羽多野が足を怪我した話 (15)

 手首を拘束されるところまでは余裕ぶっていた羽多野にとっても、さすがに目隠しは想像の範疇を超えていたようだ。

「おい、どういうつもりだ」

 声には狼狽の色がにじむが、手を縛っているのは体の前側なので、その気になれば自力で目隠しを外すことは造作もない。とりあえず栄は羽多野の両手を押さえ込み動きを封じておくことにした。

「どういう、って……」

 羽多野が不満や不安を濃くするほどに栄の優越感は大きくなる。もちろん優越感は余裕を生み出すし、余裕は普段より大胆な言動や行動を可能にする。

「当たり前の顔して人にはめちゃくちゃするくせに。ちょっとくらい同じことやり返したくらいで、文句言われる筋合いありませんよ」

「それとこれとは」

「同じです」

 お得意の屁理屈を先回りして封じて、栄は改めて今夜のルールを羽多野に告げる。

「ほら、約束してくださいよ。俺がから、代わりにあなたは手首の紐も目隠しも、自分からは解かないって」

「それは、何かのゲームのつもりか」

「ゲーム?」

 どうだろう。らしくもない性欲に突き動かされた結果ではあるが――確かに栄は、このシチュエーションや、普段とは異なる羽多野の反応を楽しんでいる。

 恋人同士のある種のゲーム。言われてみれば、そんなところかもしれない。いつも主導権を取られてばかりのベッドで、今日のゲームマスターは栄。悪くない。

「そう思いたければ、どうぞ」

 言いながら栄は子どもの手遊びのように、羽多野の鎖骨のあたりを指先でくるくるとなぞった。ぞわりと産毛が逆立つ様子に、視界を遮られた状態で小さな愛撫ひとつがどれほど刺激的だったかを思い出し、甘い記憶はさらに栄の興奮を高めた。

 あのときの自分のように、羽多野も今、栄の次の動きひとつひとつに最新の注意を向け、微かな不安と大きな期待に腹の奥を熱くしているのだ。

 じれったい、愛撫とも呼べない愛撫を受けながら羽多野はややあって奇妙なリクエストを口にする。

「……悪いけど谷口くん、俺の頬をつねってみてくれる?」

 栄は思わず、小さく吹き出した。

「夢を疑うくらい、普通じゃない状況ですか? これって。つねるどころか、お望みなら引っぱたいてあげますけど」

「少なくとも、普段からすればありえないシチュエーションだろ」

 その台詞に異論はない。栄だって熱に浮かされて、まるで夢の中にいるような気分。でなきゃこんなことできるはずがない。

 ――もしもこれが夢であるなら。

「良い夢ですか? それとも悪夢」

 問いかけながらそっと羽多野の頬に手を伸ばして、痛みを感じない程度の力でつねる。さっき言った「引っぱたいたっていい」は冗談だ。本気で引っぱたきたくなることは毎日のようにあるが、少なくとも今はそういう気分ではない。

「どちらになるかは君次第だな。でも、少なくとも……」

 これが淫夢であることは間違いない。夢でないことを確かめたのか、羽多野はようやく覚悟を決めたように「いいよ」と小さくうなずいた。

「目隠しのせいで谷口くんの勇姿をこの目で確かめられないのはおおいに不満だけど……たまにはこういうのも刺激的かもしれない」

 会話をする間も、勃起した羽多野のペニスは栄の尻に触れていた。本音を言えばふたりとも、すぐにでも挿入したいくらいだろう。だがせっかく恥を忍んで「ゲーム」をお膳立てしたのに、性急に進めすぎるのはもったいない。栄は羽多野にまたがったままで上体を伏せると、薄く開かれた唇にそっと口付ける。緊張のせいか、普段より乾いた感触。

 普段ならば頭をかき抱き、噛みつくように、食い尽くすようにキスしてくる羽多野だが、両手を封じられていればそうもいかない。餌をねだる小鳥のように唇を開いて栄の施しを待つ。

 焦らすように何度か触れては離し、それから上唇、下唇を順番に軽く食む。尻に触れたペニスがびくびくと震えるのが伝わってきて、こんな子供だましのキスひとつに反応する羽多野が可愛くすら思えてきた。手練れの男にも、存外にうぶな一面があるのだ。

 とはいえ、一方的にやられるばかりではいないと言いたいのか、口腔内に侵入した瞬間に栄の舌は熱い舌に絡め取られる。

「ん……っ」

 吸われて、噛まれて、唾液と唾液が混ざり合う。手が使えないからこそ自由になる唇や舌で少しでも栄を捕まえ味わいつくそうという意思が伝わってくる。羽多野の腹を擦る栄のペニスはすでに硬く、その先端は再び濡れはじめていた。

 それだけではない。さっきからずっと切っ先がかすめるたびに収縮している後孔。いまだ信じたくはないが、この男と抱き合ううちにすっかり慣らされてしまった場所。内側を擦られ、愛され、奥まで満たされる歓びを知ってしまった場所。キスだけじゃ物足りない。性器を擦り合うだけでは物足りない。だから栄はこんな恥ずかしい、普通じゃないゲームを持ちかけたのだ。

 互いの口元を存分に濡らしてからキスを中断すると、離れる体を追いかけるように羽多野は少し背中を浮かすが、痛みに小さく呻いて再び枕に背を預ける。

「焦らなくたって、俺はどこにも行きませんよ」

 薄笑いの混じった栄の声に、羽多野はいくらか気まずそうだ。

「知らなかったよ。見えないって刺激的ではあるけど……不安なもんだな」

「ちょっとは俺の気持ちが理解できたなら、甲斐があったってもんです。あなたはいつも相手のこと考えずに好き放題するから」

 熱い体から離れれば、部屋の空気がすっと肌を冷やす。

 冷静ぶった言葉を口にしながらも、栄はすでに羽多野の肌の熱が恋しくて、サイドテーブルの引き出しからローションを取り出すとすぐにベッドに戻った。

 

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