「心を埋める」本編完結後。栄視点の夢落ち3Pです。
家柄にも容姿にも恵まれ、頭も運動能力も申し分ない――というのが長年にわたる谷口栄の自己評価だった。もちろん人並み以上に努力をしてきたから、天賦にあぐらをかいているなどと陰口を叩かれる筋合いはない。
世の中上には上がいるとは理解しているが、そんなものを気にしたところできりがないし、少なくとも生まれてからずっと暮らしているこの国では栄のスペックは確実に人口の上位数パーセントに入る。同性にしか惹かれないという性質を自覚したときにはある種の挫折感を味わいはしたものの、総じて自分という人間には満足してきたはずだった。
しかし齢三十を前にして何もかもが上手くいかない。仕事も私生活も空回り、長い間付き合ってきた恋人はなぜか年の離れた、ほとんどの面において栄より数段は劣るであろう若い男と浮気をした。
一年続いたセックスレスが直接の原因なのだと尚人は言った。それは数え切れないほどある理由のうち一番わかりやすく目に見えるものだっただけで、多分本当に重要なのは栄が尚人を抱きたいと強くは感じなくなっていたことや、抱えている不満や欲求について尚人が栄にはっきりと伝えられなくなっていたこと。つまりは緩やかに変質してきた関係にあるのだと頭では理解している。
手を離したことは後悔していない。あのまま無理して一緒に暮らし続けたところで栄はもう怒りや執着以外を理由に尚人を抱くことはできなかっただろう。だが理性ではそう理解しているにも関わらず感情はまだ過去を割り切れずにいる。
セックスレスが三百六十五日続いたら。そう決めて毎日祈るような気持ちでカレンダーに印をつけていたという尚人。あの一年間のどこかで栄が尚人を抱いていれば、抱けていれば何かが変わったのだろうか。そんな思いは小さな棘となり栄の体どこか深い場所に埋まったままでいる。痛みというほどではないが、何かの拍子に疼く不愉快な感覚。
そしてときどき訪れるのは悪い夢。
*
――物音が聞こえた気がした。
目を開けると、栄は自分のダブルベッドの上にいた。
頭ではこれが夢であることを理解している。だって尚人と同棲をはじめるときにわざわざショールームを何件も回って選んだ北欧ブランドのフレームに高級マットレスを載せたこのベッドは、麻布十番のマンションを引き払うときに処分してしまった。ベッドフレームはそれなりの値段で売れて、マットレスは粗大ゴミとして回収されていったのだから。
今の栄が暮らすのは代々木上原のマンスリーマンション。来年夏に英国に赴任するまでの一時的な住処のつもりで、家具も家電も完備されている物件に引っ越したのは先月のこと。潔癖ゆえに他人と寝具を共有することに抵抗があったためマットレスだけは新しいものに変えたが、ともかくここはもう麻布十番のマンションではないし隣の寝室に尚人がいるはずもない。
なのに、栄の耳には微かに呻くような声が聞こえてくる。苦しみに似てはいるけれどそれだけではない熱をはらんだ、それは間違いなく恋人――かつて恋人だった尚人の声だった。
栄はそっとベッドから降りると、足音も息も殺して寝室を出る。廊下に出て数歩進めば尚人の部屋の扉がある。少しためらってからドアをそっと押し開けると、セミダブルベッドのヘッドボードに背中を預け熱い吐息を漏らす恋人の姿が暗闇に仄白く浮かび上がった。
寝間着の上は着たままで、でもボタンは全て外れ胸から腹にかけての肌は露出している。下は全て脱いでしまっていて、日に焼けていない脚は膝を立てて軽く左右に開かれていた。尚人は目を閉じ開いた脚の間に手を差し込んで、欲望を鎮めるための淫らな行為に没頭している。
「……ん、っ」
右手で握りしめたものをゆるゆると上下に擦りながらもどかしげに腰を揺らす。薄く開いた唇はだらしなくあふれる唾液で濡れてひどくなまめかしい。その姿に思わず栄は息を飲んだ。
尚人の自慰を見るのは初めてだった。その手の行為を見せ合うことを好む恋人同士がいるという知識はあるし、尚人の痴態への関心がゼロだったわけではない。だが少なくとも普通に付き合っていた頃の栄にとって、尚人が嫌がり恥ずかしがるような行為を強要することは正しいセックスではなかった。
「あ、は……っ」
喘ぐ声だけではなく、手が動くたびに尚人のそこからはちゅくちゅくと濡れた音がこぼれ薄闇を湿らせる。目が慣れれば指の隙間にのぞく赤く濡れた亀頭も、根元で悩ましげに揺れる袋も、さらに下の方でときおりひくついている桃色の窄まりも、何もかもをはっきりと見ることができた。
一体自分はここで何をしているのだろう。恋人――確かにこのマンションで暮らしている時点では恋人だった相手が目の前で淫らな姿を晒しているのに、それをただ呆然と眺めている。
「可哀想だよな」
突然背後からそんな声が聞こえた。直接会ったのはたったの二度、電話を合わせても三度。しかしその声色を忘れることなど絶対にできない。栄から尚人を寝とった男、笠井未生の声。
「あんたが抱いてやらないから、尚人はこんなになってるんだよ」
そう言いながら未生はずかずかと部屋に入り込んでくる。そして呆然と立っている栄を追い越し、ベッドに乗り上げると淫らな遊びに熱中する尚人に手を伸ばした。
「……っ」
突然右手を取られて尚人がはっとしたように目を開き顔を上げる。恋人と愛人を同時に目の前にした驚きよりは、快楽を求める行為を中途半端なところで止められた戸惑いの方が大きいようだった。
「離して、未生くん」
そう言ってもがくが、未生は尚人の腕を軽くひねり上げてしまう。上り詰める直前でお預けをくらった尚人の性器が切なく震える。
「ほら見ろよ。一年も恋人に放っておかれるうちに欲求不満でおかしくなって、こいつはしょっちゅうこうやって一人で遊んでるんだよ。こんなんじゃ満たされないのに」
未生は意地悪く笑い、尚人の先端に指先で軽く触れすぐに離す。
「あ、やだ」
尚人の腰は揺れてもっと触れて欲しいと言いたげに未生の手を追う。痛がらせるのも怖がらせるのも本意ではないから前戯は十分にやる方だが、栄と寝るときの尚人はいつもあんなだったろうか。少なくともああもあからさまに自分から求める素振りを見せることはなかったような気がする。
「面白いよな、セックスしないほうがエロくなるなんて」
未生がそう言って尚人を腕の中に抱くのを見て、ようやく栄の中に嫉妬と怒りが浮かんでくる。
「触るな」
栄がそう凄むと、未生はますます面白がるように尚人の内腿を撫でさする。
「何格好つけてんだよ。保健体育みたいなセックスしかしてやらず、挙げ句の果てにはセックスレスだろ。あんた被害者ぶった顔してるけど、一年間オナニーで我慢してただけでも尚人は十分健気だと思うけどな」
「……それは」
栄はぐっと唇を噛む。セックスのときは栄なりに常に尚人を慮って嫌な思いをさせないようにしてきたつもりで、それこそが男として正しいことだと思っていた。だが未生はそんな栄の行為をつまらないと吐き捨てる。そして実際にあの不愉快な男の腕の中で尚人は甘い息をこぼしているのだ。
「あんたが勝手に清楚な理想を押し付けてたから我慢してただけで、本当の尚人は見ての通りエロいこと大好きな奴だよ」
「勝手なこと言うな」
そう言う栄を嘲笑うように未生はペロリとひと舐めした指先を伸ばし尚人の胸先を押しつぶす。尚人の喉奥から息を呑むような嬌声が漏れて、同時にペニスの先からはいくつもの新しい雫がこぼれた。
「何が勝手なことだよ。あいつには弄ってもらえなかった乳首だって本当は大好きだし、そうだせっかく練習した成果見せてやれよ」
尚人の反応に気を良くしたのか未生はさらに調子に乗る。尚人の腕を掴むとそのままぐいと引っ張って、ベッドから降りるように促す。
「未生くん!?」
未生の愛撫で達することを期待していた尚人は戸惑いと抗議の混ざった声を上げるが未生は意に介さない。尚人をそのまま栄の目の前まで連れてくると、跪かせる。尚人の顔はちょうど栄の腰くらいの高さ。嫌な予感がした。
「だって尚人、ずっとあいつとセックスしたかったんだろ? 抱いてもらいたいならその気にさせなきゃ。ほら、やんなきゃいつまでもこのままお預けだ」
「ナオ、やめろ。俺はいいから」
未生の意図を知った栄の腰は引ける。こんなところで、よりによって未生の目の前で未生の命令に従った尚人からの口淫なんて、そんなもの求めてはいない。
だが未生は動揺する二人を見るのが面白くて仕方ないといった様子でさらに尚人を煽る。
「挿れて欲しいなら、まずは勃たせなきゃいけないよな」
その言葉に呼応して、おずおずと尚人の手が伸ばされる。栄のスウェットを下ろし、まだ柔らかいものに手を触れ唇を寄せる。
そこを湿った感触に包まれるのは初めてではない。過去に何度か尚人にフェラチオをしてもらったことはあるが、視覚的には興奮するものの正直そこまで気持ちの良いものではないというのが栄の印象だった。
何より栄自身は他人の性器に口を触れることにどうしても抵抗がある。自分ができないことを尚人に強いるのは不公平だという後ろめたさも手伝ってわざわざ求めることをせずにいたら、いつの間にか尚人が栄のそこに唇を寄せることはなくなっていた。
「ごめん。でも栄の、欲しいんだ」
尚人がそうつぶやくと熱い息が栄の敏感な場所に触れ背中がぞわりと粟立った。数年ぶりの行為は、過去に経験したものとは大きく異なっていた。尚人はまずは唇と舌を使って丹念に愛撫しながら栄のそこに十分な唾液を絡ませる。そして反応を見せるペニスを両手で持ち上げ、体積を増しつつある先端を口いっぱいに含んだ。
「ナオ、これ……、っ」
快感を素直に表すことを躊躇して栄は吐息を殺す。かつての、子猫がミルクを舐めるような拙い行為しかできない尚人とは別人のようだった。口や舌を使って男を喜ばせる方法を尚人はいつの間にか習得し、今こうしてその成果を栄相手に披露しようとしている。
硬くなった栄の先端を自ら上顎に擦り付けて、尚人は熱いため息を漏らす。そして十分に口の中で育ったものを一度開放すると、思わせぶりな上目遣いで訊いた。
「栄、気持ちいい?」
別人のようにいやらしい恋人の姿に、腰が疼く。このままその頭を掴んで、喉の奥まで押し付けてそこに出してしまいたい――そんな嗜虐的な欲望すら湧き上がる。
だが、尚人の淫らな表情を見てニヤリと笑う未生の言葉が栄に冷や水を浴びせた。
「気持ちいいのなんか当たり前だろ、俺が仕込んでやったんだから」
その言葉に栄の頭の中のどこか、興奮を司る場所がすっと冷たくなる。そうだ尚人は決して自分一人でこんなことを覚えたわけではない。目の前にいる未生相手に、未生が喜ぶやり方を教え込まれて、栄に対してもその通りにやっているに過ぎない。
必死に舌を絡ませる恋人の姿は蠱惑的ではあるが、栄の勃起は中途半端なところで止まり、顎がだるくなったのか尚人の動きもやがて遅くなる。
「はい、時間切れ」
そう言って未生は、尚人の腕を引いて再び立ち上がらせた。
「てめえ、何するんだよ」
「だってしょうがないだろ。そんなフニャチンじゃ尚人を満足させられないんだから。見ろよこいつ、舐めてるだけで後ろまでぐちょぐちょになるくらい濡らして、もう限界だよ」
そう言われて目をやると尚人の勃起は腹に付くほどで、溢れた先走りは下腹部から腿まで濡らしている。未生は切実な表情を浮かべる尚人の薄い尻に手を伸ばした。
「……あ」
指がどこに触れたのかなど、見なくたってわかる。そしてもちろん触れるだけではなく、それが襞の内側を探りはじめることも。
「残念だな尚人、せっかく彼氏のアレでここを思い切り突いてもらえるって期待してたのに。あいつやっぱり駄目なんだって。どうしよう?」
そう言いながら中を嬲られ、尚人は泣きそうな顔で栄の表情を伺う。そして堪えきれずつぶやいた。
「未生くんの、欲しい。挿れて……」
「ナオ!」
しかし少なくとも今の尚人が求めているのは紳士的で優しい恋人などではなく、耐え難い渇きを満たしてくれる存在。赤裸々にねだられた未生は満足げに笑うとボトムの前を緩めた。
怒りと嫌悪で頭がおかしくなりそうなのに、なぜだか目をそらすことができない。薄赤い襞の隙間を出入りしていた指が抜け、代わりに他の男の凶器がその場所を食い破るのを栄はじっと眺めていた。
「……ん、ああっ」
まずはゆっくり馴染ませるように、狭い場所を味わうように、未生が腰を押し付けると尚人の唇からは歓喜の声が漏れる。何度も、何度も、押して引いて、未生が少しずつ尚人の奥を暴いていくにつれて、尚人もたまらず腰を揺らしはじめた。
「ナオ、何でそいつので」
目の前で他の男と交わる恋人を眺め栄は呆然とつぶやく。だが、同時に体の奥には奇妙な興奮が宿りつつあった。引き裂かれるような感覚はきっと栄だけではない。尚人もまた、恋人を裏切っている罪の意識に苛まれながら、同時に未生から与えられる快楽に深く溺れていく。
「ごめん、栄。ごめんなさい。でも、あ……っ。未生くん、気持ちいい、そこ気持ちいいよ」
まなじりからこぼれる涙は、栄のためなのか未生のためなのか。
「尚人はここ擦られるの好きだもんな。いいよ、何なら目を閉じてそいつのだと思ってろよ」
「やだ、未生くん、栄。もうわかんない、おかしくなる」
これ以上尚人が憎い男の名を呼ぶのを聞きたくなくて栄は身を乗り出すと尚人の首を抱き寄せキスをする。唇を割れば必死に舌を絡めてくる恋人。目を閉じて、快楽に飲まれ、もはや栄と未生のどちらに貫かれどちらとキスしているのかすらわかっていないかもしれない。
おかしくなる、なんて――そんなのこっちの方だ。濃厚な口淫には感じなかったのに、憎い男に抱かれる尚人を見て栄は確かに昂ぶりを感じている。
恋人の痴態をなすすべなく眺めながら、栄は痛いほど張り詰める自らの中心に手を伸ばした。
これは悪い夢。わかっている。だから今はもういい。紳士的な態度も正しいセックスも関係ない。歪んでいても爛れていても、ただ快楽があるのならばそれでいい。
きっと目覚めまでにはまだ時間がある。
(終)
2019.06.16
※ノリノリで書きはじめた割に難産だった栄バージョン。本編の展開上仕方ないとはいえ不憫さが漂ってしまう。しょせん夢なので、自身のセックスへの欲求が未生に転化されているだけで結局尚人を抱いてるのは栄なんですけどね。
※本当は尚人に卑語もっと言わせたかったけどあんまりキャラクターを崩壊させるのもまずいので自重。ともかくこれで作者の3Pへの欲望を無事成仏させることができました。お付き合いいただきありがとうございました。