気の合わないふたり


恋で死ぬ。かもしれません」番外編です。本編完結後のクリスマスあたり。


 蒔苗まかないさとしには、少し前に生まれて初めて「恋人」と呼ぶ対象ができた。

 何もかもは想定外だった。そもそも「死んだ人間にしか欲情しない」という特殊な性癖を持つ自分が、生きている人間とごく普通に抱き合う日が来ようとは思ってもみなかった。

 自分が屍体愛好者ネクロフィリアになったことには特段の理由もなければ、もちろん過去のトラウマが影響しているわけでもない。あえていうならば蒔苗が思春期に差し掛かる頃、夜更かしして観ていた深夜映画に出てきた女性を見ているうちに勃起した、あれがはじまりだったのかもしれない。その映画は見るからに低予算の、劇場公開されたかも怪しいような陳腐なスプラッタホラーだったが、血の気を失って横たわる女優の顔は異様に美しく、蝋人形のような裸体に奇妙な興奮を覚えた。

 ともあれ、その一件で蒔苗は自分の性癖を自覚した。そして生まれついてのマイペースな性格ゆえか、一風どころでなく変わっている嗜好にも特段思い悩むこともなく自らの道を突き詰めてきた。

 悩みといえばせいぜい「殺人や死体泥棒を犯すことなく、二次元以外で欲望を満たす方法はどこかにないか」というものくらいで、コスプレ風俗やイメクラのような風俗店に活路を見出そうとしたこともあったが上手くはいかなかった。興奮して相手の首をしめてしまったり、逆に相手がふいに「人間らしい動き」をした際に気持ち悪くなって吐いてしまったり。両手ほどの店から出入り禁止を言い渡されたところで、風俗店では自分の欲望は受け入れてもらえないのだと納得した。

 蒔苗の恋人は明里あけさと亮介りょうすけという名前で、ほとんどの人間は名字を音読みして彼のことを「アカリ」と呼ぶ。蒔苗が頑なに今も彼のことを「明里」と呼び続けることに特段意味はないが、そもそも親しい友人を持ったことがないから人をニックネームで呼ぶきっかけというものがよくわからないのだ。

 同じ大学同じ学部、同じ専攻であるにも関わらず、アカリは同じ倉橋ゼミに所属することになるまで蒔苗の存在を認識していなかったようだ。一方蒔苗は一年生の後期にはすでにアカリの顔と名前を知っていた。同じ大教室で一般教養の授業を受けるたくさんの学生の中で、どことなくアカリは目を引いた。いつも男女問わず多くの友人たちと一緒にいて、楽しそうに談笑している姿は教室の中でも目立っていたような気がする。「アカリ」と女のような名前で呼ばれるのを耳にして「変わった名前だな」と思い、しばらくしてそれがただのニックネームなのだと知った。

 眺めているうちに、アカリには多くの友人がいるものの特定のグループには属していないことに気づいた。誰とでも明るく仲良く楽しそうに、しかし誰とも一定の距離を保っている。ごく稀に大学構内をひとりで歩く姿を見かけると、少し疲れたような、でもほっとしたような顔をしている。そのギャップも印象に残った。

 だから、マイナー映画を観に行った帰りに偶然歓楽街近くの裏道でアカリの姿を見かけたときにも何となく気になって後をつけてしまったのだ。それどころかアカリが人気のない公園で見知らぬ男とセックスをはじめるのを目にしたとき、生身の人間同士の性行為など普段ならば動物の交尾を見るのと同じ白けた気持ちになるだけなのに、ふと気まぐれで「あいつと抱き合っているのが自分だとしたら」と想像してしまった。もちろん生身の人間を抱く自分を生々しく想像した瞬間どうしようもない嫌悪感に襲われ嘔吐してしまったのだが。

 ともかく紆余曲折があり、結果的に蒔苗とアカリは恋人になった。

 最初は「あいつが死体だったら、きっとすごく魅力的だろう」という倒錯した思いからはじまった関係だが、今ではアカリはこの世で唯一の生きて動いているにも関わらず蒔苗に欲望を抱かせる特殊な人間に分類される。

「……で、なんか浮かんだか?」

 ソファで蒔苗の肩に頭をもたせかけるようにしてスマートフォンをいじっていたアカリが問いかけてくる。

「いや、まだ」

 というか、回想に浸っていた蒔苗はアカリの持ち出した本日の課題である「デートの計画」については一切考えていなかった。

「っていうかさ、蒔苗おまえ、別のこと考えてただろ」

「何でわかるんだ?」

「そのくらい顔見ればわかるんだよ。俺を甘くみるな」

 アカリは蒔苗が心ここに在らずだったことを鋭く言い当てた。

 そう、蒔苗の恋人は鋭い。表情に乏しく、常に淡々としてテンションの上下がわからないと言われがちな蒔苗なのに、アカリときたら機嫌の良し悪しから何から簡単に言い当ててしまうのだ。不思議に思ってどんなコツがあるのか訊ねれば「長年飼っていれば亀や魚の機嫌だってわかるらしいから、それと一緒だよ」と笑われて終わるがいまいち納得はいっていない。

 それはともかく、本日のテーマは「デート」である。

 架空の死体への愛を求道していた蒔苗。そして高校生の頃から数多の相手と関係を持ってきたものの「面倒だから一晩限り」を徹底していたというアカリ。蒔苗だけでなく、アカリにとってもいわゆる「恋人との交際」はこれが初めてで、しかも肉体関係が先行しただけに二人は普通のお付き合い的なデートをしたことがない。

 蒔苗はもともとインドア派なので、家の中でダラダラ過ごして雰囲気が良くなればセックスになだれ込むだけで満足している。家の中でダラダラといっても、蒔苗のコレクションしているDVDを観ていると八割以上の確率でアカリの機嫌が悪くなるので、最近では特にやることもなく部屋にいるだけだ。蒔苗としては、一緒にゼミの課題に取り組んだりデリバリーのピザを食べたり、感情豊かでおしゃべりなアカリを見ているだけでも面白いのだが、どうやらアカリはそれでは物足りないらしい。

「なんかさ、俺たちって付き合いはじめて間もないはずなのに、倦怠期のカップルみたいじゃねえ?」

 突然思い詰めた顔でそんなことを言い出したアカリは、二人でどこかへ外出するという、いわゆるところの普通のデートを自分たちもすべきなのだと強弁した。

 以前の蒔苗ならばあっさり断っていたところだが、アカリへの恋愛感情を自覚してしまってからは以前のようにはいかない。よっぽど自分の信条に反すること以外であればアカリの望むことは叶えてやりたい――蒔苗は人並みの感情を習得した。

 そんなこんなで、それぞれ手分けして一緒に楽しめそうなデートコースを考えることになったのだが、これがなかなか上手くいかない。

「テーマパーク」とアカリが言えば、

「並ぶの苦手だし、そもそも明里だって高いところもスピード出る乗り物も駄目なんだろ」と蒔苗。

「映画」と蒔苗が言えば、

「部屋でDVD観てるのと一緒じゃん。そんなんじゃつまんねえよ」とアカリ。

 二人ともスポーツ観戦には興味がない。美術館や博物館は自分のペースでのんびり回りたい方だから、入り口から出口まで別行動になってしまうのが目に見えている。

「……こうやって改めて考えると、俺たちことごとく趣味が合わないな」

 インターネットの「オススメデートスポット」ガイドに出ているすべての選択肢が潰えたところでアカリがぼそっと呟いた。その口ぶりはどことなく寂しげだ。

「まあ仕方ないか。生まれ育った環境も違うし、俺は生粋のゲイで、おまえは死体に欲情する変態だし。気は合わなくても体の相性は合うし、それで十分だって思わなきゃいけないんだとな」

 投げやりに言われると、それはそれで蒔苗は納得がいかない。

 第一、どこかに共通する部分があるから同じ大学の同じ学部を選び同じゼミを志したのだろうし、二人とも映画は好きなはずだ。もちろんアカリが好むのはアート系の映画で、蒔苗がコレクションしているのはホラーやスプラッタ映画がメイン。しかし蒔苗は死人が山ほど出てくる残酷映画以外もそれなりに好きだし、アカリの好きな映画やDVDを一緒に観ようと誘ったこともある。しかし決まって「いや、やめとく」と断ってくるのはアカリだ。

「これじゃ、だめなのか?」

 蒔苗はテーブルの上に置いてある映画のフライヤーを手に取る。数日前にマークと百合子が観に行って「すごく良かった」と渡してきたメキシコ映画。ホラーでもスプラッタでもない幻想的な人間ドラマで、紹介されたその場ではアカリだって目をキラキラさせて観たいと言っていた。

「これ観に行って、ついでに映画館の近くぶらぶらして、焼肉でも食いに行けばしっかりデートだろ? 近くでイルミネーションもやってるらしいぞ」

「うーん……」

 映画と肉はアカリの大好物だし、イルミネーションのようなベタなものだってきっと好きに決まっている。一体何がアカリの中で引っかかっているのかわからず蒔苗は首を傾げるしかない。だが昔からマイペースで人の気持ちを察することに劣っているのは自覚しているので、おそらくここは自分が何か大事なものを見落としているのだ。

 だが、しばらく眉根を寄せて考えにふけっていたアカリは結局覚悟を決めたように言った。

「そうだな。じゃ、その計画でいくか」

 そして、アカリのアルバイトが休みでかつ講義が早めに終わる日に、ふたりは連れ立って師走の街に繰り出した。

 はたから見ればただ男友達が並んで歩いているだけなのだろうが、紛れもない初デート。蒔苗としては手くらい繋いだって構わないと思っている。しかし長年隠れゲイを徹底して生きてきたアカリが嫌がるのはわかっているから人前で性癖を怪しまれるような態度は取らない。

「すげー。きれい」

「映画が終わる頃には点灯してるんじゃないか?」

 巨大なクリスマスツリーにバカラグラスのシャンデリア。まだ点灯されていないイルミネーションにすらアカリはたいそう興奮している様子だ。万事において無感動気味な蒔苗と比べてアカリはマニアックなアートへの感性と、大衆的でベタなものに素直に感動できる心を併せ持っていて、それは率直にいいことだと思う。

 映画館の近くにあるカフェで軽く腹ごしらえをしてから館内に入る。アカリはパンフレットを買い、蒔苗は水を二本買って席に着いた。やがて客電が消え、予告編が終わる頃には隣のアカリはスクリーンに夢中になっている。

 そして二時間強、蒔苗の頭にほとんど映画の内容は入ってこなかった。

 映画の進行に合わせて少年のように笑い、不穏な展開には眉根にシワを寄せて息を飲み、アカリは完全に作品の中に入り込んでいた。試しに暗闇の中で手でも握ってみるかと指を伸ばすが、蒔苗の指先が軽く手の甲に触れた程度では気づきもしない様子に何だか悪いことをしているような気分になって手を引っ込めた。

 映画でいいじゃないか――自分から言い出したことを少しだけ後悔する。全身全霊で映画に没頭しているアカリのくるくると変わる横顔を眺めるのは面白くて、でもそれ以上に面白くない。蒔苗は暗闇の中、そっとため息を吐いた。

「すっげえ良かった。マークさんとゆりっぺのオススメにはやっぱ外れがないな。なあ、蒔苗?」

「うん、そうだな」

「ヒロインが夜の道を裸足で走る場面とか、むちゃくちゃぐっときた」

「うん」

 終演後、きらびやかなイルミネーションもそっちのけで熱く映画の感想を語るアカリを見ていると、面白くない気持ちも少しずつ和らいでくる。もちろん映画の中身は頭に入っていないので生返事しかできはしないのだが、恋人が楽しんでいたならばたまにはこういう風に外出するのも悪くはない。

 しかし、ようやく気を取り直した蒔苗とは反対に突然アカリは表情を厳しくした。

「何だよニヤニヤして適当な返事ばっかり……あっ、やっぱりおまえ!」

「やっぱり……?」

 蒔苗がもし今、傍目にわかるほどニヤついているのだとすれば、それはもちろん恋人の微笑ましい姿を見つめていたからに違いない。しかしアカリは怪しむような目でじっとりとにらみながら言う。

「やっぱり、あの中盤で出てきたヒロインの母親の死顔とか、ギャングの襲撃シーンで出てきたヒーローの親友の死にざまとか見て、やらしいこと考えてたんだろ!」

「えっ?」

 完全に思いも寄らない指摘に蒔苗は柄にもなく驚きの声をあげた。

「だからおまえと映画は嫌なんだよ……あ!」

 そこでアカリはしまった、という表情で顔を赤らめた。だが、蒔苗がいくら鈍感だといえそこまで言われて察しないはずがない。

――アカリが蒔苗と一緒にDVDや映画を観ることを嫌がる理由。

「なんだ、そういうことだったのか」

 たとえスプラッタ映画やホラー映画でなくとも、画面に出てくる「好みの死体」に蒔苗が心惹かれたり欲情したりすること、アカリはそれが面白くなかったのだ。

 蒔苗は拍子抜けした。もちろん映画の中の美しい死体に興味を惹かれる自分を否定はしない。だが、隣に実際に触れることができる恋人がいるというのに、彼をないがしろにするほど画面の中の人物に夢中になることなどあるはずがない。

「いや、あの。それは」

 嘘が下手なアカリのことを、以前の蒔苗だったら「妙なことを考えるんだな」と冷静に評して済ませていたに違いない。しかし今は――とても笑えそうにない。何しろ蒔苗だって映画に没頭しているアカリを見て恋人を二次元に奪われたような気分になった、それはきっとアカリが感じていたささやかな嫉妬と同じ類のものであるに違いないのだから。

 蒔苗はアカリの腕をつかむと、予約してある焼肉店に向かって足早に歩き出す。

 ささやかな嫉妬は、ばれてしまっただろうか。例え今ばれていなくても、今夜ベッドに入れば抱きしめる腕の力や押し入る熱で何もかも気づかれてしまうかもしれない。でも、ささやかなプライドと秤にかけて、それでも恋人への独占欲というのは御しがたい。

 蒔苗は振り返るとアカリに向かって一言、改まって告げる。

「とりあえず、しばらく映画はやめておこう」

 ことごとく趣味の合わない二人だが、この一点においてはどうやら意見が一致しているようだ。

(終)

2017.12.17