もしも京都に行ったなら 〜栄×尚人(3)〜

尚人

「もうじき紅葉の季節だな」

 栄がそう言ったとき、尚人はてっきりどこかの都立庭園か、せいぜい日帰りでどこかへ行こうという意味だと思った。

「そうだね。そういえばクラスの子から新宿御苑とか、浜離宮とか紅葉がきれいだって聞いたよ」

 行けども行けども高層ビルの世界だとばかり思っていた東京だが、いざ上京してみると意外なほど公園や庭園は多く、遠出しなくとも自然を楽しむことは難しくない。秋晴れの日に栄とそんな場所を散歩するのも素敵だと思ったのだ。

 だが、何気ない返事に、栄の顔にはかすかな「心外」の感情が浮かび上がった。それは一秒のさらに数十分の一程度のごくごく短い瞬間のことだが、尚人は自分の返事が適切ではなかったことを察して言葉を選び直す。

「あ、でも、もっといい場所もあるのかな」

「そうだな」と、考える素振りはきっとポーズ。栄がこういう振る舞いをするときは、彼の中に明確なプランがあって、それを披露するタイミングを計っているのだ。

 もったいぶっているというよりは、彼としても、本当にそれが名案かを最後の一瞬まで迷っているようでもあった。少し長い沈黙の後で、栄はあくまで軽い調子で――だが普段よりいくらか緊張した様子で切り出した。

「ナオ。来週末でも、京都に行かないか?」

「……京都?」

 思わずきき返したのは、決して京都行きが嫌だったからではない。ただ、尚人にとって栄と出かける先といえばほとんどが都内。遠出といっても隣県近県ばかりだったから、とつぜん離れた場所を提案されたことが意外だったのだ。

「あ、いや、そんな大げさな話じゃないんだ。親父が余ってるJRの株主優待券くれたから。こういうのってさっさと使わないといつの間にか有効期限切らしちゃったりするだろ。ちょうど時期的にもいいし、せっかくだからナオと使おうかなって」

「え、あ、うん……」

 尚人は京都という単語に驚いただけで交通手段のことなど考えてもいなかったのだが、栄はなぜか早口で、株主優待券の話をはじめた。ちなみに一般常識として公開株式を売買する個人がいることは知っていたものの、尚人は株主優待が具体的にどのようなものなのかよくわかっていない。栄の言葉から漠然と、JRの株主優待券があれば何らかの便宜が図られるであろうことをなんとか理解した。

 栄はさらに、まくしたてる。

「あとさ、ホテルも、親がホテルの提携クレジット作ってて俺も家族カード持ってるんだけど、使い切りたい特典があって……」

「うん……」

 これもまた、尚人にとっては縁遠い世界の話で、それぞれの単語の意味はよくわからない。だがおそらく、栄の家族が何らかのステイタスを持っている関係で京都のホテルに安価――もしくは無料で泊まれると言いたいのだろう。多分その理解で正しいはずだ。

 そして、裕福な学生である栄が妙な熱意で「優待」「特典」について力説する理由も、尚人には想像ができる。

 要するに栄は、尚人と京都に一泊旅行に行きたいと思ってくれている。気前の良い彼は交通費から滞在費まですべて二人分出したってかまわないと内心では考えているのだろう。だがこれまでの付き合いで、全額おごると言えば尚人が難色を示すと知っているから、この旅行は栄自身の懐も痛まないとアピールしているのだ。

 確かに、尚人は栄と違って仕送りに加えて奨学金やアルバイトの給料でなんとか人並みの学生生活を送ることが出来ている身だ。普段の生活では有料特急すら節約するし、なんなら定期の圏外ではできるだけ歩いて交通費を浮かせようとする。根本的な金銭感覚が栄とは違っている。栄もそれをわかっていて、彼なりに尚人に合わせようとしてくれている。

 きっと、尚人が強引に「自分の分は払う」と食い下がったら、栄は「じゃあ、交通費の実費だけ」と言う。つまり、株主優待適用後の新幹線料金。具体的にいくらなのかは知らないが、尚人にもなんとか払える金額で、栄としてもそこを最終防衛線として設定しているのだろう。

 栄がいろいろと気を遣って、尚人の負担にならないように考えてくれていることはありがたい。それに、夏には進振りの結果も出て、尚人は大学入学以来初めてともいえる心の余裕を感じていた。今なら、ちょっと羽目を外すことくらい、許されるのではないか。

「ありがとう。京都なんて中学校の修学旅行以来だよ。楽しみ」

 ようやく尚人が明確に旅行への同意を口にして笑顔を見せたことで、栄の緊張が緩む。だが、何でも主導権を取りたがる彼は、これが尚人にとって初めての京都旅行であることを期待していたのかもしれない。

「そっか、九州からだと京都って修学旅行の定番なのか」

 声にはかすかな落胆が混ざり、だから尚人はあわてて首を左右に振った。

「昔のことだよ。それに修学旅行ってすごい詰め込みスケジュールだったんだ。あわただしくて、全然覚えてない」

 嘘ではない。二泊三日で京都、奈良、大阪なんて振り返ると狂気だ。ほんの数時間の自由時間もグループ行動だったので、おとなしい尚人は行き先についての発言権もなくただ着いていくだけだった。

「俺はそういう修学旅行って経験ないからなあ。まあいいや、俺も京都詳しいわけじゃないけど、ナオよりは土地勘あると思うからいろいろ調べとく。行きたいとことかあったら、言ってくれたら予定に入れるよ」

 栄の出身校である中高一貫の私立校は自主性を重んじる校風から、修学旅行も数グループに分かれた生徒が行き先やコースも自ら企画すると聞いたことがある。地方の公立校出身の尚人からすればずいぶん特殊に思えるが、栄の常識からすれば一般的な詰め込みタイプの修学旅行のイメージが湧かないものなのかもしれない。

 いずれにせよ尚人は、さっきの探るような様子が嘘のように機嫌良く饒舌な栄の姿に安堵し、自身の胸の奥からも二週間後の予定を楽しみに思う気持ちが湧き上がるのを感じた。

 栄と別れてから、次の講義までの空き時間に生協に寄って京都のガイドブックを買った。かつて早足で駆け抜け消化不良だった京都への再訪が楽しみなのはもちろんだが、栄と一緒だというのは何より嬉しい。

 そういえば修学旅行や、大学に入ってからのクラス合宿を除けば家族以外と旅行したこと自体、これまで一度もないのだ。友人とふたりでの旅なんて――。

「友人?」

 思わず自分で自分にツッコミを入れてしまう。そうだ、しょっちゅう栄からは自覚が足りないとからかわれるが、自分たちはもう友人ではない。

 まだ人の少ない大教室でガイドブックをめくっていると、教室の隅でひそひそと話す女子学生の声が聞こえてくる。

「誕生日にディズニーお泊まり? いいな、最高じゃん」

「バイト代貯めてくれたんだって、嬉しい。付き合い始めたばっかりで初イベントだから気合い入って、可愛い下着買っちゃった」

「ちょっと、声が大きいって」

 明らかに尚人の存在を気にして声を潜められると、聞き耳を立てているわけでもないのに後ろめたい気がする。かといって今さらバッグからイヤフォンを出すのもわざとらしいし、第一そういう話を公共の場でする方がマナー違反なのではないか。いくらはしゃいでいるからって、お泊まりとか下着とかそんな――。

 尚人はそこで、はたと気づいた。

 自分と栄は、もう友人同士ではない。互いに好意を確かめ合った恋人で、キスだってする。とはいえ元々一緒に過ごすことは多かったし、ちょっと接触が増えて名前で呼ぶようになったくらいしか変化はないし、同性というのはそんなものなのだと深く考えずにいた。

 しかし、宿泊を伴う旅行というのは――もしかして、を意味するのではないか?