こんなことを考えて、しかも実行に移そうだなんて、完全にどうかしている。後で正気に戻れば後悔するのは確実だ。それでも内側から体を焦がす熱をこのままにしておくことはできそうになかった。
それに――まともに身動きできない状態の羽多野を相手にするなんて、もしかしたら最初で最後の機会かもしれないではないか。そう思うと、むらむらと普段とは異なる衝動がわきあがってくる。
羽多野と過ごすようになって以来、ベッドでの主導権は奪われっぱなしだ。不本意ではありつつも自分が受け身でセックスをする以上はやむを得ないことだと納得もしてきた。
でも、本来の谷口栄は決して押し倒され組み伏せられて、一方的に翻弄されることに甘んじているタイプではない。羽多野との経験値の差に気後れしているだけで、その気になれば羽多野を手玉にとってやるくらいのことも、きっと。多分。おそらく……。
このシチュエーションは、いつだって栄を好き放題いじり回している羽多野に多少なりとも意趣返しする絶好のチャンスであるに違いない。熱に浮かされた栄は完全に平常心を失いつつあった。
手の中には、紺色のシルクのネクタイ。これは確か、いつだったか羽多野が栄の手首を戒めるのに使ったもの。目隠しに使われたのがどれだったかは定かでないが、紐の扱いに慣れていない自分には、ざらざらした素材の方が良いだろう。
「……どうした? 俺のネクタイなんか持ち出して」
普段と異なる様子の恋人に、羽多野は不審そうに目を細める。警戒心のかけらもなさそうなのは、信頼ではなく単に栄を舐めきっているからだろう。
栄は黙ってベッドに戻ると、再び羽多野の体をまたいだ。全裸を見上げられる慣れない体勢に先ほどまでは猛烈な恥ずかしさを覚えていたのだが、この場の主導権を握るのが自分だと思えば不思議と羞恥心も和らいだ。
「そういえば、ずいぶん好き放題されてきたなあって、ふと思って」
「ああ、それ」
ただの思い出話だと勘違いしているのか、羽多野は栄の言葉に誘われるようにシルクのネクタイを見つめ、懐かしそうに微笑んだ。
「だって、あの頃の谷口くんは暴れてばかりだったからな。無理矢理にでも動きを封じなきゃ何もできなかった。まああれはあれでウブで可愛かったけど……いや、今もそんなに変わらないか……」
ほら、完全に馬鹿にしている。栄はベッドの上ではいつだって羽多野に支配され、圧倒される側なのだと。
「偉そうなこと言いますね。ろくに動けもしないくせに」
そう言って、強度を確かめるようにネクタイ両手で引っ張ってみる。そこでようやく羽多野は、栄の態度が普段と違うことに気づいたようだ。
「……何を企んでる?」
栄は、羽多野の胴体を押さえつけるように股にぐっと力を込めた。表情に微かな不安の色をにじませる羽多野の姿に、興奮が高まる。
「確かに羽多野さんの言うとおり、俺がその気になりさえすればできるんですよね。この状況でも」
ネクタイの用途に気づいているかはわからない。だが少なくとも羽多野もこの時点で、栄が「手で互いを慰め合う以上の行為」に前向きであることを確信した表情を見せる。
「珍しく積極的だな」
冷静を装って、でも心臓はばくばくと鳴っている。本当にこの先を口にしていいんだろうか。踏み出して大丈夫だろうか。でも今を逃せば、きっともう二度と――。
「しましょうか?」
言ってしまった。こうなったら続けるしかない。多少こわばっているかもしれないが、自分なりに精一杯不敵な笑みを浮かべて栄は羽多野の両手首を取った。
「代わりに、あなたは何もしないって約束してください」
ひとまとめにした手首に紺色のネクタイを巻きつける。思った以上につるつると滑るシルクは扱いにくいが、ぎゅっと力を込めて結び目を作り、彼の動きを封じ込めた。
本当ならば前にやられたようにネクタイの端をベッドヘッドに結びつけてやりたいところだが、今の羽多野は背中側に腕を回すことができないから、そこはあきらめた。
「今日は君のフルサービス? さっきまであんなに嫌々だったのに、どういう風の吹き回しかな」
栄の気まぐれに驚いた様子を見せつつ、羽多野はまんざらでもなさそうだ。セックスへの好奇心が旺盛な男にとっては、たまに栄が上に乗って積極的に動くことも、ちょっとした刺激程度なのだろうか。それとも、どうせ上手くいかないと馬鹿にされているのか。
いずれにせよ見くびられればムキになるのが栄だ。思ったより平然としている羽多野を、絶対に自分のリードで翻弄してやろうという気持ちを強くする。もちろんそれだけではなく――自分の欲望を満たしたい、というのも大きな動機ではあるのだが。
それに、栄の悪巧みはこれだけではない。手首を封じる「緊縛ごっこ」にまんざらでもなさそうな羽多野の耳元に唇を寄せて、囁く。
「ネクタイの使い途って、これだけでしたっけ?」
「は?」
そして、羽多野の抵抗を待たずして栄は、ざらざらとした太めのネクタイで彼の両目を覆い隠すことに成功したのだった。