第13話

 過去のことだと言われればそれまでだ。当時は尚人の恋人は谷口栄だったのも間違いない。だが、いくら気にするなと尚人に言われたところで未生の中にある嫉妬は燃え上がるばかりだ。もちろんそれを理由に尚人を責めるようなつもりはないが、せめてあの男に許したことのすべてを未生にも許して欲しいし、あの男にはできなかったやり方で尚人を自分のものにしたい。

 潔癖気味で紳士的だという栄が生で挿入行為を行ったというのは意外だが、恋人のペニスを口に含むことすらできない男には不可能であろう行為──未生はためらうことなく尚人の後孔に舌を這わせた。

「未生くん、ちょっと待って……」

 そう言って脚をばたつかせかける尚人の腰を片腕で抱え込んで抵抗できなくする。本当に嫌がるようなことを無理やりするつもりはない。だが、ただ恥ずかしいとかこれまでやったことないとか、そんな言い訳は未生にとって手加減の理由にはならなかった。

 空いている方の手を一度前に回して尚人の勃起したペニスの先端を拭うと、その湿りを後孔に擦りつけながら自分の唾液を足してやる。長らくそこに触れても触れられてもいないというのは事実であるようで、刺激にひくつきながらも窄まりは固いままだ。

 優しく指で襞を開きながら直接舌先で唾液をまぶす。ゆっくり、優しく、やがてここが自ら綻んで欲しがるまで。御休憩二時間のホテルにいるわけではないのだから時間なんていくらでもある。問題は、尚人の痴態に痛いほど勃起している自分の我慢がどこまで持つかくらいだ。

「……んっ、や、嫌だ……って、離して」

 未知の方法での愛撫に完全に腰の抜けた尚人は、未生の枕をぎゅっと胸に抱いて何とか快感を逃がそうとしながら弱々しい抵抗を続ける。しかし舌を這わせるたびに震える体や声に混ざる甘い吐息、そしてポタポタと零れるものでシーツを濡らすまでに昂ぶっている性器を見る限り本心から嫌がっているとは思えなかった。

「そんなの駄目だって……ああ、っ」

 何度目かわからないうわごとのような「嫌」と「駄目」をいい加減聞き飽きた頃には、そこはもうすっかり潤んで卑猥な音を部屋に響かせている。

「俺は駄目じゃないし、ここは気持ち良さそうに開いてきたけど? 俺に尻舐められてトロトロになって、気持ちいいなら正直にそう言えよ」

 そう言いながら息を吹きかけると尚人は悲鳴にも似た嬌声を上げる。気を良くした未生は左右の親指でぐっとそこを開き、薄赤く潤んだ内側に舌を差し込んだ。もう押さえつけなくたって尚人が抵抗しないことはわかっている。

 あからさまな言葉で煽る未生に、尚人は息も絶え絶えに抗議をした。

「違……本当に、君と会うまではこんなんじゃなくて。君がっ」

 尚人のセックス観は未生には理解しがたい。退屈なセックスしかできなければ嫌われるのではないかと不安を口にする一方で、相も変わらず欲望を解放することには強い羞恥と恐怖を感じているようでもある。

 潔癖な恋人しか知らずにきた内気な男は、きっとまだ自分の身体とどう付き合えば良いのかわからないのだと未生は勝手に判断し、あやすように声をかけた。

「うん、わかってる。俺が悪い。俺が尚人をこんなにエロくしたんだから、責任取らなきゃな」

 尚人はやがて後ろを舌で嬲られながら一度目の射精をした。か細い悲鳴とともに背中を震わせシーツに白濁を飛び散らせる姿を見れば、もう未生の我慢も限界だった。自分でも気持ち悪いほど湿ったトランクスを性急に引き下ろす。

 コンドームの買い置きはあるし、それどころか尚人の部屋に行くときもいつ何時チャンスが訪れてもいいよう十分な数を持参していたくらいだ。だが今日は、使わないと決めている。いい具合に体の力が抜けたところを見計らって未生は尚人の腰を抱え直し、柔らかく潤んだ場所に自らの昂りを押し当てると一気に貫いた。

「……っ、はぁ」

 堪えきれず掠れた声がこぼれて、まるでその声に刺激されたかのように受け入れた場所がきゅっと収縮した。ただでさえきつい場所でさらに締め付けられれば痛みすら感じるくらいだが、自分が今尚人の中に入っているのだと思うとそれだけで目がくらむような高揚感に包まれる。

「尚人、痛くない? 苦しくない?」

 ひとまず馴染むまではと動きを止めて、荒い息を整えながら未生が問いかけると、尚人は振り向かないままゆるゆると首を振って否定する。その姿に安堵して、未生は尚人の背中をぎゅっと後ろから抱きしめた。

 ぎっちりと埋められたものの熱さと質量をきっと今、尚人は感じ味わっている。未生がどれほど興奮して快感を感じているのか、伝わっているはずだ。そう思った瞬間、意外にも尚人が自ら腰を揺らめかせた。

「……んっ」

 身じろぎではない、確かな意図を持った動きに未生は狼狽して思わずその腰を押さえる。

「おい、人が我慢してるのに何して……」

「だって、僕だけ先にイッたから。……未生くんにもちゃんと気持ち良くなって欲しいし、僕だって」

 耳まで赤くしてそう言った尚人は、驚きのあまり押さえつける力を緩めた未生の方をちらりと振り返り再び腰を揺すった。

 浮気相手として未生と寝ていた頃の尚人は、正直いって未生の快楽には関心がない様子だった。自分の渇きが癒されればそれで十分で、未生はただ求めるものを過剰なまでに与えてくれるだけの存在。自らの絶頂を求めるために貪欲な動きを見せることや、未生に半ば強要されるように積極的な行為を行うことはあったが、こんなふうに未生を気遣い、未生を喜ばせたいという欲求を口にすることなどもちろん初めてだ。

 言葉で伝え合うだけでは足りなかったものが未生の心を内側から満たす。ぎこちない動きで未生を喜ばせようとする尚人の姿に、未生はようやく尚人と恋人になれた気がした。

「なんだよ、マジでやばい。本当……おまえいつからそんな」

 そう言って、後ろからではもどかしいので一度抜いてから尚人の体を裏返すと今度は正面から繋がる。快楽に潤んだ尚人がそんな未生を見つめて薄く笑った。

「でも、未生くんが責任取ってくれるんだろ」

 もう我慢などできるはずがない。未生は上体をかがめて噛みつくように尚人に口付けながら深い場所まで腰を進める。一年以上のブランクは長いと思っていたが、体を繋いでしまえばそんなことどうだってよくなる。

 浅い場所を亀頭の張り出したところでごりごりと掻いてやれば半泣きになって背中に爪を立ててくること。奥を突けばそれに合わせてペニスの先から次々先走りが溢れ出してくること。

「未生くん、あ──あっ」

「尚人、……っ」

 もう互いの名前以外に意味のあることなど何も出てこない。ただ抱き合って、求め合って、やがて未生は尚人の奥に熱いものを放った。

「なあ、あいつとはあれから何回やったの?」

 汚れて湿ったシーツの上に裸で横たわったまま、二人はしばらく動けなかった。一度では収まらなかった未生は、抜かずに再び動き出して尚人の中に二度出した。

「そんなには……すぐに栄は体調崩して、それからはなかったから、ほんの一週間くらい」

 未生の質問は、恋人になってから初めてのセックス後の睦言としてはあまりに不似合いだが、過剰な快感に頭がぼうっとしているのか尚人は馬鹿正直に答えた。

「その間は毎日だとすれば七回? それとも一日に何回もやった?」

「覚えてないよ、そんなの」

「複数回やった日があるとして十回くらい……」

「君さ、馬鹿じゃないの?」

 今度こそ完全に呆れたようにため息を吐く尚人は完全にいつもの調子に戻っている。さっきまで腕の中であんな声を上げて、自ら積極的に快楽を貪っていたとは思えない冷淡さだ。何か言い返してやろうかと思うが、その首筋、服を着ても隠せない場所にひとつだけ許されたキスマークを見て未生は反論の言葉を飲み込む。

 少なくとも今のところは、これだけで十分。

 いや──本当は、もうひとつ。

「尚人、名前呼んで」

 脈絡のない頼みに、尚人は不思議そうな顔をしながらも応じる。

「未生くん?」

「もう一回」

「未生くん。……どうしたの? 変なことばかり」

 何度も名前を呼ぶことをせがまれてさすがに尚人も理由を訊ねる。恥ずかしいもするが、未生は正直に「ずっとさ、羨ましかったんだよ」と答えた。

「尚人があいつの名前呼ぶときにちょっと表情が柔らかくなって、声が甘くなるのが。あんな風に俺のこと呼んでくれたらいいのになって思い始めたのが最初で……」

ほ んの一年半ほど前の出来事なのに、振り返ればずいぶん昔のことのような気がする。ただの暇つぶしのつもりで声を掛けたのに、愛おしそうに恋人の名を呼ぶ姿を眺めているうちに羨ましくなって、その愛情のおこぼれでもいいから欲しいと願うようになって、いつしかすべてを奪いたくなった。

 手を伸ばして頬に触れると尚人はくすぐったそうに軽く身をよじる。

「自覚はないけど、そうだったっけ。だったら、今はどう? 僕は未生くんのこと、どんな風に呼んでる?」

 未生は首を傾げて少し考える。確かに最近の尚人が「栄」の名を出すとき、その声には昔のような甘さはないような気がする。かといって未生を呼ぶときの響きが大きく変わったかというと、はっきりいってよくはわからないのだ。

「わかんない。もしかしたら、まだ愛が足りないのかも」

 冗談交じりに返す未生に、尚人は笑った。

「そういうのってきっと、当事者の側は意外とわからないものなんだよ」

 ということは、つまり──。喜びと同時に猛烈に照れくさくなった未生は、どう反応すれば良いのかわからなくて、代わりに時計を見上げる。

「もう七時じゃん、シャワー浴びて飯でも食いに行く?」

「うん」

 未生が伸ばした手を取り立ち上がろうとした尚人は急に顔を赤くする。奇妙に思った未生が視線を下げると、姿勢を変えたせいで未生が中に出したものが流れ出したらしく、内腿を白濁が伝っていた、

 あまりに扇情的な姿に喉を鳴らしたのは伝わってしまったらしい。尚人は未生の手を払うと、やはりシャワーは一人で浴びると言い出した。

「何でだよ、洗ってやるって約束したじゃんか」

「嫌だ。一緒に行ったらきっと食事どころじゃ……」

 尚人の声は途切れるが、そこまで言えば十分だ。確かに尚人の言う通り、あの狭い風呂場で二人でシャワーを浴びて、尚人の中に指を入れればきっとそれだけでは終わらない。想像するだけで再び体が熱くなり、未生は尚人の腕を引く。

 今夜帰す気などさらさらない。尚人を抱きしめて眠って、明日の夜まで何度だって抱き合える。そしてその先も──毎週末、黄色い電車と赤い電車を乗り継いで。

 

(終)
2019.06.11-2019.06.30

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