以上二度とそんな恋に出会うことはないのだから。だから、父が疑い心配したようなことは決して起きない。

タイトルとURLをコピーしました