42. 月曜日の絞殺魔

「月曜日の絞殺魔……」

 事件自体についてはぼんやりと知っているものの、その呼び名はアカリにとっては初耳だった。そもそもがよくある殺人事件のうちのひとつ程度の認識で、そんな呼び名がつくほど騒ぎになっているとは知らなかった。

「知らないのかい? テレビや新聞ではぼかして伝えられているけどなかなか興味深い事件だよ。快楽殺人って、不謹慎だけど創作心がうずくよね」

「マークさん、そういう情報どこで手に入れてくるんですか?」

「週刊誌とかスポーツ新聞とかネットの掲示板とか……」

 うわ下衆い、という心の声が表情から伝わってしまったのか、マークは慌てて言い訳をする。

「いや、だって生活に根ざしたブロークンな日本語表現を知るには、高級紙やNHKより、庶民的な情報源の方がいいんだよ」

 それはともかくとして、マーク曰く三女性絞殺事件――通称「月曜日の絞殺魔事件」はいずれも同一犯と見られているようだ。

 理由は、どれも犯行の手口が似通っていて犯行日もすべて同じ月曜日の早朝であること。そして「飲食店店員」「会社員」などと報じられている被害者が実際はいずれもデリヘル嬢であること。犯人は明らかに殺すことを目的に女性を呼んでいるのだから、快楽殺人の一種に違いないという見解が主流なのだという。

 犯人は月曜の未明に女性を伴ってラブホテルを訪れる。特段特徴のない普通の若い男だが、目深に帽子を被っているので、どの防犯カメラにもはっきりと顔は写っていない。二人は休憩コースで部屋に入り、必ず一時間程度経ったところで男だけが出てくる。そして、退出時間がすぎてもチェックアウトされないことを不審に思ってスタッフが部屋の様子を確かめに行くと、そこでは裸の女性が死んでいる、というわけだ。

「しかもさ、ここからがサスペンスなんだけど……」

 そこで周囲を気にするように見回してから、マークは声を潜めた。

「なんと、被害女性は全員、死んだ後で暴行されているんだって。ね、猟奇的だろ」

「死んだ後で、暴行?」

「そうだよ。いわゆる屍姦行為だね」

 ――屍姦。その言葉にアカリの手からスマホが滑り落ち、床で跳ね返った。幸い裏から落ちたので画面は無事だが、それを喜ぶよりマークから聞いた話の衝撃の方が大きい。

「なんだよアカリ、びっくりした? でもさ、屍姦行為は古くはヘロドトスの『歴史』にも記述が見られる――」

 マークのうんちくは、アカリの耳に入っていかない。

 さっきまで心を暗く覆っていた「蒔苗に飽きられているのかも」という不安。それが、今マークに聞いた「月曜日の殺人鬼」の話と絡み合い、まるでパズルのピースのようにかっちりとはまっていく。

 事件は必ず月曜の朝。首を絞めて殺し、遺体に暴行された痕跡がある。犯人は若い男。

 蒔苗との「死体ごっこ」はいつだって日曜日の深夜。先週はアカリが百合子の呼び出しに応じたので未遂に終わったが、蒔苗はセックスする気でいたはずだ。それに蒔苗は以前に風俗の女の子の首を絞めようとした前科があるし、昨晩はアカリの首だって絞めた。もちろん年は若いし、性別は男。犯行現場だって、マンションからほんの数駅しか離れていない。マークの話から浮かび上がる犯人像に、蒔苗は怖いくらい一致しているのだ。

 ――いや、まさか。そんなことあるはずがない。だって蒔苗は「本当に殺したら面倒なことになる」から、わざわざアカリに死体のまねごとなんかをさせているのだ。本当に人を殺したりするはずがない。

 だが、もしも真似ごとの死姦がかえって蒔苗の欲望を加速させてしまったのだとすれば? 体が温かく心臓が動いているアカリでは我慢できなくなって本物の死体とセックスしたくなったのだとしたら? アカリは不穏な妄想を打ち消そうとするが、水に落ちた墨のように、不安はぼんやりと心の中に広がっていく。

 そういえば先週の月曜、蒔苗の手の甲にひっかき傷があった。あれはもしかしたら、被害者の抵抗の跡ではないか?

「こんにちは」

 ちょうどそのとき蒔苗が部屋に入ってきた。アカリは振り返って蒔苗の顔を見る。いつも通りの飄々としたたたずまいでいる、これがもし「月曜日の絞殺魔」だとすれば?

 あ。俺、末期だ。

 アカリは「怖い」と感じるよりも強く、蒔苗をひどく興奮させるであろう本物の死体に嫉妬した。