「未生くん、そこ、あ……」
そしてもちろん、胸への刺激はそのまま下半身に直結する。握られ愛された場所はすでに限界の角度に達し、触れられていないその奥を湿らせようと蜜を垂らしている。
「尚人……」
昂ぶる下半身に気づいた未生が胸から離れ、尚人の両脚を開かせる。
いつだってそこを見つめられるのは恥ずかしい。自分の欲望を知られることへのそこはかとない不安、それでも未生は受け入れてくれるに違いないという期待――いろいろな感情がない交ぜになって、最終的に尚人はただ先を求める。
「未生くん、欲しい」
「なんだよ、ずいぶん積極的だな。やっぱり普段とは違うシチュエーションって興奮する?」
先走りだけでは心許ないのか、ホテル備え付けのローションのパウチを破り、指で尚人の後ろをほぐしながら未生は楽しそうに言う。
「そういえば前に尚人がレースの紐パン履いてくれたときも、すっげえ良かったもんな」
「……ちょっと、そういうこと今思い出さないでくれる」
よりによってこの状況で、尚人が記憶から抹消したくてたまらないことまで掘り起こすなんて。
気の迷いというか勢いというか事故というか、ともかく今振り返ればよくわからない理由で女性ものの下着をつけて未生と抱き合ったことが一度だけあった。確かにあのときもお互いひどく興奮した。だが――。
「あんな倒錯したことは、二度としないって誓ったのに」
「別物だろ。今回は尚人じゃなくて俺がコスプレしてるんだし」
未生の言葉に、尚人は快楽で半ば閉じかけていた目を開ける。そういえばミニスカートの奥はどうなっているのだろう。
「患者さんスケベだなあ。スカートの中が気になるんですか」
「そんなこと……言ってない」
だったら患者の陰部を触りまくるナースはどうなんだ、という不毛なことは言わないようにする。とはいえ実際尚人は未生のスカートの中がどうなっているかに興味があった。もし未生が女性ものの下着なんかつけていたら、どうしよう。
ぴったりとしたタイトなスカートの股間部分は、すでに大きく膨らんでいる。普通だったらどう考えても変質者なのだが、ふたりきりの部屋でベッドの上であれば、こんなことすら欲情のスパイスになる。
「気になるなら、めくってみろよ。尚人って絶対スカートめくりとかやったことないタイプだろ? ほら、何事も経験だって」
迫られて、尚人は思わずごくりと唾を飲んだ。女の子のスカートの中身を見たいと思ったことはないが、未生の太もものその奥は――。ゆっくり手を伸ばして、そっと白衣の裾をめくる。
だがそこから現れたのは何の変哲もない、ただのボクサーブリーフだった。
「なんだ……」
「なんだって、何がっかりしてんだよ。まさか俺がレースの紐パン履いてるかもって期待した? 尚人もやっぱ変態だな」
「違う! そんなこと考えてない……っ」
語尾が乱れたのは、未生が尚人の手のひらを、彼の熱いものに押し当てたから。
「いいじゃん、ナース服着た俺に興奮する尚人も真面目な顔したスケベな変態で、そんな尚人見てすっげえ興奮してる俺も負けないくらいスケベな変態で。誰に迷惑かけてるわけでもないし」
ゆるゆると揉んでやると、そこは完全なる臨戦態勢になる。腰まで白衣をまくり上げると、未生は下着からたくましい剛直を取り出して尚人の腰を抱え直した。
「さあて、じゃあお注射といきますか」
*
――どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ことを終えて冷静になった尚人は、今日一日を振り返って反省の念に震えていた。未生の大学で楽しい学祭デートのはずだったのに、お祭りを堪能するどころかほぼラブホテルに直行で、倒錯的なプレイに溺れているうちに窓の外はすでに暗い。
浮かれて勝手に看護学科の出展まで訪ねていった自分が悪いのか、そもそも嫌がる未生に無理矢理ナースの衣装を押しつけた学生たちが悪いのか。
いわゆるところの「賢者タイム」に浸る尚人とは対照的に、未生はのんきにスマートフォンを眺めている。
「うっわ、すげえ着信来てる。そういえば俺の荷物、大学に置きっぱなしだったんだ」
そういえば未生は、着替えもせずに看護学科の展示会場から出てきてしまったのだ。友人たちが行く末を心配し、残された荷物の処理に困っているのも当たり前だった。
「あれも、どうするの?」
尚人はちらりと、床に落ちたくしゃくしゃの白衣に視線を送る。何度目で脱ぎ捨てたのか覚えていないが、汗や精液でどろどろでとても再度の着用には耐えない。
「安物のおもちゃだし、使い捨てでいいだろ。何か言われたら新しいの買って返すし」
「申し訳ないから、そのときは僕がお金出すよ。悪かったね、君のお友達にも迷惑かけて」
振り払うように逃げてきてしまったが、篠田という学生にも悪いことをした。彼はただの善意で尚人を未生のもとに案内しただけなのに。
「いいんだって、篠田は細かいこと気にする奴じゃないし」
それはそれとして、未生の着替えをどうするかという問題は残る。未生が大学まで取りに戻るにしても、まずホテルを出て行くために着る服がない。代わりに尚人が大学まで行くというのは、ハードルが高い。
「尚人はどんな顔していけばいいかわかんないだろうし、なんか聞かれても対応できないだろう」
未生の言うことは正論で、嘘やごまかしの下手な尚人は「あれからどうしたのか」「未生はどうして来ないのか」「未生とはどんな関係なのか」あたりを質問されれば、動揺して墓穴を掘るようなことを口走ってしまうかもしれない。
結局、まずは尚人が未生の家に行き着替えをとってきて、それから未生が大学へ荷物を取りにいくことにした。
ようやくすべての後始末を終えれば、すでに夕食どきも過ぎている。それどころか二人は昼も食べ損ねていた。
「あー、腹減った。ラーメン、いや、がっつり食いたいから定食屋かな。尚人はどっちがいい?」
「僕も定食屋に一票」
未生の家の近くにある、安くてボリュームがあり、味も良い定食屋。未生は揚げ物か肉のがっつりした定食を頼み、尚人の定番は焼き魚。思い浮かべると胃がぎゅっと空腹を訴えた。
月明かりの中を歩くうちに、ふと未生が申し訳なさそうな顔をする。
「なんか、ごめんな」
「どうしたの急に?」
「尚人、学祭回るの楽しみにしてたんだろ? 結局ほら、ホテル行ってヤって一日が終わっちゃったし」
尚人が賢者タイムに考えていたことについて、未生は今になって思い至ったようだ。仕事がキャンセルになったことで浮かれて出発を早めるくらいに、確かに尚人は学祭を楽しみにしていた。
「大丈夫だよ、学祭なんて明日だって、何なら来年だってあるし」
そんなことより、ごく短い時間ではあったが、未生が周囲の学生に溶け込んで楽しそうに大学生活を送っているのを目の当たりにしたことの方がずっと価値がある。
尚人がそう告げると、未生はいつものように顔をしかめた。
「だから、それが複雑なんだよなあ」
「僕だって、嬉しいけど複雑だよ」
その答えは想定外だったのか、未生は驚いたように「どういうこと?」と聞き返してきた。
これまで大人ぶって口にしなかったことを打ち明けたくなったのは、どうしてだろう。予想外で、倒錯的ではあったものの、今日二人で過ごした時間があまりに甘くて幸せだったからかもしれない。
「未生くんが変わっていくのはいろんな人と関わっているからで、僕はその一部に過ぎないんだなって」
人が、周囲のさまざまな要素から影響を受けるというのは、当然のことだ。尚人にも仕事や友人関係を通じた世界が存在し、未生だけと向き合って未生だけから影響を受けているわけではない。だから尚人の知らない場所で未生の世界が広がっていくのは心底喜ばしいことなのに――ときおりほんのちょっとだけ寂しさを感じてしまう。そんなわがままもまた、恋の一部ではあるのだろうが。
「……なんて、ちょっと思っただけ。ごめん気にしないで!」
子どもっぽい独占欲を口にしてしまったことが照れくさくて、尚人はわざとらしく明るい声を出して、足を速める。
「尚人」
「お腹空いたね。早くお店行こうよ!」
そして、ひときわ大きな一歩を踏み出したところで、後ろからぐいと手を引かれる。振り向くと、未生は思いのほか真剣な顔をしていた。
「馬鹿、そういうのも全部、尚人のせいだよ。尚人がいなきゃ始まってないんだから」
そして、未生は尚人の手を握ったままで隣に並ぶ。何か言いたい――けど、今は何も言わなくていい。触れた部分から流れ込んでくるあたたかさは、尚人の胸を震わせた。
空気が冷たくなってきた街を、こっそり手をつないで歩く。目当ての定食屋まではあと数百メートル。そのあいだくらいは、指を絡めて恋人の時間を堪能したって許されるはずだ。
(終)
2021.10.16-10.24