第26話

 困ったように眉根を寄せて、視線を泳がせて、宇田は必死に言い訳を探しているようだった。ぼくに嘘をつこうとしている彼の姿を目の当たりにすれば、改めて悲しみと怒りが胸に込みあげる。

 宇田が好きだった。コンプレックスを受け入れ、癒してくれる特別な人だと思っていた。

 でも、何もかも勘違いだった。最初から因果関係が逆だったのだ。

 宇田が関心を持っていたのはいつだって〈ぼく〉ではなく〈ぼくの脚〉だった。あの目を背けたくなるような写真の数々。体格も皮膚の色もばらばらの、脚、脚、脚――つまり彼にとっては、それが誰のものだろうと関係はない。

「まさか、宇田くんが変態だなんて。全然わからなかった」

 そう言うと同時に、裏返しにしてサイドボードに積んであった紙の束を手に取って宇田に投げつけた。

 避けようともしない彼の肩甲骨あたりに当たった紙束がバサバサと音を立てた。「欠損フェチ」について知ろうと手当たり次第に検索して印刷したウェブページや淫猥なイラストが床に散らばるが、宇田は硬直したままでそれらには目をやろうとしなかった。

 彼がこれほどまでに動揺するのはつまり、ぼくの想像が正しかったということなのだろう。むなしさに息を吐く。

「宇田くんはぼくの脚がだめになったことを〈気にしない〉んじゃなくて、〈誰よりも気にしてた〉んだよな。それを勝手に、理解してもらえているだなんて勘違いして、舞い上がって……」

 自分でも驚くくらい消沈した言葉がこぼれ、宇田がようやく顔をあげた。

「土岐津くん、あの」

 何か言おうと口を開くが、謝罪も言い訳も聞きたくはない。震える言葉の先をさえぎるように、ぼくは左側のズボンの裾をめくって義足の足首を見せつけた。

「宇田くんは、ぼくのことを好きになってくれたわけじゃなくて、ただこの脚に欲情してただけだってことだよな。振り返ればおかしな話だ。最初から疑うべきだったんだ」

「最初って……」

「聞きたいのはこっちだ。あそこを通りかかったのは偶然? それともタイミングを待ち構えていたのか? まだ義足をつけてなかった頃に松葉杖で歩くぼくを認識してたって……巻さんだっけ、コンビニのあの女性からも聞いた」

 次々と繰り出される不利な証拠に、宇田の唇は色を失い小刻みに震えている。あの唇や舌がどんなに甘かったかも、いまは思い出すことができない。

 ぼくは左足を前に出すと、靴下を履いた義足で床に散らばった写真を踏みしめる。びくりと体をおののかせて宇田は反射的に半歩下がった。自分が威圧的な態度をとっている自覚はあるのに、宇田が怯えた態度をとればそれに傷つく。そして傷ついた腹いせに、もっとひどい言葉で彼を追い詰めようとしてしまう。完全なる悪循環を止める方法はない。

「こういうのが好きなんだろう? 全部左膝から下のない男の写真ばかりだった。ずいぶんマニアックな趣味だから、なかなか現実ではお目にかかれないだろうな。ちょうどピンポイントに趣味に一致する男に出会えて、興奮した?」

「興奮って、そんなことは」

「違うのか?」

 これまでほとんど無抵抗だった宇田が、突然反論しようと試みたことにぼくは逆上した。力任せに両手を前に出して、宇田の肩を突き飛ばす。

 まさか暴力を振るわれるとは思っていなかったのだろう、不意打ちをくらった宇田がよろめいて、足下のコピー用紙がぐしゃぐしゃと嫌な音を立てる。そのまま体勢を整えることも叶わず彼の体はゆっくりとのけぞるように傾いて、ベッドの上に仰向けに倒れこんだ。そこに、さらなる追い討ちをかける。

「違うなら、ちゃんと説明しろよ。どうして脚の手術の本や、脚のない男の写真ばかりをあんなに集めていたのか。どうしてぼくをずっと見ていたのか」

 どこからどこまでが計算だったのだろう。

 最初の出会いの後は下心を疑われないようにわざと控えめなふりをしていたのだろうか。貸した服を黙ってドアノブに掛けて帰ったことも、ぼくの気を引くためだったのだろうか。コンビニで出くわしたことをぼくは運命だと思ったが、それすら仕組まれていたのだとすれば、あまりにみじめだ。

 ぼくはベッドの上に無様に転がった宇田を見下ろした。これ以上何も聞きたくない――でも心のどこかではまだ、この忌々しい妄想を否定して欲しいと願っている。

「どうしてって」

 怯えた目で宇田がぼくを見上げる。

 そして、言った。

「きれいだと、思ったから」

「ふざけるな!」

 反射的に怒鳴り声をあげていた。あんなに嬉しいと思った言葉が、今はどんなナイフより鋭くぼくの胸を裂く。結局こんな有様だ。いまのぼくに近づいてくるのは、哀れみや優越感を抱く偽善者か、欠損に惹かれる変態性欲者のどちらか。

 激しい悲しみや苛立ちをどこにぶつければ良いのかわからない。怒りで頭が沸騰して、おそらくまともな思考もできなくなっていたのだろう。

 ぼくはベルトのバックルを外すとファスナーを下ろし、履いていたズボンを床に落とす。下着から伸びる左脚――その先には忌まわしい義足。何もかも事故にあったせいだ。平穏な生活も、人並みの自尊心も、明るい将来への展望も失って、やっと救われたと思ったらひどい裏切りにあう。

 力任せに義足を外して床に投げると、ゴツッと嫌な音がした。義足はぼくの体に合わせ作られ、繊細に調整されている。装具士からは丁寧に扱うよう指導されていたが、いまは正直、壊したって構わないと思っていた。シリコンライナーもすぐに外して投げ捨てる。

 宇田は突然服を脱ぎ出したぼくをあ然とした様子で眺めていた。体が動かないのだろうか――それは動揺のせいか、それとも恐怖のせいだろうか。どっちだって自業自得だ、

 ぼくは膝でベッドに上がると、関節の下までしかない左脚を横たわった宇田の鼻先に突きつけた。

「宇田くん、こんなのに欲情するんだな。いつも抱き合うとき、ぼくの脚に触ってた。てっきりキスや愛撫に反応してくれているんだと思ってたけど、これを見て、触って勃起してたんだろ」

「ちが……」

 肘で這うようにして後ずさる体を追いかける。

「まあいいよ、いろんな趣味の人がいるのは仕方ない。金持ちだからとか顔がいいからとか、女の子だって現金だもんな。『脚が欠損してる』っていうのも似たようなものなのかもしれない。それにぼくだって結局は、脚のない自分に都合いい相手だからって打算があったわけだし」

 ぺらぺらと喋る自分はとてつもなく滑稽だが、言葉を止めたら頭がおかしくなりそうだった。泣き出して、叫んでしまうかもしれない。

 ようやく立て直しかけた自尊心は修復不可能なまで粉々になった。だからぼくは、彼にやられたのと同じように――いや、それよりももっと粗末に宇田を扱うことで少しでも自分の心を守ろうとしていたのかもしれない。

 切り株のような脚の切断箇所をぐりぐりと顔に押し付けられると、宇田は手でそれを防ごうとした。もちろん許してなんてやらない。

「なんでいまさら嫌がる振りなんてするんだ? 前はあんなに喜んでに触ってたのに。そんな怖がられると傷つくな」

 ぼくも泣きそうで、宇田も泣きそうな顔をしている。

 意地の悪い言葉に責め立てられて、やがて宇田は拒否する気力を失ったようだ。彼の手から力が抜けて、されるがまま頬やら唇やらで断端の薄い皮膚を受け止めた。

「舐めてみてよ。そういうのも、本当はやりたかったんじゃないのか?」

 微かに首を左右に振ったような気がしたが、結局宇田はぼくの言うとおりにした。