(ある邂逅)


「心を埋める」の羽多野と未生が出てきますが(もちろん)この2人にカップリング要素はありません。時期的には「きいろとあかと」と、「こぼれて、すくって」のプロローグの後くらいのお話。


 季節は夏。場所は新宿駅東口地下通路。電車を降りて一度外に出たものの、土曜日の昼下がりにうだるような日差しの中を歩き回る気にもなれない未生は、涼を求めてちょうど地下に潜ったところだった。

 土曜日は普段ならば尚人の住む中野富士見町へ直行するのだが、今日はどうしても外せない仕事が入ったため恋人は午前中だけ出勤するのだという。どうせなら新宿で待ち合わせて遅い昼食でもとってから部屋へ向かおうという話になった結果、未生も途中下車したというわけだ。

 ちなみに尚人は未生の負担を気にして隔週で互いの部屋を行き来することを幾度となく提案してきたが、壁の薄い学生アパートでのセックスはどうしても声や音が気になる。防音性の観点では尚人のマンションの方がよっぽどましだという理由で、基本的には未生が都内へ通い続けている。

 ともかく仕事を終えた尚人から連絡があるまでもうしばらく、未生はこの猛暑の新宿で暇を潰さなければならない。地下通路は日差しはないもののむっとした熱気が立ち込めていて、本格的な涼しさを得るためには店に入る必要があるのだが、休日の新宿というのは思った以上に混み合っている。ファストフード店やカフェをいくつか覗いてみたがどこも満席だった。

 東口ではらちがあかないので西口側に行ってみようかときびすを返したときだった。

「もしかして、未生くん?」

 どこかで聞いたような声に呼び止められて未生は足を止める。振り返ると、そこには羽多野貴明が立っていた。

「うわ、びっくりした」

 意外な場所で意外なタイミングで意外な人物。未生は思わずのけぞった。

 会うのは確か約一年ぶりになるが羽多野の風貌はあまり変わっておらず、ただ以前はいつもきっちり着込んでいたスーツがサマーシャツにデニムというカジュアルな服装に変わっただけだ。一見爽やかで人当たりがよさそうに見えるがどこか抜け目なさそうな、油断ならない雰囲気もかつてのまま。

「偶然だな、こんなところで会うなんて。君が新宿にいる印象はなかったから人違いかと思ったけど」

「ちょっと待ち合わせで暇潰してるだけだよ。そういうあんたこそ……」

 一年のブランクなど感じさせず以前と変わらない気安い調子で話しかけてくる男に、気まずいのは未生の方だ。

 羽多野はかつて未生の父親である笠井志郎の政策秘書を務めていた男だが、一年ほど前に父の政治資金スキャンダルの責任を肩代わりする形で事務所を去った。秘書とはそういうものだと聞くし、その後の総選挙で議席を失ったという意味では父の側も一定の報いは受けたことになる。だが未生としては羽多野が自分たち一家にどのような感情を抱いているか図りかねた。

「映画でも観ようと思って来たら満席だったから。次の回まで暇潰すにもさすがに暑すぎて。そうだ、なんか冷たいもの奢るから、ちょっと付き合えよ」

 飄々と涼し気な顔をしているが人並みに暑さは感じていたらしい。過去の恨み言どころかまるで旧友に会ったかのような態度で誘ってくる羽多野の姿に、湧いてくるのは警戒感。

「いや、もうすぐ相手も来るはずなんで」

 一度は断りを入れるが、羽多野は聞こうとしない。

「いいじゃないか久しぶりなんだし。待ち合わせの相手から連絡が来たらすぐ店を出ればいいし、俺も映画の時間があるから長居はしないよ。未生くんだってこんな蒸し暑い地下街をうろつくよりどっか入った方がいいだろ」

 毎度強引な男だ。そういえば羽多野が父の秘書だった頃もこんな感じで何かと手伝いを頼まれた。当時は相場より高いアルバイト代を受け取ることで納得していたが、今日の報酬は冷たい飲み物。この男と差し向かいで話をするプレッシャーに比べて正当な対価とは言い難い。

 とはいえ未生も暑さをしのげる場所を探していたところだ。土地勘のない自分が満席のカフェばかりをさまよい歩くよりは、このあたりに慣れているらしき羽多野に付いていった方が冷房の効いた場所を探すための効率は良い。

 こっちの方が穴場なんだよ、と連れていかれたのは地下街でも歌舞伎町や西武新宿駅に近いエリアで、実際に一軒目の喫茶店であっさりと空席が見つかった。

「で、あんた今は何してんの」

 喫茶店に入り、二人ともアイスコーヒーを頼む。ストローで一口飲んであまり美味しいコーヒーではないとわかったので未生はグラスにドボドボとミルクを注いだ。部屋を訪れるたび尚人がこだわりのコーヒーを淹れてくれるおかげですっかり口が肥えてしまい、外で飲むコーヒーは相変わらず苦手だ。

「俺はね、無職を満喫」

 苦味の強いコーヒーを顔色ひとつ変えず飲んで、羽多野はそう言った。

「うええ、一年も経つのに?」

 未生は思わず驚きの声を上げつつ内心では動揺した。社会人経験のない未生に確信はないながらも、羽多野というのはいかにも仕事ができそうな男である。なのに一年も再就職ができないというのは三十代後半と聞いている年齢のせいなのか、それとも全国ネットの地上波テレビ番組で顔出しで「悪徳議員秘書」と叩かれたせいなのか。

 やはりこの男は未生を捕まえて過去の恨み辛みをぶちまけるつもりなのではないか。それどころか慰謝料などと言われたところで貧乏学生の未生には――。しかし羽多野自身はむしろ未生の反応を面白がるように、ふふと小さく笑った。

「そういう君は? お父さんや他のご家族はN県に引っ越したって聞いたけど、見た感じ未生くんはこっちに残ってるみたいだな」

「行くかよ、あんなとこ」

 未生は吐き捨てた。そして羽多野に促されるままに大学を受け直して今は千葉に住んでいること。看護師を目指していることを話した。

「へえ、見直した」

 半年間の猛勉強で国立大学に合格したことや父からの自立を目指してアルバイトに明け暮れていることなど、一通りの話を聞いた羽多野は率直に未生を賞賛した。この男は過去の未生のだらしない生活も家族との関係も知っている。見直した、という言葉からは過去の羽多野が未生をどんな人間だと思っていたかが垣間見えるが敢えて追求はしない。

「俺なりにあのときのことは反省したんだよ。あんたにも迷惑は掛けたし」

 あのとき、というのは金銭スキャンダルに先立って未生が実父の醜聞を週刊誌に売った事件のことで、子供じみた衝動で周囲に迷惑を掛けたことに対して珍しく羽多野が怒りをあらわにした。もちろん未生の回心の一番大きなきっかけは弟を傷つけてしまったことだが、普段怒りや苛立ちをあまり顔に出さない男の叱責もそれなりに響いた。

「反省、か」

 遠回しな謝罪の言葉に羽多野は薄く微笑んだようだった。だがそれ以上未生の過去の行状について追求することはなく、思い出したように話題を変える。

「ところで待ち合わせ相手は彼女?」

「うるさいな。違うよ」

 急にプライベートな話題に突っ込まれた未生は反射的に否定する。

 そういえば羽多野は何も知らないわけではない。入院した谷口栄の病室で恋人らしい男と会ったと話していたが、それはもちろん尚人のことだ。過去の幼稚な行動を蒸し返されるよりよっぽど怪しい雲行きに未生がふてくされたように視線を逸らし再びストローを口にすると、羽多野はニヤリとして声を潜めた。

「ってことは彼氏か」

「……っ」

 あまりに直接的な指摘にコーヒーが気管に飛び込んでくる。思い切りむせる未生の姿がよっぽど面白いのか羽多野は楽しそうに続ける。

「図星だな。ったく、生意気でもそういうとこはまだまだガキだな。……あれ、待てよ。もしかしてそれって例の?」

「例のって、何だよ」

「谷口くんから寝取ったっていう」

 ようやく咳が止まりかけたところで、未生は今度はコーヒーを吹き出しそうになる。思わず噛み付くように聞き返した。

「何で羽多野さんがそんなこと知ってるんだよ!」

 だって羽多野が知っているのは、谷口栄に男の恋人がいるということ。そして一度だけ尚人と簡単な挨拶を交わした。それだけであるはずだった。

 尚人は決して口が軽いタイプではないし、栄は見るからにプライドが高そうで自らの恥を進んで話すことはなさそうだ。つまり未生は、自分たち三人の間に起きたことは、他には誰一人として知らないものだとばかり思っていた。なのにこの、ただ父の秘書だったというだけの男があっさりと秘密を口にするのだから驚かないはずがない。そして続いて羽多野が明かした情報源はますます未生を戸惑わせた。

「谷口くんに聞いたんだ。とはいっても、長く付き合っていた恋人がよりによって君と浮気してたこととその後別れたことまでで、その彼氏が今は君と付き合っていることまでは知らなかったけど。それにしても未生くんも水くさい、俺が谷口くんに彼氏がいるって言ったときに教えてくれればいいのに」

「言うわけないだろそんなこと。っていうかあんた、あいつとそんな話するほど親しいのかよ」

「だって、俺は聞き上手だから」

 そう言って見せる笑顔はかつてなく不気味だ。

 尚人から、未生の父と羽多野は仕事の上では谷口栄に相当な負担をかけ続けて、それこそが栄が倒れた理由のひとつなのだと聞いたことがある。果たして潰れかかるほど追い詰めてきた相手に、わざわざ寝取られ話などするものだろうか。

「あんたのそういうとこ、マジでキモい。ていうか誤解するなよ。尚人とあいつが別れてからも俺はずっと会ってなかったし、ちゃんと時間を置いて、付き合うようになったのは最近の話で……」

「別に俺に言い訳する必要ないだろ」

「それに谷口は外国に行くんだから、今さら気が変わったとしても邪魔なんかできないし」

 半ば自分に言い聞かせるようにそう言った未生に、羽多野の表情が変わる。

「へえ、海外赴任の話は知ってるんだな。もしかして谷口くんの渡航日も知ってる?」

 もちろんだ。というか、それが原因で未生と尚人は先週の土曜日にひとしきりけんかをした。存分に抱き合ってまったりとしている最中に尚人のスマートフォンがメールの着信を告げ、その差出人が他でもない谷口栄だったのだ。

 内容は取り立てて怪しいものではない、海外赴任の具体的な日程が決まったことを知らせる友人知人への一斉メールだった。だが、それでも宛先に尚人が含まれていることが気に食わない未生と、そんなことを気にする未生の心が狭いと主張する尚人は激しく言い合い、その晩は互いに背を向けて眠りについた。

 翌朝にはそれぞれが自分の大人気なさを反省して仲直りはしたのだが、貴重な週末の数時間をけんかに費やす羽目になったことを思えば今も未生は面白くない。

「確か今月の十八日って言ってたけど。ていうかあんな話まで聞き出すくらい親しいなら自分で訊けばいいじゃん」

 思い出すだけで嫌な気持ちになった未生が吐き捨てるように言うと羽多野は思案げにつぶやく。

「まあ、それでもいいんだけど。俺、谷口くんにはあんまり好かれてないから」

 渡航日すら教えてくれないほど嫌われている相手の秘密をどんな方法で聞き出したのかと思うとますます恐ろしい気分になった。

「ていうか、そんなこと聞いてどうすんの」

「別にどうもしないけど、ロンドンに行く機会があれば挨拶くらいしてもいいかなって」

 羽多野がそう答えたところでテーブルに置いた未生のスマートフォンが鳴り出した。もちろん相手は尚人だ。ちょうど新宿駅に着いて、JRの西口にいるらしい。

「え? いいよ来なくて。俺が行くから」

 未生のいる場所に向かうと言う尚人の言葉を断ってから電話を切ると、羽多野がしみじみとした顔でこちらを眺めている。相手が誰だかはもちろんばれている。

 居心地悪く「じゃあ俺、そろそろ」と席を立とうとする未生に意地の悪い大人は低い声で追い打ちをかけた。

「いいなあ初々しくて。これからデートしてどっちかの家でお楽しみって感じ? 谷口くんはあっちの方には自信がないみたいだったけど、未生くん相手だと例の彼も満足なんだろうな」

 人目のある場所であまりに品のない言葉。男としては褒められているのかもしれないがちっとも嬉しくはなかった。というかシモの話をするのならば、この男の方がえげつないセックスをしそうな気がする。まあ、そんなこと未生には一切関係のない話なのだが。

「あんた、柄にもなく品のないこと言うんだな。……まあいいや俺行くから。コーヒーごちそうさま」

「じゃあ、良い休日を」

「いい加減仕事探せよ、おっさん」

 手を振る羽多野を振り返らず未生は店を後にする。こちらに来るという尚人を止めたのは正解だった。あんな爆弾みたいな男と尚人を会わせるわけにはいかない。

 しかし、あの羽多野から仕事とはいえひとしきり絡まれるというのはきつそうだ。それどころかプライベートの性志向や、恋愛の失敗についても知られ――今は海外赴任の詳細を探られている。「何かのついで」に会いに来られたところで栄が喜ぶはずがないことは、未生にすら想像できることだ。普段は憎らしさしか感じない谷口栄という男に、未生はなぜだか一抹の同情心を抱いた。

 ともかく君子危うきに近寄らず。羽多野が栄に会おうがどうしようが自分たちには関係のない話だ。未生は、尚人には決して羽多野と会ったことも、羽多野が栄の現在を気にしていたことも話さずに置こうと決めた。

 

(終)
2019.07.01

タイトルとURLをコピーしました