「待って、苦しい」
夢中になって引っ張っていたせいで、首が締まっていたようだ。圭一は和志を押しとどめるとTシャツを潔く脱ぎ去ってしまう。インドア派の圭一の肌は白いが、勤め先のカフェではずっと立ち仕事をしているので体には薄くしっかりとした筋肉がついている。
自分が圭一の服を脱がせるところを思い描いていた和志は少しだけ残念に思うが、そんな感情を引きずるより今は先に進みたい気持ちが勝る。圭一に置いて行かれないよう和志も慌てて上から二つほどシャツのボタンを外すと、そのまま頭から抜いた。
「なんか、勉強ばっかやってる割におまえもゴツくなったな」
裸になった上半身をまじまじと眺めて圭一が言った。照れくさいが、当然悪い気はしない。
「意外と体使うんだよ。上下関係っていうか体育会系っていうか、体使うことは若手に任される傾向もあるし」
高校生の頃まではどちらかといえば貧弱だった和志だが、大学とりわけ研究室に入ってからは重い機材の持ち運びや、あちこちから頼まれてのフィールドの活動が増えたことから体力もついた。裸になって圭一と向かい合っても劣等感を持たずに済む程度の体を手に入れることができたのは、今の研究室を選んで良かったことのひとつかもしれない。雑用を押し付けてくる教員や先輩たちに今ばかりは感謝したくなった。
「やだな。オレももうちょっと鍛えないと負けてるかな」
そうひとりごちる圭一の口を唇で塞ぐ。圭ちゃんはそのままでいい、口に出さなかった言葉はきっと伝わっているはずだ。
一度キスをすると、止めることはできない。圭一の薄い唇を吸いながら頰を撫で、髪をかき混ぜ、気づけばベッドに押し倒す格好になる。背中に回された腕の力が強くなり、同じだけの情熱で口付けが返される。そろそろ圭一の体にも本格的に熱が灯って来たようだ。
「圭ちゃん、勃ってきた?」
腕の下にいる恋人の膝を割って体を滑り込ませると、敏感な場所同士を擦るような動きをする。デニム越しなのではっきりした感触はないものの、そこが幾分質量を増しているのは確かだと思った。圭一は返事の代わりに和志の口内に濡れた舌を滑り込ませてくる。こういうとき恥ずかしがってはっきりと言葉で返さないところがどうしようもなく欲情を誘うのだが、圭一はそれを自覚しているのだろうか。
反応は直接確かめることにして、和志は圭一のデニムの前ボタンに手を伸ばした。その間すら、すでに興奮をあらわにしている自分の体がもどかしくて圭一の太ももに腰を押し付けるが、意外にも制止が入った。
「ダメだって、和志……っ」
キスと首筋への愛撫だけで息を切らしている圭一が、手を伸ばして和志の腰を掴み押しとどめようとする。
「でもっ、圭ちゃん、俺止まんない」
焦れた和志は性急に圭一のデニムを脱がしながら訴える。しかし圭一は和志の耳元にぴったりと唇を寄せた。
「バカ、そんなすぐイってどうするんだよっ。……今日は、するんだろ?」
――今日は、するんだろ。
その言葉は和志の動きを止めると同時に脳天を沸騰させた。確かに、触り合って出すだけのいつもと今日は違うのだ。こんなところで早まって入れる前に終了なんて、それこそ本末転倒に違いないのに興奮しすぎて頭が回らなかった。悔しいけれどこういうところが圭一と和志の経験の差なのだろう。
圭一が軽く腰を浮かせてくれたので、和志は勢い任せにデニムと下着を引き摺り下ろす。重い布地はいったん膝のあたりでわだかまったが圭一がもどかしげに脚をばたつかせるとやがて完全に足先から抜け落ちた。
「圭ちゃん」
名前を呼んで、ほとんど完全に勃起している圭一の性器に触れる。軽く握るとすでに先走りがにじんでいるのか、濡れた感触がした。自分とのキスや接触に、この幼馴染が同じくらい昂らせていることそれ自体が嬉しくてたまらない。
すでにここまでなら何度も経験している。どこをどうくすぐってやれば圭一が甘い息を吐き、身をよじって達するのかも知っている。でもさっき圭一に釘を刺されたように、今日の目的はその先にある。和志は冷静な思考能力を失った頭で、それでも繰り返してきた予習の内容をなんとか思い出そうとした。
「……ちょっと、和……っ」
膝裏に手をかけて左脚を大きく上げさせると、何もかもが露わになる。あからさまな姿勢を取らされた圭一は驚いたような声を出すが、行為のために必要なこととわかっているからか、顔を赤くしてぐっとその先の言葉を飲み込んだ。
反り返ってふるふると震えている性器とその下に息づいている膨らみ。そしてそこから少し下に目をやれば、まだきゅっと窄まっている箇所が和志の視界の真ん中に入る。目が眩むようだった。
ローションのボトルを手にして、蓋は口で開ける。「練習」の最初のときにそのまま垂らして冷たいと叱られてから、手の中で温める手順を欠かしたことはない。しばらく手の中で温め撹拌してから、たっぷりの粘液をまとわせた指を伸ばした。ぬるぬると周辺を指先で撫でさすり、緊張が緩む頃合いを見計らって指を差し入れる。
「……っ」
いつも、最初に侵入するとき圭一はひどく苦しそうな表情をする。濡らした指一本、痛みはないはずだ。例えるならば歯医者に行ったとき。さして痛くない治療だったとわかっていても、無防備な口の中に器具を差し入れられる瞬間はどうしても緊張する。そういう感じなのかもしれない。
「圭ちゃん、大丈夫? 少しずつするから」
声をかけて、顔を覗きこむと照れ臭そうに圭一は顔をそらした。
「あんまりゆっくりされても……やだ」
「え?」
思わずにやついたところで頭をはたかれた。だがその勢いで指が奥へと沈んでクチュッと濡れた音を立て、同時に圭一は「あっ」と切ない声を上げる。
「お、おまえ今っ、『そんなに俺が早く欲しいの』とか思っただろ!」
息も絶え絶えに圭一は何とか言葉を絞り出した。もちろんその通りだ。
「うん……」
「違うよ。こっちだって経験ないから怖いんだって! 指と全然違うからっ。だからあんまり生殺しは――あっ」
必死の訴えを聴きながら動かした指が敏感な場所に触れたのか、甘い息と同時に腕の中の体がびくりと震える。ふるりと震えた圭一の性器の先端から透明な雫が滴った。
自分と比べて経験豊富だから、と思い込んでいた圭一だが受け身でのセックスは初めてだ。和志とは別の意味での緊張や不安は思った以上に大きいのだとそのとき和志は初めて気づいた。それでも圭一は圭一なりに覚悟を決めて今日の誘いを受けこの部屋にやってきてくれたわけで。
和志は身を乗り出して圭一の首筋にキスをする。
「ありがとう圭ちゃん。痛かったり苦しかったりしたら、すぐ言って」
「ん。うん」
指を二本、三本と増やすうちにきつい抵抗のあった場所が次第に柔らかくなる。どこまでほぐせば十分なのか、正直確信はない。ただ、あまり長引かせても圭一が辛いだろうし、何よりそろそろ和志の下半身も限界だった。
目の前では恋人があられもない姿で身悶えているのに、自分自身には触れることもせず堪えている。ふと視線を下にやるとチノパンの前はぱんぱんに膨らんで、みっともないことに染み出した先走りで少し濡れてさえいる。前立てを開けて下着に手をかけると、よほど息苦しかったのか、それは勢いよく飛び出してきた。
「ちょっと押さえてて」
支えなしでは上手く入れられそうな気がしない。和志は圭一の手を取って、脚を大きく開いた姿勢のままでいるよう自らの膝裏を抑えさせる。目元まで赤くして少しぼんやりした表情の圭一は文句のひとつも言わずに言われたままにした。その視線が完全に臨戦態勢になった和志の局部に向けられる。
すでに自分の出したもので濡れた状態ではあったが、念には念を入れてローションをすり込んだ。触れただけで弾けてしまいそうなほど興奮していることは自覚しているので、和志はどうかそこが目的を遂げる前に暴発しないようただ祈るだけだった。
先端を押し当てると、思ったより抵抗がある。本当に入るんだろうか、と一瞬頭をよぎる。だってあんなに小さい穴。確かに指は入ったし、一度は玩具を試したこともあるけれど――圭一が嫌がり二度目はなかった――巨根自慢でも何でもない自分のそこが、本当にここに侵入できるのか。突然生じた迷いに和志は動きを止めるが、ここでも背中を押してくれるのは圭一だった。
「いいから早くっ、大丈夫だって」
その言葉には強がりも多分に含まれているのだと思う。それでも、欲しがる気持ちに嘘がない証拠に、圭一の腰は微かに揺れていた。
言葉に応えるようにぐっと腰を押し付けると、先端が肉に埋まる感覚があった。ひどくきついのは最初。腕の中の圭一の体にもぐっと力がこもった。力を抜かせるにはどうするんだったっけ、と混乱する頭で記憶を手繰り、そのまま身を乗り出してキスをした。
「ん、っ」
唇が触れた瞬間、圭一は和志にこれまでにないくらいの強さですがりついてきた。まるでこの不安からも痛みからも救ってくれるのが世界でただ一人和志しかいないかのように強い力でしがみついて、自ら和志の唇を、舌を貪った。
「……は、あっ、圭ちゃん」
名前を呼びながら、キスをしながら、手を圭一の股間に伸ばす。少し萎えそうになっているそれをやわやわと握りさすり、先端をくすぐってやると手の中で再び硬さを取り戻すと同時に、きつく和志を締め付けている場所がわずかに緩んだ。
「ごめん、痛い? 圭ちゃん、痛いよね……」
そう繰り返しながら、それでも高まりきった欲情はもう抑えることなどできない。ごりごりと腰を進め、やがて和志は熱く猛った場所のすべてを圭一の中に収めた。
「バカ」と、ようやく唇を離した圭一が呟く。
「おまえだって痛いだろ、こんなの」
「……うん」
図星だ。思った以上の締め付けに、和志も痛みを感じている。圭一だって和志が身動きするたびに眉根を寄せて痛みをこらえる顔をする。最初から動画に出てくるカップルみたいに上手くいくとは思っていなかったが、こんなに痛いものだとも思っていなかった。
でも――熱くてひりひりと痛む場所、そこで今確かに和志は圭一とつながっているのだ。
「痛いけど、すっごい幸せ……」
和志はそう言って圭一の額に自分の額をくっつけた。気を抜いたら涙がこぼれそうなくらい嬉しくて、感動しているけれど、初体験で泣いたら死ぬまで圭一にバカにしてからかわれ続けるに決まっているから何とかこらえようとしてぎゅっと顔に力を入れる。その様子を見て圭一が吹き出した。
「……っ、何変な顔してるんだよ」
変な顔だなんてひどい言い様だ。でも今何か言い返せば頑張ってこらえている涙が出てきてしまうに違いない。だから和志は黙って圭一をきつく抱きしめた。もちろん心の底では、圭一が今和志が泣くのを我慢していることくらいお見通しなのだとわかっているが、それでも今くらいは感傷に浸っていたい。
長い初恋のその先。やっとたどり着いたこの瞬間を噛みしめ焼き付けて、ずっと忘れずにいられるように。
(終)
2018.10.20 – 2018.11.28