醒めるなら、それは夢

34. 第2章|1938年・ハンブルク

べっとりと白いペンキで描かれたバツ印に、ユリウスの視線は吸い込まれる。真新しい筆跡はまだ乾ききっておらず、それはまるで神々しい十字架のようにも見えた。 背後を通りすがった男が舌打ちをするのが聞こえて、あわててベンチから目をそらす。しかし既に目を付けられてしまっていたのか、男はユリウスに近づいてくる。上着の襟には赤いナチ党のバッジを付けている。
恋で死ぬ。かもしれません

2. なんと読むかも知りません

翌朝のアカリは極めて不機嫌だった。せっかくの久しぶりのセックス、せっかくの久しぶりの臨時収入の予定。どっちも台無しにされた。何もかもあののぞき魔野郎のせいだ。 あの後の顛末は、まさしく無残そのものだった。 よりによって人のセックスを見て嘔吐するとは何事かと怒り狂ったアカリは、後ろから自分を貫く男のことなどすっかり忘れてのぞき魔に向かって怒鳴り、靴を投げた。
醒めるなら、それは夢

33. 第2章|1938年・ハンブルク

翌朝ユリウスが通学中に目にした街の様子はひどいものだった。 ユダヤ人の経営する商店はことごとくショーウィンドウが割られ、道路はガラスの破片でいっぱいだ。略奪の残骸なのか荒らされただけなのかわからないが、商店や民家から持ち出されたらしき物もそこらじゅうに散らばっていた。ひどいことに、真新しい血痕すらあちこちで目にする。まるで嵐か竜巻かが通り過ぎた後のようで、このすべてが人の手による暴力だと思うと背中がぞっと冷たくなった。
恋で死ぬ。かもしれません

1. 明里亮介の秘密

初夏。日が暮れれば涼しげな風が吹き、ぐっと色を濃くした公園の緑からは鮮烈な夏の匂いが立ちのぼる。薄くなる衣服にどこか気分も解放的になるこの時期こそ――。 そう、絶好の青姦シーズン。
醒めるなら、それは夢

32. 第2章|1938年・ハンブルク

二人の関係は変わったとも、変わらなかったともいえる。 ユリウスはときどきニコに触れるようになった。ときどきというより、ごくたまにと言った方が正確かもしれない。ニコの家には大抵レオやその友人やレーナがいるから落ち着いて二人きりになるような機会はそもそも少ない。また、夏休みが終わってしまえば父親がいつ帰宅するかわからない夕方の時間にニコをユリウスの自宅に招くようなこともできなくなった。要するに、そもそも隙がないのだ。