僕と機械仕掛けと思い出(23)

 前に「恋」について話したときもサーシャは「いずれわかります」と言った。そのときも、恋なんて面倒なことには一生関わりたくないと思ったけど、わがままになって人を傷つけるようなものであるなら――なおさら恋なんてしたくない。

 なのにどうしてだろう、僕の知らない「恋」なるものをサーシャがしたり顔で語っているのを見ると、気持ちがざわついてしまう。だから僕はいつものように、心にもないくせにサーシャが機械であることをからかう言葉に逃げる。

「……何だよ知ったようなこと、機械のくせに」

「機械だってわかります、今のあなたよりはずっと」

 何度も繰り返されたやり取り。でも――サーシャは人の気持ちについて、そんなによくわかっているのだろうか。だったら、どうして? 僕の頭の中でシルビアやベンとの問題が、サーシャと僕との問題に結びつく。

「……そんなによくわかってるなら、サーシャはどうして僕の気持ちを知らない振りするの」

「え?」

 突然激しい感情を取り戻した僕に、サーシャは目を丸くする。

「サーシャだって同じじゃないか。僕がずっとサーシャといたいって、だから寮のある学校には行きたくないってわかってるのに……なのに将来とか何とか難しいこと言って、嫌な方を選ばせようとする」

「アキヒコ、それは……」

 また何か、大人の理屈で僕を丸め込もうとしているのかもしれない。警戒して、それ以上何も言わせたくなくて、僕は言葉を続ける。

「それは、何? サーシャはもしかして、本当は僕のことが嫌いで、僕の世話なんて早くやめてしまいたいと思ってるの? 他の家の、他の子どものところに行きたいって……」

 だとすれば、サーシャがおじいさんとベネットさんの提案に賛成しても不思議はない。けれどそれは僕にとっては体がずたずたになるくらいに悲しい想像だった。一度はおさまった涙が再びどっと目からあふれる。サーシャと離ればなれになってしまうことはとても悲しい。でもそれ以上に、サーシャが僕と離れたがっているという考えは、僕を絶望的な気分にさせた。

 サーシャはすぐには言い返さなかった。何か言えば言うほど僕が興奮するとわかっていたのかもしれない。しばらく待って。僕がそれ以上言うべき言葉がなくなったところで、ゆっくりと口を開く。

「アキヒコ・ラザフォード、馬鹿なことを考えるんじゃありません。あなたと契約している限り、私は常に、誰よりもあなたの希望と幸せを優先します。エマ様ともそう約束をしました」

「サーシャ……」

 誰よりもあなたの希望と幸せを――それは、僕がずっと欲しかった言葉だった。ただ問題は、言葉にしてもらったところで、今は簡単には信じられないということ。

「だったら、どうして」

 なぜ学校の話をベネットさんから聞いたときに、僕には黙っていたのか。そしてまるで全寮制学校への進学に賛成しているような態度を取ったのか。問い詰めるとサーシャはゆるゆると首を振る。

「誤解させたなら謝ります。ですが私は、ベネット氏からあなたの進学について聞かされたときも、賛成とも反対とも言いませんでしたよ。確かにあなたの教育や将来について考えれば悪い話ではありません。ただそれはあくまで客観的な評価で、私個人の賛否とは無関係です」

 何度も繰り返すようですが、そもそも進路選択は私の関与の埒外ですから、と言われて僕は思い出す。確かにサーシャは最初から、彼には決定権がないと言っていた。だがその上で「良い選択肢だ」とも言った。だから、こちらはサーシャは「賛成」なのだと思ってしまう。

「だったら最初からそう言ってよ」

 僕は大いに不満で、同時に満足だった。

 サーシャが僕と離れたいと思っているのではないとわかったから。でも、「満足」が「大満足」に変わるにはもう一歩。

「じゃあさ、サーシャはどうなの? 〈きゃっかんてき〉じゃなく、サーシャは僕が寮の学校に行くとしたら、嬉しいの? 悲しいの?」

 黒い瞳が潤む。「私は……」と、言葉を選ぶような間。それからサーシャは言った。

「私は、契約が続く限りこうしてお側であなたのお世話を続けることを一番の幸せだと感じます。私だけではなく、すべてのアンドロイドはそういうふうにできているんですよ」

 答えは百点満点とはいえない。だって僕はサーシャの気持ちが聞きたかったのに、結局サーシャは「アンドロイドとは」という答えを返しただけ。でも、サーシャが自分の話をしたがらないのはいつものことだし、それこそ「アンドロイドはそういうふうにできている」のかもしれない。だから僕は、とりあえず満足することにする。

「だったらいいよ。許してあげる」

 サーシャは僕といることを一番の幸せだと言ってくれた。それは何よりも嬉しい言葉だった。

「それはどうも。お許しいただけて光栄ですね」

 許してあげる、という上から目線の物言いに半分ほっとしたような、半分は呆れたような様子を見せて、それからサーシャは思い出したように首をかしげる。

「ただし、困りましたね。私への不満が解消したところで、学校でのゴタゴタの解決方法はまだ見つからないようです」

「……やだなあ、教室がすごく嫌な感じなんだ」

 せっかくほっとしたのに嫌な話を蒸し返されて、僕は長く大きな、大人みたいなため息をついた。一体いつまでこんなことが続くんだろう。

「そういうのを針のむしろって言うんです。というのはともかく、どうしても嫌なら、明日は学校をお休みしますか?」

 知りたくもない新しい言葉を教えてから、サーシャは僕にとってこの上ない提案をした。今日の朝といい、早退の件といい、今の僕はよっぽど落ち込んでいるように見えるのかもしれない。

「でもさ、ずる休みなんじゃないの?」

 サーシャの言葉に甘えてしまいたい気持ちと、そこはかとない不安。今日だって、病気じゃないのに帰ってきてしまった。明日も休むことには罪悪感があった。するとサーシャはもう一度僕の髪を撫でて、笑う。

「ずるじゃありません。傷心は、ときに病より深刻ですからね」

 言葉の意味は十分にはわからなかった。シルビアに嫌われたって、ベンに絶交されたって僕は死なないけど、お母さんは病気で死んだ。心が傷ついたくらいで、病気よりも深刻だなんてこと本当にあるんだろうか。でも確かに今の僕は、熱を出したときよりお腹を壊したときより辛い気分でいる。

 結局のところ、確かなのは、少なくとも僕は数時間前と比べればずっと元気になっているということ。だって学校でいくら嫌なことがあったって、助けを求めればすぐにサーシャが助けに来てくれるから。そう思えば、もうちょっとだけがんばってみることもできる。

「……いい、行く。シルビアには言い方が悪かったって謝るよ。ベンの言うとおり、皆がいるとこで好きじゃないなんて言うのは良くなかったかもしれない」

 僕はまっすぐサーシャの顔を見て、胸を張ってそう言った。せいいっぱいの勇気を出したつもりの「登校宣言」だった。

 謝ったからといって、何もかもが丸くおさまるかはわからない。でも、一日先延ばしにしたらきっと、謝るのがずっと難しくなる。だから少しでも早く、ひどい言い方をしてごめんと言うのだ。もちろん「シルビアのことは他の女の子と同じくらいにしか好きじゃない」という気持ちには嘘をつけないけれど。

 僕の宣言に、サーシャは微笑んだ。

「それは勇気ある行動ですね。どうやらあなたも、少しずつ大人に近づいているようです」

 褒め言葉だけではない。サーシャはさらに、僕がシルビアにちゃんと謝れたら、ご褒美にアイスクリーム・サンデーを食べに連れて行ってくれると約束した。大通りに新しくできたお店の、すごく大きくて豪華なサンデー。前を通るたびにうらやましい気持ちになるけれど「あんな大きなデザートを食べたら食事が入らなくなります」と、サーシャは一度も店に入ることを許してくれない。そこに連れて行ってくれるというのだ。

 憂鬱でたまらなかった学校のことが、アイスクリーム・サンデーのおかげで一気に楽しみへと変わる。腕を振り上げて喜びの声をあげる僕を、サーシャは慌てたように「こら、調子に乗るんじゃありません!」と叱りつけた。

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