「絶対に絶対に内緒だから、誰にも言うなよ!」
僕の袖を引っ張って教室の隅に連れて行くと、ベンは耳元に口を寄せてくる。息が当たるくらいの距離は、ちょっとくすぐったい。
「わかったよ。ていうかそれ、もう十回くらい聞いた」
ちょっと呆れた顔で僕――アキヒコ・ラザフォードは答えた。
幼稚園の頃から友達のベンは、さっきから「内緒」と「誰にも言うな」ばかりを何度も何度も繰り返している。
僕はいま彼が明かそうとしている秘密に興味はなくて、聞かせてくれと頼んだわけでもない。なのにベンはやたらと深刻な顔をして、そのくせはしゃいだような雰囲気で僕をひと気のない場所まで引っ張ってきて、続きを聞かせたがっている。
本当は話したくてしかたないくせにもったいぶってみせる。そんな態度にうんざりしている僕は、わざとらしく時計に目をやる。
「ベン、話すならさっさとしろよ。もう外に迎えが来てる時間だし、そっちだって同じだろ」
決してただの脅しではない。今日最後の授業が終わってからもう十五分経ったから、育児支援ロボットのサーシャはきっともう校門に到着している頃合いだ。いかにもロボットらしく「予定外」を嫌うサーシャを長く待たせると、きっと余計なお説教を五分十分はお見舞いされる。機嫌が悪くなるとか、ぐちぐちと文句を言うとか、そういうところだけはあまりロボットらしくないのだ。
お迎え、と聞いてベンはあわてた顔をした。それから後ろを振り返って、周囲に「聞き耳を立てているならず者」がいないかを用心深く再確認してから、小さな小さな声でささやいた。
「俺、シルビアが好きなんだ」
「――へえ」
白いほっぺたを赤く染め恥ずかしそうに目を伏せるベンを目の前に、僕は返事に困ってしまった。なにしろベンの好きな子が誰かなんて興味がない。
けれど僕の反応の薄さを別の意味に受け取ったらしく、ベンは急に怖い顔になってこちらをにらんだ。
「なんだよ、黙っちゃって。……あ、もしかしてアキもシルビアのこと好きなんじゃないだろうな!?」
「えっ? そんなはずないだろ」
すぐさま否定したのに、ベンはさらに顔を赤くしてむきになる。
「そんなはずない、ってひどい言い方じゃないか。シルビアはクラスで一番可愛いし、ピアノもダンスも上手で、俺が知ってるだけでもライバルは三人もいるんだぞ」
「え……」
僕がシルビアが好きかもしれないと怒ったかと思えば、僕がシルビアを好きではないと言えばまた怒る。普段の優しいベンからは想像できないくらい取り乱している。一体どんな返事をすれば満足してくれるんだろう。
「えっと、シルビアは確かに可愛いし優しいし、すごく人気があるけど……でも僕は違うんだ」
シルビアをできるだけ持ち上げつつ、僕はライバルではないことを伝えると、ぎゅっと眉間に力を入れたままでベンが顔を寄せて来た。
「本当だろうな! 絶対に横恋慕しないって神に誓えるか?」
よこれんぼ、なんて難しい言葉を使いながらドラマで犯人を問い詰めているときの刑事みたいに返事を迫ってくるベン。勢いに押された僕はこくこくと首を縦に振り、促されるままに今後はできるかぎりベンの恋愛成就の手伝いをすると誓った。
それどころか、学校を出て別れ際、もう一度念押しするように呼びかけてくるのだからベンの執念深さは僕の理解を超えていた。
「おい、アキ! さっきの約束忘れるなよ!」
「わかってるって! 何度も同じこと言うなよ、しつこい……痛っ!」
うんざりして叫び返した言葉が悲鳴に変わったのは、手の甲をぎゅっとつねられたから。
もちろんそんなことをするのはただひとり――。
「何するんだよ、痛いじゃないか!」
冷たくて意地の悪い手を振り払いながら、隣に立つサーシャを見上げて僕は文句を言った。サーシャの指は男の人にしては細くて、料理や家事やその他すべてに器用に動く。だからなのかはわからないが、ぎゅっとつねられた場所は真っ赤になって、彼の手が離れたあともヒリヒリと痛んだ。
「アキヒコ・ラザフォード。呆れますね、外ではこんな乱暴な口をきいているんですか?」
冷たい目で見下ろされて、ぎくっとした。
「あ……」
僕は、うっかり彼の前で「学校での話し方」をしてしまったのだ。
五歳の頃から一緒に暮らしているサーシャは、僕の養育係兼教育係で、ものすごくマナーにうるさい。
僕に対して法的に責任を持っている血の繋がったおじいさんや、口うるさい弁護士のベネットさんと比べても、このロボットの躾へのこだわりは格別で、彼の前で少しでも乱暴な言葉を発しようものなら、即座に叱責の言葉が飛んでくるのだ。言葉だけじゃなく、たまには、さっきみたいな軽いお仕置きも。
気を抜いてしくじった。普段はサーシャやおじいさんたちの前では折り目正しい口のきき方を心掛けているのに、ベンがあまりにしつこいせいでうっかり「学校での話し方」が口から飛び出してしまった。
だって、僕はもう十一歳。
出会った頃はサーシャの腰くらいまでしかなかった身長はもうすぐ彼の肩に届きそうだ。登下校の送り迎えは続いているけれど、いつからか手を繋ぐことはなくなった。
学校の友達はテレビや映画で覚えた「男っぽい」話し方を意識するようになってきて、サーシャが好む甘ったるく子どもっぽい口調のままでいればきっと、馬鹿にされてしまうだろう。
とはいえこの頑固で厳しいロボットに僕の事情を理解してもらえるわけもないので、普段は割り切ってサーシャの前ではお上品なお利口さんで通しているのだ。
「えっと……普段はこんなんじゃないんだ」
「本当ですか? 私の前でだけ猫をかぶって、一歩学校に入ったら不良みたいな態度でいるんじゃないでしょうね」
「そんなことないよ。ただちょっと、さっきのは……ベンにつられただけで」
サーシャの疑り深い物言いに居心地の悪さを感じながら、僕は必死に言い訳を紡いだ。
まったく、どうして今日は理不尽に追及されてばかりなのだろう。それもこれも、ベンがシルビアの話なんてしてくるからだ。
「アキヒコくん、バイバイ!」
噂をすれば、後ろからやって来たシルビアが僕たちを追い越して、目の前に停車している車の後部座席に乗り込んだ。運転席にはサングラスをかけたシルビアのお母さん。車で迎えにくるのは習い事がある日だけだから、きっと今日はピアノかダンスの日なのだろう。
真っ白い肌に深緑の瞳、飴色の髪。制服のスカートがひらりと舞って、車のドアが閉じる。誰にでもニコニコと愛敬のあるシルビアは確かに男子から人気がある。
ベンだって悪い奴ではないけれど、顔は普通だし、スポーツも並みで成績は――真ん中よりもちょっと下。友達だから贔屓目に見てやりたいのはやまやまだけど、勝算は高くなさそうだ。僕は車の中のシルビアにお愛想程度に手を振りながら、ベンの恋路を思ってため息をついた。
首尾良く両思いになってくれればいいけれど、もしも振られようものなら、きっと愚痴を言ったり泣いたり、今日の百倍も厄介だ。
「あーあ……めんどくさい」
思わずつぶやくと、サーシャが不思議そうに首を傾げた。