第21話

 生温かくて柔らかいものが唇に押し付けられ、圭一はぼんやりと「ああ、これは和志の唇だ」と考えた。幼馴染の、しかも男とのキスなど一度だって想像したこともなかったが、いざやってみれば女の子とのキスと大差はない。目を閉じてしまえば男か女かもわからないくらいに。

 ――いや、違う。

 ただ押し付けるだけだった唇からぬるりとした舌が伸ばされ、圭一の口内に入り込もうとする。その大きさ、厚み、そして強引さはこれまでに経験のないものだ。

「――っ」

 さすがにそこで正気に戻り、圭一はぎゅっと唇を閉じて上下の歯を噛み締めて和志の侵入を拒んだ。しかし和志も簡単にはあきらめてくれず、唇の合わせ目をなぞるようにゆっくりと舐めてきたり下唇を甘噛みしてきたりするものだから、圭一だって何も感じずにはいられない。唇への刺激は圭一の背筋を震わせ、へそのあたりまで下がったところでかろうじて止まる。

 だめだ。ここで許したら絶対にこいつは調子に乗る。それは思い込みというよりは長い付き合いに裏付けられた核心で、圭一は片腕一本で断崖絶壁にぶら下がっているような絶体絶命の状況を必死に耐えようとした。

「圭ちゃん、ひどい! 何で口開けてくれないんだよ!」

 ようやく口を離した和志は息を切らしていた。鼻で呼吸をすることも忘れてただ圭一の唇をこじ開けることに必死になっていたのだ。普段より赤味が濃く、唾液で濡れた唇はひどく間抜けだがどこか艶かしくもある。

 それにしても、まるでそれが当然の権利であるかのように、深いキスを許さない圭一を責める和志はやはりどこかずれている。和志にキスを迫る権利があるのならば、圭一にはそれを拒む権利がある。後ろめたさも罪悪感も感じる必要はないはずなのに、こうも堂々と文句を言われるとだんだん自信がなくなってくる。

「圭ちゃん前に言ってたよね。ほのちゃんを思い浮かべてひとりでしてるのかって。あれ、俺にもほのちゃんにも失礼だよ。すごく傷ついた」

「傷ついたなら悪かった、謝る。でもそれとこれとは」

「だって、俺が圭ちゃん以外思い浮かべるはずないじゃないか。ひどいよ」

「落ち着け和志。話をしよう。おまえちょっと様子が……」

 変だぞ、と言おうとした唇はもう一度塞がれた。さっきよりは余裕のある甘く優しいキス。和志は目を閉じ圭一の唇をゆっくり味わっている。意外と多いまつげ、ニキビひとつできたことのなさそうな肌。一度も染めたことのない黒い髪がさらりと圭一の額を撫で、その感触に首筋がゾワっと粟立った。

 そして、唇を離し、目を開けた和志は改めて言った。

「圭ちゃん、好き」

 熱っぽい瞳は真剣そのもので、圭一はゴクリと唾を飲んだ。

 誰の一番にもなれないと思っていた。自分とほのかが並んでいれば十人中十人がほのかを選ぶ。悔しいけど仕方ないことだ。前向きに頑張っているほのか、ひどい拒絶にあってもいつかは兄と和解できるのだと信じているほのか。それに比べて、自分が駄目なのは親が悪い環境が悪いと何もかも人のせいにしていつまでもいじけたままで、勝手に心を閉じておきながら誰も自分をわかってくれないと世の中を呪っていた。

 そんな圭一のことを、ずっと和志だけは――。不器用で鬱陶しくて言葉の選び方も下手くそで、それでも和志はずっと圭一を選んで、圭一の後だけを追いかけてきてくれた。

「和志……」

 戸惑いながら和志の瞳を見つめ返す。肩にかけられた腕に少しずつ力がこもり圭一ははっきり意識しないままベッドに押し倒されていった。

「圭ちゃんは?」

「う、うん……」

 わからない、という言葉ごと三たび唇が塞がれ、今度は圭一が唇に力を込める間もなく和志は望む通りに舌を滑り込ませてきた。

 キスの経験はある。多分、いや絶対和志よりもたくさんある。でも、これまで圭一が経験したキスは自分がリードするものばかりで、こんな風に押し入られ、必死に求められ、ただ蹂躙されるようなことは一度だってなかった。

 和志は、これまでに触れたことのない場所すべてを確かめようとするかのように唇の裏、歯茎、口蓋から舌の裏まで圭一の口の中をくまなく辿りながら、たまに気まぐれのように舌を絡めてくる。ところどころ自分でもこれまで知らなかったひどく感じる場所があって、長いキスの息苦しさで意識はぼんやりするのに感覚だけはどんどん鋭敏になって行くのが不思議だった。

 もちろん和志が確かめようとしているのは口の中だけではなく、その手はまず圭一の頰をなぞり、鼻筋をなぞり、首筋をくすぐってくる。

「……んうっ」

 体が跳ねたのは、シャツの上から胸元をひっかかれたからだ。びくりと感電したような、しかしもっと甘い痺れが腹、腰、足先まで全身を伝う。男だってそこが感じるという話は聞いたことがあったが、自分の体がそうだとは思ったことがなかった。触れたことも触れられたこともない胸の先を和志は爪を立てて執拗にカリカリと引っ掻き、それに反応して圭一が腰を揺らしはじめるのを嬉しそうに眺めた。

「圭ちゃんここ、大きくなったのがシャツの上からでもわかる」

「ちょっと、かず……っ」

 キスから解放されても、今度はより恥ずかしい行為が待っているだけだ。ぷくりと膨れた乳首を今度は薄い布越しにこねられる。慣れた手つきではない。ただ感情と欲情に突き動かされているだけの必死の行為で――だから圭一は和志を拒絶することができなかった。

 焦る指先は何度も失敗しながらシャツのボタンを外し、赤く色づいた場所をあらわにする。熱い体にひんやりとした空気が気持ちいいと思うのは一瞬で、すぐに圭一の体は同じくらい熱い体に覆われて、敏感な場所は和志の唇と舌に溶かされる。

「んっ、う……、あ、はあっ」

 そういえば最近は新しいアルバイトで忙しかったり、和志とのあれこれで思い悩んでいたりでろくに自慰行為もしていなかった。そう意識したが最後、ボトムを内側から押し上げる昂ぶりがさらに膨張を増したような気がした。

 キスや胸をいじられただけでこんなに高まるなんてみっともない。しかし意志の力で抑え込めるレベルはすでに超えていて、圭一は上半身への愛撫を受けながら自分の腰を和志のそれにごりごりと擦り付ける。胸をいじられるから性器が昂ぶるのか、性器を刺激するから胸がより敏感になるのか、もはやどっちがどっちかわからない。少なくとも今、圭一は和志とこうやって汗と唾液まみれて抱き合っていることを嫌だとは思っていなかった。

「圭ちゃん、俺、圭ちゃんのおちんちんが見たい」

 この期に及んでムード作りなどという高度な恋愛テクニックとは無縁の和志は、今度は圭一の固くなった股間をボトムの上からさすりながら直接的な要求をする。一体この質問にどう答えさせたいのか、これは果たして天然なのか、それとももしかしたらすごく高度でマニアックなプレイなのか……しかし今の圭一に和志を問い詰めるだけの余裕はない。それに、ここまでくれば自分もおそらく和志も、解放しない限りは終わらないであろうことはわかっている。

「好きに、しろっ」

 投げやりな許しの言葉を与えられた和志がフロントのボタンを外す。ファスナーを下ろす小さな音が耳に入ると、さすがに恥ずかしさがこみ上げて圭一は両手で顔を覆った。恥ずかしくて今の自分の顔を見られたくないし、和志がどんな顔で何をしようとしているのかを見たくもない。

 そっとボトムの前をくつろげられて、下着の前に手がかけられる。そこが言い訳のしようがないほど濡れているのは見なくてもわかる。そして、ウエストのゴム部分を軽く引かれれば、窮屈な場所から待ちわびたように完全に勃起したものが飛び出すのも、見なくてもわかる。

「……昔見たのと全然違う」

 耳に飛び込んできたのは予想外の感想だった。そういえば最後に互いの裸を見たのは小学生の頃だっただろうか。

「当たり前だろっ、おまえのだって見せてみろよ」

 さすがに圭一も飛び起きて反論する。この歳になって小学生みたいな局部をしていること予想されていたのならば屈辱そのものだ。

 シャツをはだけて、下半身はボトムを履いたまま勃起したペニスを丸出しにしているという情けない自身の姿。一方の和志はきっちり上下を着込んだままだが、股間が張り詰めているのは見ただけでわかる。自分ばかりみっともない格好をさせられていることに気づき、圭一は荒い息を吐きながら和志のウエストに手を伸ばした。

「うわっ、圭ちゃん」

「俺だけとか、ずるいだろ」

 同じようにフロントをこじ開け、和志の性器を露出させる。以前「今も母親の買ってきた白ブリーフ履いてるんじゃないか」とからかったことがあったが、和志が履いていたのはネイビーのボクサーパンツで、圭一の下着と同じくらいびっしょり濡れているのを見て少しだけプライドが満たされた。

「おまえのだって、昔見たのと全然違うよ」

「うん……」

 二人でベッドの上向かい合って、互いのペニスを眺めているのは明らかに尋常でない状況なのだが、目の前で和志の喉仏がゴクリと動くのを見て、圭一の頭の奥でも何かが焼き切れた。

 もう、恥ずかしいとかみっともないとか、どうでもいい。

 どちらともなく腰の位置をずらし、ペニスをくっつけるようにしてお互いの両手で包み込む。先に動き出したのはどちらかわからない。熱く固く、ぬるつく場所をひとまとめにしてこする。たまらず腰も動かすと、互いのペニスの張り出した部分が茎を刺激して、そのたびあまりの快感に口から喘ぎ声が漏れる。

「……圭ちゃん、圭ちゃんっ」

 目の前で、熱に浮かされたように和志が名前を呼んでくる。

 こいつはいつも、ずっと、こうやってオレのことを思い浮かべてひとりでしてたんだろうか……そんなことをふと考えたところで腰の奥がずくんと大きく脈打ち、圭一は終わりが近いことを知る。

 開放の瞬間、圭一は無意識に和志の名前を呼んでいた。