第20話

 ほっと胸を撫で下ろした圭一だが、しかしだんだんとそんな自分への疑問が頭をもたげてくる。

 和志とほのかが付き合っているかどうか、果たしてそんなことが問題の本質だっただろうか。そもそも圭一は何にショックを受けて、何に怒っていたのか。そこでもうひとつ大切なポイントが残っていたことを思い出して、圭一は再び和志に詰め寄ることにする。怒りはさっきの半分程度までに目減りしているが、だからといって問題をうやむやのままにするわけにはいかない。

「おい、それだけで話が終わると思うなよ。おまえ、最初からあのサイトでやり取りしてるサクラがオレだって知ってたんだろ? 詐欺だって知ってて、なんでわざわざ話に乗って有料サイトにまで登録したんだよ。ちゃんと説明しろ」

 ぐっと顔を寄せると、和志は思いのほかたじろいだ。

「そ、それは」

 圭一から目をそらし、ずるずると腰をずらし逃げを打ちながら和志は口ごもった。思わず圭一は和志のつるんとした子どものような頰に手を伸ばすと、ぐいと力を込めてその顔を自分の方へ向けた。

「和志、全部正直に話すって言っただろ」

 和志は身をよじって圭一の手から逃れ、しかしすべてを話さない限りは解放されないと悟ったのか、ぽつぽつと話しはじめた。

「……俺、ああいうスパムメールもらうの初めてだったから最初は間に受けて返事したんだ。そのときはもちろん圭ちゃんが相手だなんて知らなかった。もちろんあれが本物のほのちゃんからのメールじゃないっていうのはわかっていたけど、他人になりすましてメールするなんてひどいやつだから物申してやろうと。そのためには一度引っかかったふりをしようと思って」

 当初の返信の動機は、正義感だった。和志は、誰かがほのかの振りをしてほのかを貶めようとしているのではないかと思い、まずは相手を探るためにメールに返信をしたというのだ。一通目のスパムメールはシステムが無差別送信したものだから圭一に責任はない。だが、世間知らずな和志のヒロイズムにより書かれた返信が圭一の手元に届いたことで、事態は奇妙な方向に転がることになった。

「ちょうど有料サイトのお誘いのメールをもらった後くらいかな。ここに来たときにマニュアルがあるの見つけて、心配になって圭ちゃんがトイレ行ってる間にちょっと探してみたら見慣れないスマホまで出てきて」

「……もしかして」

 圭一が低い声で訊ねると、さすがに悪いことをしたという自覚があるのか和志は怒られるのを覚悟した子どものようにぎゅっと眉根を寄せて、開き直って頭を下げた。

「ごめんっ。まさかと思って圭ちゃんの誕生日を入れたらパスワードロックが外れたから、つい出来心で」

「おまえっ、最低。最低だよ!」

 まさか目を離している間に勝手に部屋を家探しされ、しかもパスワードを解除してスマートフォンの中まで見られていたとは。しかも和志の言葉からは「まさか誕生日をパスワードにするなんて馬鹿なことしているとは思わず」というニュアンスすらにじむ。

 一発殴りつけてやろうと圭一が腕を振り上げると和志は「でもっ」と慌てて言葉を続けた。

「でも、そんなバイトするところまで圭ちゃんが追い詰められてるなら少し様子を見ようと思ってっ。どうせ俺がやめなよって言っても圭ちゃんムキになるだけだから。本当に、結果的に騙しちゃったことは悪かった。ごめん」

 和志は一応は謝罪している風なのに、どうにも謝られている気がしない。「様子を見る」とか「どうせムキになるだけだから」とかちょこちょこと上から目線な言葉が混ざるからなのだろうか。

 でも、悔しいが和志の言っていることは正しい。あそこで和志にサクラのアルバイトを咎められれば圭一は反発して、むしろもっと人を騙す仕事にのめり込んでいたかもしれない。そして、和志以外にも被害者を作って戻れないところまでいってしまっていた可能性もある。

 言葉の選び方が下手くそなせいで腹は立つが、和志が圭一を心配してくれていたこと事態は本当なのだろう。だから、圭一のつまらない芝居に付き合ってメッセージを交換して、少しでも圭一が前を向けるようにと。

 どれだけ〈SHIZU〉の言葉に救われたかわからない。ちょっとしたメッセージを待ちわびて、もらったアドバイス通りに行動して成果が出れば褒められたくて、必死だった。そんな中でも、あの優しい言葉も何もかもがほのかに向けられたもので、自分へのものではないのだと思うと空しかった。

 ――でも、本当は違った。和志があのメッセージの向こうに見ていたのは圭一だった。

 圭一は振り上げた拳を下ろした。

「最初は、遠回しに圭ちゃんが危ないバイトを辞めるように誘導できればと思ってたんだ。でも、圭ちゃんが普段言ってくれないようなことまで心開いて色々話してくれるのが嬉しくて、だんだん俺の方が夢中になってやめられなくなってた」

「じゃあ、高額請求がくることもわかってたのか?」

「サクラメールの詐欺について検索して調べたから、覚悟はしてた。まあ、思ってたよりかなり多くて正直面食らったんだけど」

 和志が本当に〈SHIZU〉と〈ほのか〉の仮面を被ってのメッセージ交換を楽しんでいたならば、何も圭一に種明かしをする必要はなかったはずだ。和志があえて有料サイトに登録して詐欺に引っかかった理由自体は理解したが、だったらあの夜三十万円の請求額を見せて泣きついてきたのはなぜだろう。

「請求額にびっくりして、おしまいにしようと思ってオレに金額を見せたのか?」

「うん……それもある、けど」

 そこで和志は顔を上げると、ちらりと圭一を見た。先ほどまで同様の気まずそうな表情ではあるが、耳元が少し赤らんでいる。

「圭ちゃんの気持ちとか色々聞けたことは嬉しかったけど、相手が俺だってことには全然気づいてもらえなかっただろ? 圭ちゃん、俺には相変わらず怒ってばかりなのに、メッセージだと妙に優しくて素直だから……〈SHIZU〉に嫉妬するようになっちゃってさ。だから、あれは俺なんだって言ってやりたい気持ちもあって」

 とんだ茶番だ。圭一も和志も、お互い素性を隠してやり取りを続けながら「他人のふりをした自分」に嫉妬していたなんて。圭一が〈SHIZU〉の好意の対象であるほのかを羨んでいたのと同様に、和志も圭一の信頼を勝ち得た〈SHIZU〉を羨んでいたというのだ。それが、自分自身で作り出したペルソナであるにも関わらず。

 馬鹿だ。自分も和志もとんでもない馬鹿だ。圭一は思わず和志の胸ぐらをつかんだ。

「馬鹿っ。オレ、本気で心配して、すっげえひどいことしたって後悔して。何とかしておまえの被害を埋め合わせようと思って母さんから金借りて振り込んで……。いや、あんなバイトしたオレが悪いんだから金はいいんだけど、でもすっげえ悩んだのに……」

 急に喉のあたりがぎゅっと苦しくなって、それ以上言葉が出なくなる。

 あれ、と思う間もない。圭一の両目から涙がこぼれた。一粒こぼれれば制御などできるわけもなく、続いてポロポロと温かい雫が頬を伝う。まさかこんなことで自分が泣くなんて思っていなかったから、恥ずかしさより驚きが勝る。

 圭一が泣くのを見て、和志は顔色を変えた。胸ぐらを掴まれたそのままでぎゅっと圭一を腕の中に抱き込んだ。

「ごめん、圭ちゃん。悩ませちゃって。本当ごめん」

「うるさい。この嘘つき、詐欺師、人でなし」

 抱きしめられた温かさのせいで喉の重い塊が溶けていく。ようやく再び言葉を口に出せるようになるが、圭一は駄々っ子のようにただ和志を罵る言葉を繰り返すだけだった。そして、不思議なことに弱々しく勢いに欠ける罵声を受け止めながら和志は嬉しそうにふっと笑い、圭一の背中を落ち着かせるように何度もさすってくる。

 何かが変だ――気付いたときには、もう遅い。圭一の耳には和志の甘ったるく満足そうなつぶやきが注ぎ込まれる。

「でも、圭ちゃんがそんなに俺のこと心配してくれてたのも、ほのちゃんと俺が付き合ってるんじゃないかって血相変えて飛んできてくれたのも、嬉しいよ」

「……は?」

「いろいろあったけど圭ちゃんとおばさんも仲直りできたみたいだし、俺たちもこうやって気持ち確かめ合えたし、結果オーライだよね」

「……待て、和志。何の話だ」

 突然話題が明後日の方向に向かったので圭一は慌てて和志の体を引き離そうとした。だが意外にも腕の力が強いので圭一はただ和志の腕の中でもがく。

「何って、俺と圭ちゃんが相思相あ……っ、痛い痛い」

 腕を振りほどくことができないので圭一は和志の耳たぶを思いきりつねってやった。ちぎれそうなくらいの力で引っ張ると、痛みにうめきながらようやく和志は圭一を解放した。

 すかさず体を反らして和志と距離を取ろうと試みながら、圭一は声を荒げる。

「何寝ぼけたこと言ってんだよ。オレがいつおまえのこと好きだって言った。それにおまえだって、ずっとほのか、ほのかってあいつの話ばかりしてて、今更そんなこと言っても」

「だって、圭ちゃんを待ち受けにしたり圭ちゃんのこと可愛いって言ったら、怒るだろ」

「は?」

 いや、それはそうだ。だってそんなの普通に気持ち悪いだろう――。さっきから飛躍しがちな和志についていけない。だが、圭一が完全に引いてしまっていることにも一切気が付いていない様子でマイペースな和志は幸せそうに微笑んだ。

「ほのちゃん、目元とかちょっとした表情とか圭ちゃんとそっくりなんだよ。だからほのちゃん見てると、圭ちゃんってこんな風に笑うんだろうなとか甘えるんだろうなとか……」

 圭一は絶句した。そしてひとり勝手に幸せそうな和志は、事態についていけずにベッドに座ったまま硬直している圭一ににじり寄り、肩を抱き寄せるとそのまま口付けた。