その指は甘い。だけではなくて(11)

 初めて羽多野に触れられたときは、ベッドの上で動きを封じられ、強引に性器に触れられた。

 燃え上がるような怒りと羞恥に、決して許さないと思ったにもかかわらず翌朝、栄は羽多野の口車に乗せられて、性的なものへのコンプレックス解消のために「彼を利用する」ことに同意したのだった。

 あのとき、羽多野はまるで何らかの検査もしくは実験のように指先で栄の唇をこじあけた。嫌悪でいっぱいであるはずなのに拒むことができない栄の口内を思うままに蹂躙した。そして栄は口蓋を擦られると快感に全身が震えることを知り、要求されるままに彼の指を舐めた。

 だからというわけではないが、羽多野の指を口を含む行為は、栄の中には何とも言葉にしがたい特別な感慨――むしろ興奮を呼び起こす。

 灯りの下ではしたない行為に興じる自分も、そんな自分の姿を満足げに眺めているであろう羽多野の顔も見たくはないから目を閉じたまま、今ではその太さ、長さ、関節の凹凸までも覚えてしまった指を丹念に舐める。

 一箇所だけ舌先に触れるつるりとした感触は、うす赤くケロイドになりかかっていたやけどの部位だろう。「舐めると治りが早い」という迷信を否定したばかりではあるが、栄はその場所を念入りに味わった。

 これも羽多野が栄への献身――そこに多分に打算や下心があったとしても――の過程で負った名誉の負傷であるならば、その傷を味わう権利を持つのは栄だけ。普段ならば自分のものであろうと治りきっていない傷跡など汚いとしか思わないのに、強い陶酔はいともたやすくリミッターを壊す。

 根元のほくろの位置を思い出し、そこにまで舌を這わせた。唾液で皮膚がふやけてしまうのではないかと思うほどに味わい、しゃぶり尽くした頃に口からゆっくりと指が引き抜かれ、どちらともなく立ち上がりベッドに向かうために言葉は必要なかった。

 

 

 ダイニングルームと違い、間接照明ひとつの薄暗い寝室は栄を安堵させる。仕事に夢中で週末は羽多野と寝なかった。一週間少しぶりなのに、懐かしく感じるベッドに倒れ込み、栄は羽多野の枕に顔を埋めた。

「……羽多野さんのにおいがする」

 同じ洗剤で寝具を洗い同じシャンプーで髪を洗っても、整髪料やボディローション、さらにはそれぞれの生まれ持った体質のせいで、羽多野と栄のベッドのにおいは異なる。

 顔を上げて反応をうかがうと、シャツを脱ぎ捨てながら羽多野は眉をひそめた。

「うるさいな、おっさん臭くて」

 においを指摘するといつも羽多野は不快そうな返事をする。でも栄としてはちっともそういうつもりはない。むしろ羽多野のベッドのにおいは、ほっと安心できたり、ときにはそれだけで体内にむず痒く発情を呼び起こしたりするものなのだ。

 でも、正直な気持ちを口にするのは恥ずかしいし、軽い言葉の応酬はむしろ二人の前戯にはふさわしいくらいだ。だから栄はわざと曖昧な返事と挑戦的なまなざしを向けることにする。

「自覚あるんですか?」

 脱いだシャツを床に落とした羽多野は受けて立つとばかりに不敵な笑みを浮かべ、覆い被さってきた。

「じゃあ、君にも俺のにおいをつけてやろうか」

 色気のかけらもないやり取りとは対照的に、見つめ合う視線も空気も濃密で、そのままふたりは唇を合わせる。

「……ん」

 普段とは違う味のする唇や舌に噛みつき、吸い付き、絡め合う。プリンの味のする口付けなどこれまでに経験がないが――正直、プリンそのものに遜色ないほど

 そしてもちろん、ラムとバニラの香りをまとっていた羽多野の指は、ただ甘いだけではなかった。

 濡れた音を立てたキスを繰り返す間にも、シャツの内側に差し入れられた手は栄の肌をまさぐる。脇腹を撫でさすられるだけで、くすぐったさに鳥肌が立った。もどかしげに動き回る指先は胸元まで駆け上がり、まだ硬く縮こまったままの乳首を愛撫なしにキュッと摘まみ上げる。

「ああ、っ」

 甘いキスから一気に引き戻される痛み。同時にキュンと下腹部そして尻の方にまで刺激が走り、栄はぎゅっと全身をこわばらせた。

「何……っ」

 唇を離し抗議の声をあげるも、羽多野は楽しそうに二度三度と胸の先をつねり、指先でぐりぐりと押しつぶすような仕草を繰り返した。

「やだ、痛いって」

 思わず身をよじって逃げようとする栄だが、ふうっと耳元に熱い息を吹きかけられてそれ以上動けなくなる。そして羽多野はささやく。

「ちょっとくらい痛いのも、好きだろ」

「好きじゃない!」

 谷口くんはMっ気があるから、とからかわれるのは頻繁で、そのたびに真顔で否定する栄だが、実際こうしてベッドの中で軽い痛みや羞恥を伴う行為を強いられるといつだって――。

「ほら、乳首もこっちもすぐ大きくなる」

 ぐいと膝を割られれば、局部がすでにスウェットを押し上げているのがあらわになった。

「そ、そっちこそ」

 自分だけが嬲られるのが恥ずかしくて栄は負けじと足を持ち上げ、羽多野の股間に触れる。面白いとでも言いたげに足首をつかんだ羽多野はそのまま栄の足裏をごりごりと兆しつつある自身に押しつけた。

「ちょっと、何して……」

 布越しではあるが、足裏に伝わってくるのは生々しい感触。みるみる熱さと硬さを増すそこにうろたえる栄を、羽多野は面白そうに見下ろす。

「何って、触ってきたのは谷口くんだろ」

「そんなつもりじゃ……」

「せっかくだから足でサービスしてもらおうか」

 決して意図していたわけではないのに、ささやかないたずらも羽多野の手にかかればアブノーマルな行為に誘導される。恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら栄は足を使って羽多野を高める羽目になった。

 完全なになるまで栄の足をいいように使ってから、羽多野はようやく手をゆるめる。と、今度はいつかもやったように栄の足指口に含みながら、下半身に身につけているものを脱がせにかかった。

「も、なんであなたってこう」

 せっかく甘いムードだったのに、なぜそのまま普通の、甘ったるいだけのセックスができないのか。

「君がたっぷり俺の指を舐めてくれたから、お礼をと思って」

「あれは、羽多野さんが舐めろって……」

 それに、手の指を舐めるのと足の指をしゃぶるのではフェチ度は段違いだ――が、それを口に出す余裕は与えられない。

「あ、あ……」

 親指、人差し指……順番に指を舐められ吸われ、指の間を舌先でくすぐられる。卑猥な行為に翻弄され、つり上げられた魚のようにびくびくと体を震わせながら、喘ぎ声ひとつ漏らすごとに自分のペニスが恥ずかしく膨らみ、角度をつけ、震えるのを生々しく感じる。

 スウェットと下着を引き下ろされたせいですでにそこは丸出しで、足指を愛撫されながら興奮を高めていく自分の痴態を羽多野がじっくり観察していることも。

 たらたらと流れ出す蜜は敏感な亀頭から血管の浮き出す茎を伝い、羽多野しか知らない会陰のほくろをかすめてから、すでにひくついている後孔を濡らす。

 忙しさにかまけているときは忘れていた性欲が一気に爆発したかのように、身を焦がすような劣情に栄は耐えきれず腰を震わせた。週末のセックスをスキップしただけなのに、こんなにも〈溜まっている〉だなんて気づかなかった。片脚を拘束された状況で、栄は自らが欲望を昂ぶらせる姿を羽多野の目にさらし続けた。

「もう、いいかげんに……」

 ダイニングルームでの栄の愛撫など生ぬるく思えるほどに、たっぷりと足指に唾液をまぶされて、ダメ押しに土踏まずへ軽いキスをしてからようやく羽多野は栄の脚を解放した。だが、もはや理性で体をコントロールすることが難しく、栄はがくがくと震える膝を閉じることができない。

 大きく開いた脚の間を満足そうに一瞥して、羽多野は身を進める。その股間のものも既にがちがちに猛っていた。

 待ちわびた場所に先端が押し当てられると、反射的に息を止める。衝撃と痛みは一瞬で、硬い先端はすぐに入り口近くにある男の敏感な場所を刺激する。その瞬間、電撃のように激しい快楽が栄の全身を突き抜け、ペニスの先から勢いよく白濁が飛び出した。

「……っ、……嘘……」

 荒い息を吐きながら、濡れた感触が信じられない、いや信じたくない。

 足を舐められて、挿入されて――まともにピストンされないうちに出してしまった。もちろんペニスへの愛撫は皆無。少し前にも、性器に触れられることなしに後ろへの刺激だけで達して恥ずかしい思いをした。だが、挿れられただけで射精するなんて、より悪い。

 羽多野だって興奮しているはずだ 。栄の醜態に気づかず、そのまま行為を続けてくれれば――という願いは虚しく、驚いたように動きを止めた羽多野は硬いものを栄の体内におさめたままで、手を伸ばす。

 腹に飛び散った白濁を指ですくい舐め取る羽多野を、栄は憎らしい思いで見上げた。

「……最悪」

「ごちそうさま。俺にはこっちの方がずっと甘いみたいだ」

 栄の精液を味わってから、羽多野は満足そうに舌なめずりした。

 すっかりプリンにだまされた、やっぱりただの献身ではなく邪な下心があったのだ。プリンで栄の機嫌をとって、気が緩んだ隙にやりたい放題しようという魂胆。

 馬鹿みたいに喜んで、羽多野の思うつぼにはまってしまったのかもしれない――湧き上がる悔しさは一瞬で、羽多野が再び腰を動かしはじめると何もかもどうでもよくなってしまう。

 人生最高のプリン・ア・ラ・モードの代金は思った以上に高くつきそうだ。理性を手放す寸前に栄はそんなことを考えた。

 

(終)
2022.05.28-07.10