If they had an unexpected reunion … (03)

 未生は我が目を疑った――というわけでもなかった。背後から近づいてくる声を聞きながら、最悪の事態は想像していたからだ。とはいえ、嫌な予感が的中したことに落胆したこともまた事実だ。

 待ち望んだ週末の外デート。臨時ボーナスの使い途として尚人が未生とのランチを選んでくれた特別な日に、よりによってこの世で最も顔を見たくない人物が現れるだなんて。未生は因縁の相手の顔をちらりと伺う。

 いつの間にか一歩後ろに下がって、羽多野の後ろに半身を隠すようにしながら、谷口栄は今の未生が浮かべているであろう仏頂面に勝るとも劣らない不機嫌そうな顔をしていた。

 直接相対したのはたったの二度だが、印象は鮮烈だった。未生の記憶にあるよりも目の前の栄はずっと健康そうで、にもかかわらず、過去に感じた傲慢なまでに自信に満ちたオーラは薄い。不愉快さを凌駕する狼狽。彼の全身から「今すぐこの場から逃げ出したい」という感情がにじみ出していた。

 第一、ロンドンにいるはずの谷口栄がなぜこんなところに?

 しかも、父の元秘書だった羽多野と一緒に。

 そういえば、ずいぶん前に新宿で偶然出くわした羽多野は栄のことを気にしていたし、その後、栄がわざわざロンドンから尚人経由で羽多野の連絡先を調べろと言ってきたこともあった。

 二人のあいだには仕事上でのやり取りがあったと聞いているが、羽多野は未生の父の不祥事の責任を引き受ける形で議員秘書の仕事は辞めていた。それでも彼らがお互いのことを気にする理由があるとすれば、それはきっと。

 未生は鈍感な方ではないから、何も感じていないわけではなかった。だが羽多野はただの「父の元関係者」だし、栄に至っては「とっておきにクソな、恋人の元彼」だ。限られた脳の容量の一部を使ってわざわざそんな人たちのことを考えるのは無駄に思えて、深くは考えずにおいたのだ。

 ほんの数秒のあいだに自分でも信じられないほどたくさんの考えが頭を巡る。そして、羽多野が隣に立つ栄にちらりと視線をやって、口元に微かに意味ありげな笑みを浮かべるのを見て――とりあえず、今この状況に対して過剰な警戒や嫉妬は必要ないのかもしれないと思った。だって、彼らの会話やこの状況をあわせて考えると、答えは多分ひとつ。

 未生と栄はぴりぴりとした空気。羽多野はその険悪さすら楽しんでいる様子。

 しばしの沈黙が続き、それを破ったのは尚人だった。

「栄……久しぶり」

 未生ははっとして隣に立つ尚人の表情をうかがう。

 かつて、尚人が栄を呼ぶ響きに憧れて、嫉妬して、できることならば同じように呼んで欲しいと望んだ。今の尚人が未生を呼ぶときの声色があれより甘いかどうかは、自分ではよくわからない。そして二人でいるときに栄の話題が出ることもほとんどなくなった。

 尚人が実際に栄を目の前にして名前を呼ぶ画面に立ち会うのは、未生にとっても初めてのことだったが、意外なほど嫉妬は湧き上がらなかった。きっと、少なくとも未生が聞く限り、尚人の声にはあの狂おしく甘い響きがなかったからなのだろう。代わりに驚きと戸惑いと気まずさ。

 当たり前だ。別れた男と数年ぶりに向かい合っている。しかも今の恋人――元彼と別れる理由になった当時の浮気相手――と一緒にいる状況で。嫉妬よりもむしろ、未生は尚人が感じているであろういたたまれなさを可哀想に思った。

 尚人に名前を呼ばれた栄は、ぎこちない笑顔を浮かべた。

「ナ、ナオ。久しぶり……」

 栄は尚人のことをかつてと同じように呼んだ。決して面白くはないが、だからといってわざとらしく他人行儀のポーズをとるのも、逆に過去の遺恨を強く感じさせる。つまりのところ、これは社会性のあるまっとうな大人同士のやりとり。未生はそう割り切ろうとした。

「驚いた。ロンドンにいるって聞いてたから」

 未生も疑問に思っていたことを、尚人は口にした。まずそれをたずねたのは、もしかしたら未生への密かなアピールなのかもしれない。こんなつもりじゃなかった、栄と顔を合わせる可能性があるならこの店は選ばなかった。尚人はそう訴えたいはずだ。

「ああ、ちょっとまとまった休みが取れたから、一時帰国を。……いやそれにしてもすごい偶然だな。まさか、こんなところで」

 栄もまた、これは意図した事態ではないのだと声色ににじませた。

 彼の帰国が一時的なものだというのは、ひとまず朗報だ。休暇期間さえ終われば、再び未生にとって東京は「安全な街」になる。だが同時に、一時帰国というレアなタイミングで「大当たり」を当ててしまった自分たちの引きの良さを恨まずにはいられなかった。

 栄はそのまま気まずそうに腕時計に視線を落とし、続いてレストランの扉に目をやる。彼らも同じ店を予約しているのはどうやら間違いなさそうだ。

「えっと、栄もこのお店に?」

「ああ。……ナオたちも?」

「うん」

 死ぬほど気まずい沈黙が再び場を覆った。

 一瞬顔を合わせて、大人らしく社交辞令を交わして立ち去るくらいならば、最悪ではあるがまだ許せないこともない。だが、これから自分たちは同じ店で、同じ空間と時間を共有しなければならないのだ。せっかくの「ちょっといいランチ」なのに、何を食べても味はしないだろう。だからといって、数ヶ月前から予約必須なレストランをドタキャンする勇気はない。

「えっと、だったら俺たちは他の店にでも……」

 栄が小さな声で羽多野にささやきかけるのを聞いて未生は内心ガッツポーズをした。だが、あのプライドの塊のような谷口栄が自ら退却しようとしているにもかかわらず、なぜか隣に立つ男は首を縦に振らない。

「でも、久しぶりだからって特別にキャンセルの席を回してもらったんだろう? 谷口くん楽しみにしてたじゃないか」

 いつも腹に一物抱えたような、油断ならないタイプの男。未生が羽多野に抱いていたイメージはここでも覆らない。

 未生も尚人も、この場にいる羽多野以外の全員が栄の提案をベストなものだと思っている。なのになぜだか羽多野は笑顔を浮かべて、予定通りの店で予定通りの食事をとることを主張した。

 

 

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