5. 第1章|1946年・ウィーン

「どうしたの、ぼんやりして。こっちは終わったから、後は適当にお湯使っちゃって。僕は出かけるから」

 レオが妙な考えにふけっているうちにニコはさっさと体を拭き終えて身支度を整えてしまっていた。あくまで老婦人の付き添いは自分だけで行く気らしい。

「ああ、うん」

 生返事をしているうちにドアが開いて閉まり、あとは部屋の中に一人レオだけがとり残された。

 残った湯を桶に移し、浸したタオルをぎゅっと絞る。沸かしてから時間が経っているので湯は人肌より少し温かい程度まで冷めていた。湯を使う順番はいつも、ニコが先でレオが後。最初のうちは「兄さんが先に使いなよ」と頑なに先を譲ろうとしてきたニコだが、レオが熱い湯は苦手だと言い張ったところなんとか納得してくれた。弟はどうやら少し熱いくらいの湯で体を清める方がお好みであるらしい。

「だって、その方がきれいになっている気がするから」

 それから「まあ、気持ちの問題かもしれないんだけど」と恥ずかしそうに付け加えた。

 こうやって毎日体を拭い、週に一、二度ばかり老婦人の部屋でシャワーを浴びさせてもらう。ボイラーが止まっているのでもちろん水シャワーだが、それでも全身に水を浴び髪まで洗うことができるのは気持ちよく、楽しみな時間だった。

 レオは身を清めるために服を脱ぐと、裸になった自分の体をまじまじと眺める。見たくもないのに確かめずにはいられないのだ。

 ミュンヘンにいた頃よりはいくらか痩せただろうか。ニコの体格はあまり変わらないように見える、ということは自分は病院でずいぶんと良い生活をさせてもらっていたことになる。思い起こせばミュンヘンでは湯の出るシャワーもふんだんに使えたし、豪華な食事とまでは言い難いが食うに困ることはなかった。米軍管理の病院ではパンに苦労するどころか、食卓に肉や魚が並ぶことも珍しくはなかったのだ。

 げっそりと肉が落ちあばらが浮きかけた体。決して見栄えが良いとはいえないが、それでも写真で見た強制収容所の人々を思い起こせばまだまだ健康なのだと思える。あれは限界の姿だ。骨と皮ばかりに痩せ、落ちくぼんでうつろな目がやたらと大きく見えた。

 戦時中の強制収容所では多くの被収容者が衛生状態の悪さからから生じる病や劣悪な栄養状態のせいで死んだ。それどころか、解放まで生き延びたにも関わらず命を落とした人間も数え切れないほどいたという。悲惨なことに、ようやく救助されたところで連合軍から与えられた救援物資を一気に腹に入れたため、飢餓状態の体が栄養を受け止めきれずショック死してしまうケースすらあったらしい。

 君はラッキーだったんだ。病院では会う人会う人がレオをそう慰めた。おそらく収容所に送られたのが戦争末期だったのだろう、リンチか拷問にでもあったかのような怪我こそ尋常ではなかったが、一ヶ月間の昏睡に耐えきるだけの体力の蓄えがレオの肉体には残っていた。だがレオは人々のかけてくる祝福の言葉をいつだってどこか釈然としない思いで受け止める。

 ――そんなに俺は幸運だろうか。

 意識を取り戻して以来レオはできるだけ鏡を見ないようにしている。

 病院で起き上がれるようになって最初に鏡を見たとき、言いようのない不安とおそろしさに襲われた。そこに映っているのは厚く巻かれた包帯から片目と鼻、口だけを出した見知らぬ男だった。その目に、鼻に、唇や輪郭に、一切の親しみを感じることができないことにレオは心底絶望した。心のどこかで、自らの姿を見ればなくした記憶も魔法のようによみがえるのではないかと期待していたのだ。

 絞ったタオルで裸の体をこする。胸や腕のあちこちに引きれたような傷跡。左膝のあたりには大きな手術あとがあり、ひどく骨折した後でくっついたのか足の小指は不自然に曲がっている。

 頭だって、髪をかき分ければ一か所だけ毛が生えずすべすべとした縫合の跡に触れることができる。ひどく殴られたのか、頭が割れていたのだ。左腕も悲惨なもので、左脇のあたりには焼けた金属を押し付けられたようなケロイド状の傷があり、前腕部にはタトゥーで埋め込まれた六桁の番号。

 被収容者管理のための番号付与はどこの強制収容所でも行われていたことだが、刺青で体に刻み込む方法を採っていたのは、ポーランド南部にあったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だけだ。悪名高いガス室は数百万人に及ぶユダヤ人の命を奪ったとも言われている。

 戦争末期、北東からのソ連赤軍の接近に危機感を抱き、強制収容所の運営を担当していた親衛隊は施設を次々に破壊し遺棄しては西への撤退を進めた。

 撤退のための「死の行進デス・マーチ」についていけるだけの体力のある被収容者は連れて行かれ、そうでない者は食料も薬もない冬のポーランドに取り残され、ただ死を待った。もちろん極寒の中を不十分な装備で移動する行進の途中でも多くが死んだ。腕に収容番号のタトゥーを持っている人間のうち戦後まで生き延びた者はごくわずかだと聞く。

 明るい思い出――例えば戦前の家族の様子についてはときおり聞かせてくれるニコだが、ユダヤ人絶滅のための政策が本格化して以降の話はほとんどしてくれない。離れ離れになっていた兄弟が解放直前の収容所で偶然再会したこと、両親と妹はそれより前に死んでしまっていたこと。ときおり不用意にこぼす言葉からうかがい知ることができるのはそれくらいだ。

 もう少ししたら話すから、今はまだ。

 何度も繰り返される言葉に、もしかしたらレオが過去を思い出したがっている以上に、ニコは過去を振り返りたくないのかもしれないと思うようになった。弟はそのくらい辛い思いで戦中戦後を生きていたのではないか。そして、いつしかレオ自身も過去の自分について考えることを避けるようになった。

 かつてはこの体が健康的な若々しさに満ちあふれていた頃があったのかもしれない。しっかりとした足取りで歩き、力強い腕で家族や友人を抱き寄せ、ときに恋人の髪を撫でてキスするようなこともあったのかもしれない。でも、今の自分は傷だらけの体で記憶を失った、弟の助けを借りなければ生活すらままならない男に過ぎない。このような状況で過去の自分に想像を巡らせるのはひどく空しく惨めだ。

 狭くて暗いこの部屋の数少ない良いところが、姿見すがたみもなければ顔がはっきりと映るようなガラス窓もないことだ。鏡に映るぱさついてくすんだ髪やどんよりと暗い瞳を見る度にレオはどうしようもなくうんざりする。

 最後に残った湯でもう一度顔を洗い、レオはどうにか気を取り直す。いつまでもうじうじと過去を振り返っている場合ではない。何しろ目の前にはもっと切実に迫る日々の生活の問題がある。そして今のところその生々しく避けて通ることのできない問題に立ち向かっているのは――控えめに言ったとしても、ニコだけだった。

 ウィーンで部屋を借りてほっとしたしたのも束の間、ニコが紹介してもらうはずだった工場の働き口は、原材料不足によるライン縮小のせいであっけなくご破算になった。例えば支援物資の仕分けとか、壊れた家を修理する手伝いとか、ニコは大家の老婦人の伝手を頼って紹介してもらう細々とした日雇い仕事を渡り歩いているようだが収入はごくごく僅か。なんとか二人で食べていくだけの綱渡りの日々はもう数週間続いている。レオは自分にも何か作業を紹介してもらえないかと訴えたが、結局はニコの過保護な言葉に丸め込まれる。

 ミュンヘンを離れるときにニコがサラからもらったコートを見るたび、あのときの情けない気持ちを思い出す。自分はニコのお荷物にしかならない。それは厳然たる事実で、実際にウィーンにやって来てからもレオの心は後ろめたさに苛まれ続けている。だから、寒さが増す中で脚の不安が消えたわけではないものの、レオはここ最近ニコが留守にしている隙を狙って密かに仕事を探しに出かけていた。

 自分はともかく、ニコはせめてもう少し多く食べて体力をつける必要がある。そして当然のことながら食料を買うには金がいるのだ。

 毎度、意気揚々と出かけるのだが、今のところ職探しの結果は芳しくない。元々のウィーン市民すら仕事にあぶれているこのご時世に、土地勘も正規の身分証もない人間が簡単に仕事を得られるはずがないのだが、それでも手応えなしに部屋に戻るたびにやるせない気分になる。

 そんなときはついポケットの中の時計のことを気にしてしまう。これを売れば何日分の食料になるだろうか。しかし、別れの日にクラウスからもらった金時計は今のレオにとって唯一の財産で、最後の命綱であることは間違いない。

 まだこれを売るときではない、もう一日だけ頑張ってみよう、あと数件だけ回ってみよう。今はまだ、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。

 今日は今まで行ったことのない地区に足を向けてみよう。どうせニコは夜まで戻らない。

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