羽多野との関係――栄にとってそれは言うまでもなく、この世で一番聞かれたくない質問だ。というか、あれだけ長い年月を過ごしたんだから、栄が交友関係に口だしされるのを嫌うことくらいわかるはずなのに、なぜ。
自分勝手な苛立ちが顔に出てしまったのか、はっとしたように尚人の表情も硬くなった。
「あ、ごめん。立ち入ったことを……」
そんなふうに言われると、ますます自分と羽多野の関係を意味深に捉えられているようで、栄は言葉に詰まった。
尚人に否はない。気詰まりな会食で、なんとかその場をつなごうと必死でひねり出した話題なのだ。頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。
尚人の鈍感は彼の素直さと誠実さの裏返しだった。ゆえにかつての栄にとってはあらがえない魅力であり、同時に苛立ちの種にもなった。恋愛関係でなくなってずいぶん経った今になってもなお、同じものに苦しめられるのは、まさしく皮肉だ。
「いや、そういうわけじゃなくて、ただ――」
思わず尚人を威圧するような態度をとってしまったことを取り繕うように笑顔を浮かべてみせるが、到底上手くいっているようには思えなかった。
さて、ここからどう言い訳を紡ぐべきか。
他の三人の視線がすべて自分に向いていると感じる。素朴な疑問が地雷だったことに気づいて気まずそうな尚人。無表情を装いつつことの次第を興味津々に見守る未生――勘のいいクソガキは、きっと何かを察している。そうか、こいつが柄にもなく栄との同席に同意した理由はこれだったか。そして、動揺する栄を見つめる羽多野はどこまでも楽しそうに見えた。
この場に自分の味方は誰一人いない。改めて栄は無情な現実を思い知った。
「ほら、以前仕事でお世話になった人で、だから、それからも……」
自分でも理解できない、内容ゼロの返事。それからも、どうだというのだろう。きっと尚人が聞きたがったのはその先なのに。
いくら答えにくい質問だからって、もし部下がこんな国会答弁を書いたなら、「温厚で紳士な谷口補佐」であっても、まるっと突き返すレベルだ。何か言っているようで何も言っていない弁舌についてはプロフェッショナルであるはずの栄だが、それ以上言葉が続かず背中を冷たい汗が伝った。
「へえ、そうなんだ」
尚人がいかにも彼らしい遠慮で深く突っ込んでこないのは幸か不幸か。だが場としてはむしろ栄が「特別な関係を隠したがっている」空気が濃厚になってしまった。
無駄なあがきであることは百も承知で、栄はそれでも挽回の言葉を探して視線をさまよわせた。
これ以上言葉を重ねようにも、完全に気を抜いていた路上での会話を聞かれていたならば下手な嘘はばれてしまう。声をかけるまで、そこにいるのが尚人と未生だと気づかなかった自分と異なり、彼らはきっと背後からやってくるのが誰であるかわかっていただろう。だったら会話に聞き耳を立てていたとしても不思議はない。
あのとき自分と羽多野は何を話していたっけ? 親密な関係を疑われるような内容だったか? 思い出そうとするが想定外の再会への驚きと衝撃があまりに大きくて、前後の記憶などすっぽり抜け落ちていいる。
会話から逃げるようにグラスと料理に手を伸ばす。カプチーノ仕立てのマスカルポーネソースに出はじめのサマー・ポルチーニ。せっかく楽しみにしていた食事なのにほとんど味がしない。
本当はわかっている。
こんなこと隠したって意味はない。
相手が家族や仕事仲間であれば諸問題が生じるだろうが、尚人に対して利害を気にする必要などないのだ。だって尚人は栄の恋愛対象が同性であることなど誰よりよく知っているし、栄が過去にマスコミに追いかけられた元議員秘書と付き合っていたところで気にしない。それどころか、栄を裏切って未生を選んだことに今もいくばくかの後後ろめたさを感じているのだとすれば――栄が新しい恋人を紹介すれば、間違いなく尚人の心は軽くなる。
別れた頃には殊勝にも、尚人の幸せを誰より強く祈るなどと考えていた。あのときの気持ちに嘘はない。なのにどうして素直に、隣にいる男を紹介することができないのだろうか。
「そうそう、まったく谷口くんには公私関係なしに何から何までお世話になって。おかげで再就職もできたし」
憂鬱そうに言葉を失う栄の気持ちなど一切気にしていない様子で、羽多野が軽口を叩く。「公私関係なし」という言葉選びに含意があるように感じるのは決して自意識過剰ではないはずだ。「再就職」だって栄が世話してやったわけではない。ただ、栄自身の存在が、彼がロンドンに居座ろうとする強い動機になっただけで――。
そこで栄は、羽多野がやたらと上機嫌で、かつ強引な態度で四人で同じテーブルを囲むよう場を先導した理由に思い当たる。
栄が未生や尚人の前で気まずそうにしている姿を楽しみたいという、サディスティックで変態的な動機はもちろんあるのだろう。だが、きっとそれだけではない。
飄々としている風を装って、実は執着も嫉妬心も人一倍の男は、この再会を、自分たちの関係を尚人と未生にお披露目するに絶好の機会だと踏んだのではないだろうか。