もしも京都に行ったなら 〜栄×尚人(4)〜

尚人

 栄とキス以上の行為に及ぶ可能性。それを意識した瞬間、尚人は喜びやときめきを感じる以上に――激しく動揺した。

 いや、動揺を超えて戦慄と呼んでも良いくらいかもしれない。ともかく尚人にとってこれまで恋愛に伴う……と思われる身体的なあれこれというのは自分ごととはほど遠かった。そもそも自分に恋人と呼べる存在ができようとも、つい最近まで想像すらしなかったのだ。

 物心ついた頃から内気だった。

 保育園の頃から親しくなった少数の男子以外とはうまく言葉も交わせないくらいだった。周囲はそれを人見知りな性格のせいだと思っていたし、尚人自身もそう思い込んでいた。

 小学生になり、中学校に上がり、やがて自分とは違うはつらつとして目立つタイプの男子生徒にときめきを感じるようになったが、それすらしばらくは「自分がなりたくてもなれないタイプへの憧れ」だと感じていたくらいだ。やがて胸の中にあるじりじりとした感覚の正体を知ったところで、容姿に秀でているわけでもなく面白みに欠ける自分のようなタイプにとって「片思い」以外の恋は絵空事だと決めつけていた。

 高校までは受験勉強、大学に入ってもアルバイトに勉学。幸い、人恋しい気持ちから目をそらす方法はいくらでもあった。そんな中、天恵のように現れた谷口栄という人物がこちらに手を差し伸べてくれ、距離が近づくにつれて心の奥底にほのかな期待を抱くことは止められなかった。でも、友情以上のものを求めるのは分不相応な願いだと考えていたし、下心を見せれば大切な友人を失ってしまうという思いから、できるだけ邪な感情を意識から追い払ってきた。

 正直なところ尚人には「恋人」というものがよくわかっていなかったのかもしれない。

 栄ほど親しいわけではないが、大学に友人と呼べる存在はいる。雑談に混ざれば、年頃なのだから当然のように色恋の話にもなる。男だけになれば色っぽい話題が出ることもあったが、女の子との恋愛話をそのまま同性に当てはめて良いのかもわからず、人ごととして聞いていた。

 だが、もしもさっきの女子学生が話していたように「お泊まり=下着を新調する=一線を越えた関係を持つ」というのが常識なのだとすれば。栄がそういう意図を持って自分を旅行に誘ったのだとすれば……。

「どうしよう……」

 あまりに想定外だ。尚人は青くなって頭を抱え、以降の講義はまったく頭に入ってこなかった。

 帰宅した尚人は荷物を置くなりスマートフォンを前に、大真面目にに取りかかった。

 普段勉強のための調べ物には画面の大きなパソコンを好んで使うが、大学に持ち込んで人目に触れさせることも多い端末に、これから調べようとしている内容を入力することには抵抗があった。パソコン知識に十分な自信のない尚人は、ブラウザのシークレットモードや検索履歴消去という機能を完全には信用していないのだ。

 スマホを手に、しばし固まる。自分が求めている知識は、どのような単語を入力すれば手に入るのだろう。

 いくら奥手とはいえ尚人だって年頃の男子だ。自慰をすることくらいあるし、ときには気持ちを高めようとポルノ動画サイトを閲覧することもある。だが、巷ではポルノは幻想だと言われているではないか。実際に動画で目にするセックスが現実に即したものなのかは疑わしい。現に、自慰をするときの尚人だって、動画の出演者のように大げさな声を出したりはしない。

「男同士 セックス」「ゲイ エッチ」などと恥ずかしいほど露骨な単語を入れてみて、出てくる情報の生々しさに赤面してから「初めて」「方法」「どうすれば」などと、単語を足していく。試行錯誤により内容は徐々に絞り込まれ、やがて実践的な指南サイトやブログにたどり着いた。

 受け入れる側の身体的な負担等から男性同士の性行為は必ずしも挿入を伴うものではない、ということは理解した。その場合は手や口を使って互いを高めるらしい。

 手は一番イメージが湧きやすいが、果たして自身を慰めるのと他人のものに触れるのは同じ要領でいけるものなのか不安だ。口については動画等での知識を基に想像する限り、手より難易度は高そうに思える。第一、飴玉や歯ブラシとは話が違う。あんな――といっても、栄の局部を見たことはないのだが――ものを口に入れてどうこうできるものなのか。まったく自信はない。

 そして、ここから先が一番の大問題。当然ながら挿入を伴うものではないというのは、挿入を伴わないという意味とは違う。そして挿入を行うとなれば、絶対にそこには「挿れる側」と「挿れられる側」が発生するのだ。

「……それって、どうやって確認するんだろう……」

 想定はする。できる。普段から何をするときも、栄がリードして尚人はそれに着いていく。だったらベッドの中でも同じだろう。同じであるはずだ。

 それどころか、尚人がこんなに考え込む必要すら実は無駄で、いつだって自信にあふれた栄が万事を整え導いてくれるのかもしれない。というか、そうであって欲しい。だって尚人はあまりに何も知らないし、自信もないのだから。

 あんなに素敵な栄だから、すでに豊富な経験だってあるかもしれない――それはそれで複雑な気持ちではあるが、納得はできる。

 ともかく尚人は栄のことが好きだし、正直服の下を見ることも、剣道で鍛えた体に触れることも、想像すれば心も体もむずむずする。しかし、かといって自分から栄をどうこうというのもイメージができないのだ。いや、尚人でなくたって、栄みたいな男が誰かに組み敷かれることなど……。

 真面目な尚人は、本来ヤマを掛けることを良しとはしない。小手先で試験を切り抜けたところで、必要な知識の習得をおろそかにすれば、きっといつかどこかで報いを受ける。

 だが目の前に横たわっているのは試験ではない。時間もなければ、事前に栄に真意を確かめる度胸もないのだから、今回だけはどうか神様、この予想が当たりますようにと顔の前で手を合わせてから、こんなふしだらな悩みで神頼みなど不謹慎かと後ろめたくなった。

 とりあえずポジション問題はヤマを掛けてやり過ごすとして、それでも考えることはいくらでもある。

 受け入れる側にも体の準備が必要であることはもちろんだが、コンドームは自分が準備すべきだろうか。

 恥ずかしながらこの年齢になるまで一度も避妊具を買ったことがない。ドラッグストア……いや、コンビニの方が男性店員に当たる可能性が高そうだ。挙動不審にならずにコンドームの箱をレジに持って行けるか、イメージトレーニングするだけで赤面してから、自分がどれほど世慣れていないかを改めて自覚して、思わずため息がこぼれた。

「どうしよう」

 栄との一泊旅行は嬉しいし、楽しみなのに、同じくらい気が重い。というか、こんなことで疲れていては京都に行くまでに自分は精神力を使い尽くして参ってしまうのではないか。

 何時間スマートフォンを眺め続けていただろう。目がチカチカしてきたところで、栄からのメッセージを着信した。いかがわしいことを考えていると見透かされたわけでもないのに、後ろめたい気持ちで本文を開くと観光情報のリンクがいくつか添付されていた。

 栄は真面目に旅程を考えてくれているのに、京都情報そっちのけで一体自分は何をやっているのだろう。尚人は情けない気持ちで目を閉じた。