玄関の方でガチャガチャと音がする。
鍵を挿す音、ドアノブを回す音。そしてドアが開き、閉じて――せわしなく靴を脱ぎ捨て近づいてくる足音。
なかなかやって来ないどころか連絡もよこさない未生にやきもきして、ほとんどふて寝状態でベッドに入ってどのくらい経っただろう。苛立って眠れないかと思いきや、ほどよい室温にした部屋を暗くして横たわった尚人はいつの間にか意識を失っていた。
ちょうど気持ちよい眠りに落ちた頃合いに、物音。未生が到着したに違いないとわかっているのに、半覚醒の状態では体を動かすのも、目を開くのもひどく億劫だった。起き上がり出迎えなければ――でも眠いし、体はベッドに同化してしまったかのように重い。
うとうとしながらも意識下で尚人が激しく葛藤していると、寝室の扉が開いた。リビングの灯りもつけていないのだろう、真っ暗なままで、ただドアが開く物音と、それに続いて近づいてくる人の気配。空調の効いた寝室に生ぬるい空気も流れ込んでくる。
すぐに声を掛けてくると思ったが、未生はベッドの脇にたたずんだまま黙っているようだった。どうしたんだろう。寝ているから遠慮しているのか、それとも起きて待っていなかったから不機嫌になったのか。
どうやら自分は起き出すタイミングを逸してしまったようだ。後悔しながら尚人の頭の中を不穏な考えがぐるぐると回り出す。
このまま寝たふりを続けて未生の出方を見るのと、今まさに目を覚ました振りをして起き出すの、どっちが得策なのか判断がつかず、とりあえず寝たふりを続けている。と、突然ずっしりとした重みが尚人の体に覆い被さる。
タオルケット越しとはいえ、夏の夜を歩いてきた未生の体は熱を持っている。その熱さと重さにぎゅっと抱きしめられるのはあまりに突然だ。
「み……」
さすがにこれは起きても許される、というか起きるべきタイミング。そう思い名前を呼ぼうとした尚人の言葉を遮るように、未生はより強く抱きしめてくる。
「尚人……」
耳元に押し当ててくる唇は湿って、体よりもずっと熱い。
そして――未生の息からは、強いアルコールのにおいがした。
「え、未生くん……」
今日の未生が、大学の仲間との飲み会帰りなのは知っている。だが、過剰かつ継続的なアルコール摂取が原因で母親が早逝した経験ゆえ、未生はほとんど酒を飲まない。最近では尚人の誕生日など特別な機会にワインを買うことはまれにあるが、そういう場合でもせいぜいグラスで1、2杯。未生がこんなにぷんぷんと酒のにおいをさせることなど、ありえない。
何かあったのだろうか。ちまたでいう「アルハラ」的に悪い友達から無理やり酒を飲まされたとか、もしくは耐えがたいほど嫌なことがあって衝動的にアルコールに手を伸ばしてしまったとか。だから、到着が遅れるという連絡もなかったのか。
息苦しいほど強く抱きしめられながら、未生の尋常ではない様子に動揺する尚人だが、当の未生は酔っ払いにありがちな気分の高揚まっただ中で、尚人のこめかみにぐいぐいと鼻をこすりつけ、首筋に唇を這わせる。
「ちょっと……」
こちらは深刻に心配していてそれどころではない、と言いたいのは山々だが、一週間ぶりの恋人。そして暗闇の中で強く抱きしめられ肌をまさぐられるとなると、否応なしに尚人の体温も上がりはじめる。
一度名前を呼んできただけで、未生は無言だった。
何も言わず、ただ熱い息を吐きながら尚人の肌を吸い、タオルケットを床に落とし、さらに衣類の下に手を差し込んでくる。その手のひらも当然のように熱く、意外なほどに早急で荒っぽい。
「……っ」
いきなりぎゅっとペニスを握られて体がすくむ。痛みを感じるほどではないが、普段の未生はこんな触れ方はしない。
かつて、まだ体を慰めるだけの関係だったときは強引で乱暴に抱かれることもあったが、恋人になってからの未生は基本的に丁寧だし優しい。
面白がって尚人が恥ずかしがるようなことを言ったり言わせたり、やったりさせたりはするものの、それも彼なりの配慮の上に成り立っている。多少暴走するような場合も、尚人が同じくらい気持ちよくなれるように、いつだって気にしてくれている。
だからペニスに触れるときだって、いつもはまずは優しく撫でるところから。硬さを増して、湿りを増すのに合わせて少しずつ刺激を強くして、激しく擦るのは尚人の心身が十分に高まってからだ。
酔っているから自制がきかなくなっているのだろうか。痛くはないし、未生が尚人に危害を加えるような真似はしないとわかっているが、あまりに普段と違う未生の姿に尚人は戸惑う。
「……っ」
ほとんど準備の出来ていない体に、未生の愛撫は強烈だ。体をねじ込むように尚人の両脚をこじ開け、邪魔でたまらないとでも言いたげにスウェットと下着を取り去ってしまう。
理性では、どうすべきかわかっていた。
未生の腕をつかみ、胸を押し、ストップをかける。そこまでしなくとも尚人が体を起こし大きな声で名前を呼べば、きっと未生は、はっと正気を取り戻す。
そうすれば、酔った勢いで乱暴なことをしようとしたのに気づき、「ごめん」と尚人を抱きしめるだろう。もちろん尚人はすぐに許す――というかそもそも怒ってはいない――し、そのまま抱き合って、いつものような甘い行為をはじめる。
そこまで明確にイメージできるのに、どうして自分の体は金縛りにあったように動かず、声を出すこともためらってしまうのだろう。
「――っ」
ひときわ強く擦られたペニスから伝わってくる快感。少しずつ高められるのとは違って、いきなり強い電流を流されたかのような刺激に尚人はのけぞる。と同時に、びくんと跳ね上がるように自身のそこが激しく勃起するのがわかった。
再び身を乗り上げてきた未生が、跡がつくのも気にせず尚人の首筋に吸い付き、噛みつく。
まるでその呼気に含まれるアルコールでこちらまで酔ってしまったかのように――認めたくないがどうやら尚人は、この「酔っ払った恋人が無言で強引に押し倒してくる」シチュエーションにひどく興奮しているらしい。
尚人は目をぎゅっと閉じて申し訳程度の「寝たふり」を続けながら、ぎゅっと未生の体を抱き返した。