「……っ」
栄の深く長い吐息には、ほんのわずかであるが苦痛に耐える色が混ざる。
「苦しい?」
表情が見えないだけに反応が気がかりでたずねるが、返事はなかった。余裕のない栄はもはや、彼が羽多野に目隠しをして「絶対外すな」と言い含めたことすら意識の外に追いやってしまったのだろう。
栄の様子は目視できないが、結合部がどうなっているかは見なくたってわかる。正面から、背後から、膝抱きして……さまざまな体勢で交わってきたが、そのどれよりも騎乗位は一番深くまでつながることができるのだ。
つまり破裂しそうなほどに硬く膨張した自分の股間のものが栄の秘部を押し開き、根元まで完全にずっぽりと体内に埋まっている――卑猥な光景を想像すると睾丸がぎゅっと収縮するような感覚が湧き上がり、羽多野はぎゅっと目を閉じてひとつ息を吐いた。
「すぐにでもぶちまけたい」と言った心に嘘はないが、かといってせっかくこんな奥まで許されたのだから、瞬時にフィニッシュだなんてもったいないではないか。
「動けるか……? ゆっくり息吸いながらでいいから」
前立腺を擦るときの積極的な動きとは打って変わって硬直してしまった栄に、羽多野はできる限り優しく声をかけてみる。
「ちょっと待って。こんな奥まで……苦し……」
さっきまでのような攻撃的な反応ではなく、栄なりに羽多野の言葉に従おうと努力している気配はある。とはいえ、ゆるゆると体を揺すろうとしたところで息が乱れ、動きは止まってしまう。
「……そうだな」
もどかしくて、苦しい。
同時に、羽多野の心と体に幸福感が広がる。
これ以上ない奥まで恋人の体をぎっちりと埋め尽くし、征服している。栄が無意識に吐いた言葉は、羽多野の歪んだ欲望や独占欲を満たすには十分なものだった。
思わず下から軽く突き上げるように腰を揺らすと、深い場所をえぐられた栄は「あっ」と声をあげる。それが決して痛みや苦しみによるものではないことを察知して二度三度、ゆるゆると同じ動きを繰り返す。
不思議なことに、背中の痛みはすっかり消えていた。さっきまではわずかに腰を動かすだけで筋肉が裂かれるようだったのに、嘘のようだ。
「あ……、あっ」
ゆるやかな下からのリズムに、栄の中がさらに柔らかくなる。〈努力家で勉強家〉の彼は、はじめて許す最深部で快感を得ることをすでに学びつつあった。
「でも、なんで……っ」
喘ぎ声に挟み込まれる疑問の言葉。
言わんとすることはわかる。まったく身動きできないはずの羽多野がなぜ? そんなことこっちが聞きたいくらいだ。だが、きっと。
学生レスリングをやっていた羽多野は同じような感覚を過去にも経験している。怪我を押して出た試合で、練習中には痛みで動かすこともままならなかった手足が嘘のように軽く動くことは珍しくなかった。大量に分泌されたアドレナリンは麻薬のように興奮と高揚をもたらし、痛みすら麻痺させる。
つまり今この状態は決して背中が治癒したわけではなく、それどころか、一時的に痛みが鈍麻しているからと激しく動けば、後で正気に戻ったときに相応の報いを受けることになる。
――だからといって、誰がこの衝動と欲望にあらがうことができる?
「動けるんだよ、今は……っ」
理由になっていない理由を吐き捨て、突き上げる動きを強くする。
「ちょっとそれ……やばいやつ!」
学生剣道の選手だった栄にとっても、興奮状態での一時的な痛みの消失は簡単に思い至ることなのだろう。過不足ない最低限の言葉で羽多野の状態を言い当てると同時に、その無謀を責める。
「だからって、今さら」
羽多野は思わず声を荒げた。
ぎこちないながらも羽多野のペニスを挿入し、浅い場所で動かすところまでは自身でやりとげた栄だが、慣れない奥深くまでみっちり埋め尽くされた状態でリードできるとは思わない。かといって羽多野の背中を案じてここで行為を止めるなど、さらに非現実的だ。
少しでも傷を浅くとどめたいならば、選択肢はただひとつ。
「だったらもう、この手を解くからな」
羽多野は栄からもよく見えるように、紺色のネクタイで戒められた両手を持ち上げた。
栄の結び方が稚拙だった上に、羽多野が身をよじったせいで結び目は完全に緩んでいる。にもかかわらずほどかずにいるのはひとえに、「今日は自分がリードする」と宣言した栄を尊重していたからだが、もはや我慢も限界だ。
「それと何の関係が……」
戸惑う声は無視して両手首を抜き去ると、邪魔なネクタイをひっつかんで床に投げ落とす。さらにはどさくさに紛れて目隠しもむしり取り、羽多野は弾かれたように上体を起こした。
「羽多野さん!?」
目に入るのは、羽多野の下腹部に深く腰を落とし興奮に目をうるませている、とんでもなく艶めかしい栄の姿だ。乳首は興奮で勃ちあがり、ペニスは淫らな体液でぬらぬらと光っている。そして――M字の形に開かれた両脚の狭間で、羽多野の欲望を奥深くくわえこんだ場所は真っ赤な粘膜をひくつかせている。
「約束が違う!」
手首を解いていいとも、目隠しを外していいとも言っていない栄は抗議の声をあげながら両手で羽多野の視界を遮ろうとする。それが邪魔で羽多野は思わず栄の両手首をそれぞれ自分の右手と左手でつかみ、動きを封じた。
「できるとこまで努力はしたんだ。これはもう、不可抗力だろ」
止まることはできないのだから、羽多野の傷を一番浅くする方法は可能な限り速やかにフィニッシュすること。だったらまどろっこしく腰だけを動かすよりは、ずっと――。
「ああっ」
腰を勢いよく突き上げると同時に、つかんだ栄の両手首を引っ張って体をぐいと下に引く。結合が深まり、信じられないほど奥を羽多野の先端がえぐる。
「やだ、やだこんなっ」
信じられない淫らなポーズで、胸も性器も結合部も、何もかも正面から見つめられながら栄は嫌々と首を振る。完全勃起したペニスも左右に揺れて、間欠泉のように濁った液体を振り撒いた。
「嫌じゃないだろ。こんな奥まで挿れるのはじめてなのに、きゅうきゅう吸い上げて」
「そんなこと……」
してない、と言いたいのだろうが、栄の意思を超えたところで彼の体はいやらしくうごめいて、恋人のほとばしりを待ちかねている。
羽多野は自分が満身創痍の怪我人であることを忘れて――数分後にやってくるだろう「手ひどいしっぺ返し」のことも、今だけは忘れて――栄の体を貪った。