If they had an unexpected reunion … (12)

 谷口栄、そして羽多野と同席しての食事は、未生にとって少なくとも今のところは想像したほど面白いものではなかった。

 自分と尚人の睦まじさを見せつけることは多少なりともできているかもしれないが、分の悪さを感じてか、苛立ちを募らせた栄は恥ずかしげもなく未生に八つ当たりしてくる始末だ。

 せっかくの美味い食事も、目の前に小うるさいマナー講師が座っているとなれば楽しさは半減する。だから、未生が少しくらいやり返したところで、責められはしないはずだった。

 どういう理由かはともかく、栄が彼と羽多野との関係に言及されたがっていないのは確かで、だからちょっとだけその点をつついてみたのだ。

「……まあ、せっかくのデート邪魔されて不機嫌なのかもしれないけどさ」

 軽い気持ちで放ったジャブは、思いのほか相手の急所に直撃したらしい。さっと顔色を変えた栄は、その場で未生を殴り倒す代わりに――おそらく彼なりの最大限の自制の結果として、席を立った。

 小走りに近い勢いで栄がトイレに向かっていく後ろ姿を、未生と、おそらく尚人もぽかんとして見つめていた。一方、紛れもない「栄の連れ」である羽多野は、極限まで悪化した場の空気など気にする様子もなく淡々と食事を続けている。

 果てしなく神経質な男と、果てしなく無神経な男。そんな対比がちらりと未生の頭をかすめる。いくらなんでもこのシチュエーションで居たたまれず逃げ出した恋人をフォローしないというのもあんまりに思えた。

 原因を作った後ろめたさもあり、不安になった未生が「いいのか? 行かなくて」と羽多野に声をかけようとした瞬間だった。

「ちょっと、ごめん」

 そう言って立ち上がったのはなぜか、本来栄を追いかけるべき羽多野ではなく、はらはらとした顔でことの次第を見守っていた尚人だった。

「はあ!?」

 なぜここで尚人が? 未生の声にはこれ以上ないほどの「ありえないだろ」という感情が込められていたが、気づいているのかいないのか、尚人派そのまま栄を追いかけていってしまった。

「おい、ちょっと尚人!」

 さすがにこれは見過ごせない。未生が立ち上がりかけたところで、黙々とウサギのラビオリを口に運んでいた羽多野がようやく口を開く。

「放っておけよ、未生くん」

「放っておけ!?」

 冗談じゃない。よくそんなことが言えたものだ。

 未生の見立てが間違っていなければ、羽多野と栄は「そういう関係」であるはずだ。なのに羽多野は栄と、元恋人である尚人が二人きりになるのに何も感じないのだろうか。

 谷口栄なんて、あんな女々しくてプライドの高い男、隙あらば尚人を取り返して未生の鼻を明かしてやろうと考えていたって不思議はない。恋人の不実を疑うつもりはないのだが、そこはやはり、優しく情に厚い尚人だから、弱みを見せられ言葉巧みに丸め込まれてしまう可能性もゼロとは言えない。

 だが――羽多野の余裕綽々な姿を見ていると、ここで二人を追いかけるのも幼稚でみっともないのではないかという気もしてくる。

「心配しなくても、未生くんが懸念しているようなことは起こらない」

 立ちすくむ未生に、羽多野はそう言った。あまりに自信に満ちた口調に、一人焦っている自分が恥ずかしくなって、未生はゆっくり椅子に腰を下ろした。もちろん全神経は手洗いのある方角に向けたままで。

「本当だろうな?」

 疑わしげに念を押す未生に、羽多野はうなずく。

「保証する。谷口くんが気にしているのは、そういうことじゃないんだ」

「そういうって、わけわかんねえ。どういうことだよ。……てっきり羽多野さんとは利害が一致してると思って話に乗ったのに」

 拗ねたように未生が恨み言を口にすると、羽多野の眉がぴくりと動いた。

「利害って、君は何を期待していたんだ?」

「お互い新しい相手がいて、上手くやってるって見せつけたら、未練も何もすっぱりなくなるだろうって」

「尚人くんは、まだ未練が?」

 聞かれて、思いきり首を横に振る。そんなこと誤解されてはたまらない。未生が気にしているのはそういうことではないのだ。

「ねえよ! あるわけないだろ。でもほら、俺はこういう店に連れてくるとかできないし、難しい名前の料理の食い方もしらないし。……いや、もちろん尚人がそういうつもりで誘ってくれたとは思ってないんだけど」

 自分でも、何を言っているかわからなくなる。ただ、尚人への信頼と未生の劣等感は両立するものなのだということは、賢い男には伝わったようだった。

「美味そうに食べてる未生くんを見ている彼は、すごく幸せそうだけどね」

「だったらいいけど。でも、あいつだってナオ、ナオって……」

 こんなはずではなかった。羽多野だって、黙って様子を見ているだけではなく、もっと積極的に彼らの関係を誇示するべきだった。そうすれば未生だってこんな気分にはならずにすんだし、尚人だって栄を追っていったりはしなかったはずだ。

 だが羽多野は一向に意に介する様子はない。

「まあね。尚人くんよりは谷口くんの方が、過去の恋愛についてこじらせてるのは確かかもしれない。だから、ちょっと反応を見てみたいっていういたずら心はあったんだけど。まあ予想どおりというか」

 そして、不敵に笑う。

「でも未生くんは心配しなくていい。ちゃんと手綱はつけてあるから」

 その笑顔に未生は、かつて羽多野が父の秘書として家に出入りしていた頃、この男のことを得体の知れない不気味な人間だと感じていたことを思い出した。

 他の秘書たちが、扱いにくく家の中で浮いている未生を空気のように扱うのとは違って、羽多野だけは何かと未生にちょっかいを出した。その姿に「優しいお兄さん」などとだまされるのは優馬のような子どもだけ。ささいな会話から未生がどのような人間であるかを探り、気づいた頃には小遣いをちらつかせていいように使いっ走りを頼んでくるようになっていた。

 そして、あの計算高さが今、どこに向いているかといえば――。

「羽多野さん、あんた怖いんだけど」

 高級な革靴を踏みつけにされても意に介さず、恋人が元彼とふたりきりになっても楽しそうに見守っている。その裏にあるものを信頼と呼んで良いのか、いや少なくとも未生の辞書では「信頼」と「手綱」はイコールでは結ばれない。

 馬鹿正直で優しくて――未生の目の前であろうが動揺した栄を追ってしまうほどの優しさは善し悪しではあるが――そんな尚人が恋人で良かったと、未生は心の底から思った。

 と同時に、自分でもなぜだかわからないが、谷口栄に微かに同情に近い感情を抱く。

「こういうのって、毒をもって毒を制すっていうんだっけ」

「何が毒だって?」

「何でもない。……にしても、羽多野さんも変わった趣味してるよな。あいつが尚人に何してたか知ってんの? あんただって高い靴めためたに踏みつけられて、マゾかよ」

「そう見えるなら、そうかもしれないな。でもまあ、谷口くんだって可愛いところはあるんだよ。未生くんみたいな若い子にはわからないかもしれないけど」

 可愛いところ、という言葉に高慢そのものといった栄の顔が重なり、ありえないと未生は首を振る。この妙な男の感性は、完全に未生の理解の範疇外にある。

 とはいえ自分だって大学ではクールだと言われているが、尚人に対してはかなり甘えるたちだと思う。尚人だって、あんなに真面目で下ネタなんて死んだって口にしないような顔をしているのに、ひとたびベッドに入れば――。

 そこでふと、羽多野の言う「可愛いところ」の含意に気づく。

「そういえば羽多野さん……」

「ん? 何?」

 その先は、確かめたいような確かめたくないような。

 尚人と付き合っていた頃の谷口栄は紛れもなく「抱く側」だったわけだが、目の前にいる尚人とは何もかも似つかない男と比べれば、果たして。ついさっきまで未生の中では栄が誰かに押し倒されるイメージなど皆無だったが、世の中は弱肉強食。そして今、栄の手綱を手にしていると微笑む男には余裕しか感じられない。

「その、あんたと谷口って」

 ヤるときは……と、うっかり高級レストランにあるまじき話題を出しそうになったところで、ウェイターが席にやってきた。

「空いたお皿、お下げしてよろしいでしょうか」

 プリモの皿はすべて空いている。すぐにでもセコンドは出せるが、と空いたふたつの席を気にするウェイターに、羽多野は気にせず次を出してくれと告げる。

「二人はすぐに戻りますよ」

 それからウェイターが去ると、未生に向かって小さい声で付け加えた。

「下世話な話をするつもりはないけど、清廉ですって顔したタイプを攻略していく楽しみは、君だってわからないわけじゃないだろう」

 確かに未生が尚人を抱くようになった頃にはそういった類いの征服感に酔いしれたこともあった。だがそれはあくまで相手が尚人だからで、あのいけすかない男相手に欲情するなど到底想像もできないし、したくもない。

 それ以上深入りしたくない未生は、あっさりと白旗をあげた。

「ごめん、自分で振っといてなんだけど、やっぱその話聞きたくないわ」

 

 

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