第1話

 僕の名前はアキヒコ・ラザフォード。

 大きな川の近くにあるリフトもついていない集合住宅の最上階に、「育児支援ロボット」のサーシャと二人だけで暮らしている。僕の部屋の窓からは川向こうの公園にある大きな煙突が見えて、その景色は一番のお気に入りだ。

 僕がロボットと二人だけで暮らしていると言うと、みんな不思議そうに「なぜ」と聞く。「なぜ」の答えは多分いくつもあって、僕にはどう答えれば良いのかわからない。

 でも一番の理由は、たったひとりの家族だったお母さんが僕が五歳のときに病気で死んでしまったからだと思う。そしてお母さんは自分が死んでしまった後に僕がひとりぼっちにならないように、「電子的家庭支援社エレクトリック・ファミリー・サポート」というロボットの会社にお金を払って、お世話ロボットのサーシャを契約したのだ。

 サーシャは僕が大人になるまで一緒にいて、僕の身の回りの世話をしたり、僕がちゃんと勉強したりマナーを身につけたりできるよう手伝ったり、要するに普通はお父さんやお母さんがしてくれるようなことを代わりにやってくれる。

 実は僕にはもうひとりの家族――おじいさんもいるのだけれど、そのことを知ったのはお母さんが死んでしまった後だった。お母さんはおじいさんと長いけんかをしていて、だから僕にはおじいさんの存在を内緒にしていたんだと思う。

 おじいさんは郊外にある大きな家に暮らしていて、最初は僕をそこに連れて行って一緒に暮らすつもりだった。でも、おじいさんと出会ったときにはもう僕にはサーシャがいたし、何よりお母さんと一緒に暮らしていた部屋を離れたくなかった。だからおじいさんにお願いして、サーシャと一緒にそれまでと同じ場所で暮らし続けることを許してもらった。代わりに毎週日曜日におじいさんに会いに行くことにしている。

 今もお母さんのことは毎日思い出す。

 お母さんは怒ると怖いけど、そんなときだって僕が「ごめんなさい」と言うと、ぎゅっと抱きしめてすぐにいつもの世界一優しいお母さんに戻った。お母さんは女の人の中では背が高い方で、長い髪の毛をいつも一つに束ねていた。その髪は赤毛に近い金色で、僕はそれをすごくきれいだと思っていたから、自分の髪の毛がお母さんと同じ色でないことを今も残念に思っている。

「でも、おじいさんも、死んじゃったおばあさんも、お母さんとは違う髪の毛の色なんだ」

 おじいさんは僕にアルバムを見せてくれた。そこには赤ちゃんの頃からのお母さんと家族の写真がたくさん挟んであった。でもおじいさんはお母さんとあまり似ていないし、ずいぶん前に死んでしまったというおばあさんも、顔立ちや雰囲気はお母さんと良く似ているものの髪の色は違っていた。

 おじいさんの家からもらってきた写真を手にして僕がそう言うとサーシャは小さく微笑んだ。僕がお母さんの話をすると、サーシャの表情も柔らかくなる。

 僕が一緒にソファに座れるように体をずらすと、サーシャは僕の隣に腰掛けて写真をのぞき込んだ。

「ストロベリーブロンドは珍しいですからね。私も詳しくはありませんが、生き物の遺伝とはとても複雑で微妙で偶然のような要素にも左右されるのだと聞きます。後で化学的に処理をするのならともかく、髪の色はそう簡単に思い通りにはならないんですよ」

 確かに、この間赤ちゃんを産んだばかりの猫を見せてもらったけれど、赤ちゃん猫の色や模様はばらばらでお母さん猫とはあまり似ていない子もいた。だから、おじいさんやおばあさんとお母さん、そしてお母さんと僕の髪の毛の色が違うのも残念だけど不思議ではないのかもしれない。

 納得した僕の興味は、すぐ視線の先にあるサーシャの黒っぽい色の髪に移る。

「ふうん。じゃあ、サーシャの髪の毛はなんでそんな色なの?」

 人間の髪の毛の色が、お父さんやお母さんからもらった髪の毛の色の素みたいなものが混ざり合って決まるのなら、ロボットのサーシャはどうなんだろう。サーシャの髪の毛とか肌の色、背があまり大きくないこと、そういう何もかもはどうやって決まったんだろう。

 僕の質問に、サーシャはあっさりと答える。

「私たちに遺伝はありませんから、作った人が決めたんです。私がスープを作るときに、どのスープストックを使うか、何で味付けするか、具材は何を入れるかを決めるでしょう? それと同じで、私を作った人がどんなデザインにするかを決めたんですよ」

 僕は目の前のサーシャを見て、それから晩御飯のスープのことを思い出そうとしたけれどあまりピンとはこない。サーシャもスープも誰かが作るもので、それをどんな風にするかは作った人が決める――理屈ではわかる気もするけど、サーシャとスープはあんまりにも違っている。

 僕が夢のロボットについて考えるときみたいに、誰かが画用紙にロボットの絵を描いてそのとおりに組み立てたのがサーシャだというのだろうか。だったらもしも僕が「こんな風なロボットが欲しい」と言ったら、誰かがそのままのロボットを作ってくれるのだろうか。

「じゃあさ、今から僕がサーシャの髪もお母さんみたいな色がいいって言ったら、変えられるの?」

 ふとした思いつきでそんなことを口にすると、サーシャは珍しく面食らったような顔をした。

「いや、あの、簡単ではありませんし、時間も料金もおそらくそれなりにかかりますが。でも……まあ」

 何を聞いてもすぐに答えてくれるサーシャは珍しくぶつぶつと言い訳じみたことを口にする。それでもじっと顔を見ていると、やがてあきらめたように小さく息を吐いた。

「……あなたがどうしてもと言うならば、可能です」

 普段あまり見ることのないうろたえたサーシャの姿が面白くて僕は吹き出して、その体に抱きつく。サーシャはあまり自分からハグしてくれないからぎゅっとしたいときは僕から抱きつくしかない。ひんやりとした感触にもすっかり慣れた。

「嘘だよ。サーシャは僕のお母さんじゃないもん。そのままでいいよ」

 だって、サーシャは濃い色の髪に瞳。白い肌。男の人の割に狭い肩や背中。そういったものすべて合わせてサーシャだ。お母さんにストロベリーブロンドが世界一似合っていたみたいに、サーシャにだって今の姿が一番似合っている。違う髪の色にする必要なんてない。

「安心しました。……あなたは突拍子のないことを言い出しかねないから」

 人をからかってはいけないと叱られるかと思ったけれど、どうやらサーシャは心から安心したみたいで僕の髪を何度か撫でた。

 サーシャと他の大人――僕の知る人間の大人の姿はほとんど変わらない。サーシャの見た目はほとんど完全に人間だ。ロボットは人より気持ちのでこぼこが少ないと言われるけれど、僕にはしょっちゅう怒ったり呆れたりしている。確かにお母さんほど気持ちが顔には出ないけれど、そんなに変わりはない。夜になると眠るし、怪我をしたときに熱を出して寝込んだこともあった。

 でも、サーシャは僕とは違って、腕に裂け目ができたときに赤い血が流れることはなかった。食事の方法を教えるためだと言って一緒にテーブルでご飯を食べるけれど、実は何も食べなくたってお腹が空くことも、そのせいで動けなくなってしまったりすることもないと言う。僕は五歳のときより背が伸びたけど、サーシャの背は伸びないし、そもそも年を取ることもないらしい。

 僕とサーシャは同じなのか。それともまったく違うものなのか。僕にはよくわからない。前は全然考えもしなかったそんなことを、ときどき気にするようになったのも、僕がちょっとだけ大きくなったからなのかもしれない。

 僕は今年、小学校に入学した。