寝転んでスマートフォンを眺めていた未生は、ぱっと体を起こすと液晶画面を尚人に向けた。
「尚人、見ろよ今週のクーポン。ハーゲンダッツのミニカップ無料だって!」
「……へえ」
確かに画面には、アイスクリームの写真。そういえばハーゲンダッツを最後に食べたのはいつだったっけ。
尚人は日常的に甘いものを求めるタイプではない。甘党の未生のためにたまにコンビニスイーツを買うことはあるけれど、若いだけあって「質より量」な未生はプレミアムな〈アイスクリーム〉よりも、同じ値段で倍量買える〈ラクトアイス〉で満足してしまうタイプだと思っていた。だが、どうやら無料で高級アイスをもらえるとなると話は別らしい。
ハーゲンダッツ無料クーポンに対する尚人の喜びが足りないと不満げな未生は思い出したように続ける。
「なんだよ尚人、無感動だな。っていうか尚人もこのクーポン届いてるんじゃないの?」
「え、あ、あれは……」
そういえば先週、コンビニエンスストアのフライドチキンを手に現れた未生は「大学で教えてもらったんだけど、このアカウントと友達になると毎週なんか無料でもらえるんだって」と言って、尚人にも公式アカウントを登録するよう勧めてきたのだった。
「忙しくて、忘れてた」
忙しかったというのは嘘ではない。だが、週に一度、ホットスナックや飲料を無料でもらえると聞いても正直食指が動かなかったというのが本音だ。
尚人はもともと人見知りで引っ込み思案なタイプなので、できれば買い物中も店員と余計な会話をせずにすませたい。数百円程度の得をするためにわざわざ店員にクーポンを見せて余計なコミュニケーションを増やすことには気が進まないのだ。
「ふーん……」
未生は尚人の言葉に納得がいかない様子で、顔をじっと見つめてくる。自立心の強い大人びた雰囲気の中に、寂しがり屋で甘え上手の子どもっぽさが同居する。未生のこの目に射抜かれると、指一本触れられたわけでもないのに尚人はどきどきしてたまらなくなる。
しかし未生の頭にあるのは、どうやら甘さとは対極の懸念だったようだ。
「どうせ、あれだろ。クーポンみたいな貧乏くさいの、あいつが嫌がるから使ったことないとか、そういうのだろ」
拗ねた口ぶりで、「俺は貧乏学生だからな」と付け加える未生に、尚人はどんな顔で何と返せば良いのかわからなくなる。
あいつ、というのはもちろん尚人の元恋人である谷口栄のこと。栄の側から尚人に別れを告げて、同居を解消して以来一度も会っていない。もう未練はないのだと何度言い聞かせても未生は折に触れて栄への嫉妬を口にするのだ。
尚人としては、いいかげんうんざりしつつも、栄と暮らしていたマンションから持ってきた家具家電だらけの部屋に未生を招いている後ろめたさその他もろもろを考えると苦言を呈することもできない。それに正直、未生がストレートに嫉妬や独占欲を口にしてくれることを嬉しく感じてもいるのだ。
「考えすぎだよ。別にそんな理由じゃないって。栄だってセールで買い物することもあったし……単にこれは、僕があんまり店員さんと話したりするのが得意じゃないから」
と言いつつ、記憶を呼び起こせば栄がセールに行くといえば高級服飾店で、飲み食いするものにクーポンやら割引券やらを使っているところは一度も目にしたことはない。もし一緒に買い物するときに尚人がクーポンを取り出せば、冷え切った眼差しで「そんなもの使うな」と咎めてきただろう。たった数度しか会ったことないのに、未生が栄を正しく見抜いていることには驚かされる。
「ふ~ん。まあいいや、あいつがどんだけ上流ぶってようが、俺には関係ない話だし。ほら、尚人のスマホ貸して」
歯切れが悪いながらも、元彼の話題をしつこく引きずるのも格好悪いとでも思ったのか、未生は尚人へ手を伸ばす。
「……はい」
今の尚人のスマートフォンには、恋人に見られて困るものなど何も入っていない。ロックを外した状態で差し出すと、未生はメッセンジャーアプリを開いた。とはいえ別に尚人と誰かのやりとりを確認するわけではなく、さっと、コンビニチェーンの公式アカウントを友達登録してしまった。
「ほら、尚人ひとりのときは使わなくても、俺がいるときならまとめてもらってやるから」
ハーゲンダッツ、せっかくなら半分こじゃなくて一個ずつ食べたいし、と照れ隠しのように付け加える未生が可愛らしくて、尚人は頬が緩むのを堪えきれない。
そんな、休日の昼過ぎ。
(終)
2021.04.27