未生がミニスカナースのコスプレをする話(1)

「というわけで、笠井くんも応急処置実演ブースに参加というわけで!」

 威勢のよい声と同時に、ぱらぱらと沸き上がる拍手。突然名前を呼ばれた未生は、はっと眠りの世界から呼び起こされる。

「は!? 何の話!?」

 ――時は秋。

 といえば学祭シーズン。世の大学生にとっては一大イベントだ。

 大学生にとっては、という留保をつけたのは、未生にとって学祭のイメージは、サークルで露天を出したり、パリピ集団の実行委員会が三流芸能人を呼んだステージを企画したりといった、自分とは無縁の馬鹿騒ぎに他ならないからだ。いや、それでもかつて通っていた「名前を書けば入学できる大学」時代は、悪友たちと会場内をぶらついてナンパに精を出すくらいのことはしていたっけ。

 再受験をして入学したこの大学でも、ほとんどの学生は若者らしい軽さでお祭りを楽しもうとしてはいるものの、そこはやはり学風の違い。全体的には真面目な企画が目立つ。

 未生の所属する看護学科の学生は、毎年有志で応急処置や救命措置の実演ブースを開くのだと聞かされたときは、正直引いた。運転免許の講習じゃあるまいし、わざわざ学祭に出かけて救命を学ぼうなどという物好きがいるとは思えない。

 単位にもならないお遊びに付き合うよりはアルバイトで小銭を稼いだ方がよっぽどましだと思っていた未生だが、「とりあえず話だけでも」と企画会議に連れ込まれ、うたた寝している間に役を割り振られていたようだ。これは、ただごとではない。

「……おい、話がちがうじゃねえか」

 ホワイトボードの分担表に書かれた「笠井」の文字をにらみながら未生が低い声を出すと、幹事役の栗原範子は両手を合わせて媚びを売るような表情を作った。

「笠井くん、お願い! 三十分だけでいいから参加してよ! なんなら客引き手伝ってくれるだけでもいいから」

「客引き? なんでそんなもんがいるんだよ」

 物販を行うのであれば赤字を避けるために集客しなければいけないのは理解できる。だが看護学科がやろうとしているのは無料の実演イベント。空き教室に手持ちの模型や人形を持ち込むだけで労働力は学生なのだから、経費もかかるはずはない。

 だが、範子は唾を飛ばしそうな勢いで熱弁する。

「だって、応急処置なんて地味じゃない。去年は来場者が少なくて、せっかく指導してくれた赤羽先生がっかりしてたんだって。だから今年は悲劇を繰り返さないよう、看護学科選りすぐりの美女とイケメンを並べようと思って! 心臓マッサージやマウス・トゥ・マウスの指導してもらえるとなれば、きっと行列よ!」

 未生はそっと顔を背け、隣でスマホゲームに精を出している篠田に囁く。

「……おい、あいつ頭どうかしたのか」

 範子の挙動がおかしいのはいつものことだが、それにしても普段以上にテンションが高い。第一医療措置の実演なんて普通は人形を使うもので、れっきとした大学内でのイベントであることを考えても、美男美女との触れ合いを売りにするなどまかりとおるはずがない。

 篠田もまた、声を殺すようにして答えた。

「栗原、最近赤羽先生に熱を上げてるんだよ」

「ああ……」

 たったひと言で合点がいった。

 栗原範子といえばとっておきに惚れっぽく、しかも貢ぎ体質のダメ男好き。少し前まではミュージシャン志望の無職に寄生されていたが、どうやらその男はより好条件の宿主を見つけて範子のもとを去ったらしい。そして新たなターゲットが、三十代半ば、学内では若く爽やかな若手教員の代表格である准教授の赤羽というわけだ。今回は「貢ぎ」のかわりに、赤羽が指導する学祭イベントの成功に血道を上げていると考えれば不思議はない。

 範子の恋路など正直どうだっていいし、彼女の赤羽へのアピールに巻き込まれるのは迷惑そのもの。とはいえ、こうなったときの範子のしつこさもまた、誰もが知るところだ。

「なっちゃんもデモンストレーターやってね。篠田君は受付……いや、もしくは実演の前説かなあ。面白いこと言ってどっかんどっかん笑いとってね」

「え? 俺も……?」

 イケメン枠ではない篠田にもきっちり役を割り振って、範子はどんどん話を進めていく。その様子を眺めながら未生は内心で、参加辞退の交渉と学祭当日の最低限の労働力提供を天秤にかけた。どう考えても辞退交渉するほうが面倒な上に、決して勝算が高いともいえない。

 三十分そこら茶番に付き合ってやればすむなら、その方が安上がりだと未生は判断した。

「ちょっと笠井くん、まだ打ち合わせは……」

 無言で立ち上がったのをボイコットの意思表示と思ったのか、範子が引き留めようとしてくる。未生は首を振って言う。

「応急処置も救命処置もこの間授業でやったばっかだから、やり方はわかってるって。当日ちゃんと働けばいいんだろ? バイトあるから、あとは勝手に決めろよ」

 そんなこんなで、未生は今年初めて、多少なりとも主体的な立場で学祭に関わることになったのだった。

「楽しそうじゃない。いいなあ」

 栗原範子の横暴について未生が愚痴をこぼしたところ、尚人は同情するどころか目を輝かせた。未生はため息で返す。

「人ごとだと思って適当なこと言うなよ。俺はああいうお祭り苦手だし、わざわざ学祭でAEDとか心臓マッサージとか、誰が習いたがるんだよ。どうせ閑古鳥でスタンバイするだけ時間の無駄だ」

「学祭ってそういうものなんじゃない? 真面目な企画からふざけたものまで玉石混淆で、だから面白いっていうかさ。学生の特権なんだから、先入観なしに何でも参加してみたほうがいいよ。僕の年齢になると、学祭って響き自体懐かしくて、うらやましい」

 尚人は、未生が周囲の学生と交流を持ち、人並みの大学生活を送っていると聞くと喜ぶ。実の親以上に親のような反応には恋人として複雑な気分になるのだが、善意であることは確かなので下手に文句も言えない。

 それにしても「懐かしい」とは。確かに未生と尚人の間にはそれなりの年齢差が横たわっているが――。

「でも尚人、大学に長くいたじゃん」

 ほんの数年前まで某国内トップ大学の博士課程にいた尚人だ。大学のイベントが懐かしいなんて大げさに思える。

 未生には知ったようなことを言った手前か、尚人は少し体裁悪そうに首を振った。

「修士以降は学祭って感じじゃないよ。それに……学部時代も実は僕、あんまりそういうイベントには……。今思えばもったいないんだけど、当時は授業のことで頭がいっぱいだったから」

 学者を目指して勉学に精を出していた尚人のことだ、未生のような斜に構えた態度とは別の意味で、学生の馬鹿騒ぎとは縁遠かったのかもしれない。あのいけ好かない元彼氏が尚人と並んで学祭を練り歩き、屋台の食べ物を口にしているところも未生には想像できない。

 そこで、ふと名案が浮かぶ。

「じゃあ、尚人も遊びに来ればいいじゃん」

「遊びに……?」

 意味がわからないといった様子で尚人は目をしばたかせる。未生が尚人を自分の大学の学祭に誘っているのだと理解するまでは、そこから数秒。

「いや、迷惑になるからいいよ」

「迷惑?」

 今度は未生が聞き返す番だった。とはいえ未生には尚人の意味しているところはすぐに理解できた。年の離れた男を学祭に呼んで歩くことで、周囲に関係を勘ぐられるのではないかと心配しているのだろう。

 必死に隠し立てするほどでもないが、かといって未生は、自分の恋人が同性であることをわざわざ吹聴するつもりもない。それによって発生する面倒を考えれば、黙っていた方が楽だというのが現在のスタンスだ。

 未生より大人で、かつ常識人である尚人は、おそらくもっと保守的な考えを持っている。普段から、一緒にいるときに未生との関係を問われると、尚人は友人や教え子としてごく自然にごまかす。物心ついた頃から同性にしか惹かれなかったという尚人は、自身の恋愛を隠すことについては、したたかな処世術を身につけているように見えた。

 少なくとも今はカミングアウトしない、というのが二人の共通認識。とはいえ未生は尚人と外出することは好きだ。

 同じ景色、同じものでも尚人と一緒にいると違った見え方をする。気分の問題だけでなく、賢い尚人は同じものを見て未生には思いつかないようなコメントをするし、感性だって違う。一人で歩くことを寂しく思いはしないが、二人で同じものを眺める楽しみを存分に味わいたいというのが未生の考えだった。

 それに――周囲にどう説明するかとは別問題として、自分と尚人が一緒にいることが当たり前であって欲しい、当たり前として認められたい――それは未生にとっての抑えきれない欲だった。見目の良い相手を選んで遊び半分に付き合っているときには他人に関係を見せびらかしたいだなんて思わなかったのに、なぜよりによってこの地味な年上男と。自分でも不思議だが、こういうのは理屈ではないのだろう。

 考えれば考えるほど、自分の大学を尚人と歩くというのは悪くないアイデアに思えてきた。

「迷惑なんかじゃないし、つまんない応急処置見に来いって言ってるわけじゃなくてさ。俺が普段通ってる大学がどういう雰囲気かとか、屋台巡りとか。尚人は興味ない?」

 未生の通う大学を見たくないか? その言葉に明確なイメージが浮かんだのか。尚人の表情がぱっと明るくなった。

「……興味、ある」

 どうやら未生の提案は、お互いにとって魅力的なものだったらしい。

「じゃあさ、俺の用事が終わってから待ち合わせして……」

 ついさっきまでほとんどゴミとして認識していた学祭のパンフレットは、突如として宝の地図に姿を変える。そして、未生と尚人はその日の午後を長々と「学祭デート」の計画に費やしたのだった。

 

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