プロローグ

 ぼくのは死んだ。

 嘘ではないし、誇張でもない。その証拠に目の前には真っ白い布に包まれた小さな箱がある。箱の中には小さな骨壺が入っていて、その中にはぼくの左脚、膝から下の骨が入っているのだ。

「……あなた、こんなものわざわざ病室に持ってこなくたって。縁起が悪いし、あっくんの気持ちも考えて」

 ベッドサイドに立つ母はそう言って、骨壺を入れてきた紙袋を手にしたままの父を軽くにらんだ。

 ぼくの体の一部が失われたことに対して最も感情的な反応を示しているのは、いまのところは間違いなく母だろう。「いまのところ」と留保したのは、張本人であるぼく自身が、片脚を膝下から失ってしまった事実を本心から受け止めているのか――それとも、あまりのショックに現実を受け止められていないだけなのかが、自分でもわかっていないからだ。

 ともかく緊急手術から一週間、これまでのところは悲嘆に暮れた両親の前で取り乱すことなしに過ごしている。

「だが、あまねがどうしても見たいって……」

「この子はまだ混乱してるんだから、どうしてそういうのを真に受けるの!」

 ぼくは両親の小競り合いに口を挟むことはせずに、白い包みを持ち上げると、耳をくっつけて軽く揺すってみる。カラカラという骨の音を期待したが、ほとんど何も聞こえなかった。

「何やってるの、やめなさい遍。そのお骨は家に持って帰るから……」

 血相を変えた母がぼくの腕から箱を奪い取った。

 その包みが仏壇に供えられているところを想像してみる。ぼくの脚の骨のすぐそばには数年前に亡くなった祖母と、二十年近く前に亡くなった祖父の遺影。きっと、ものすごくシュールな光景だろう。

 祖母が死んだときのことはよく覚えている。葬式のあとで火葬場に行き、神妙な顔で着火スイッチを押したのは父だった。畳敷きの待合室で数時間待たされたが、ぼくは受験生だったから、お菓子をつまみながら祖母の思い出話をする親類たちからは離れて英単語帳を見ていた。

 火葬が終わると小さな部屋に呼ばれ、長い箸を使ってひとりずつ順番に骨をとりあげる。一番上には喉仏を置くのだと言っていた。

 ぼくの脚が焼けて出てきたとき、骨はどんなふうに並んでいただろう。持ち主のぼくはもちろん身内も誰ひとり立ち会っていないから、火葬場の人――もしくは葬祭会社の人が骨を拾ってくれたのだろうか。

 せっかくだから自分で拾ってみればよかった、そんな気もした。この世に自分の骨を拾ったことのある体験をしたことのある人間はとても少ないはずだから、一生ものの話の種になったはずだ。

 でも、もしかしたら拾えるほどの骨もなかったのかもしれない。だってぼくの脚はひどくつぶれていたらしいから、骨だって粉々だったのかも、だとすれば骨壺の箱を揺らしても音がしなかった理由も納得がいく。

*  *  *

 約一週間前、大学の帰りに交差点で信号待ちをしていたときに、トラックが突っ込んできた。

 ここのところ実験がうまくいかないし、少し前にもらってきた貴重な系統の実験用昆虫が思うように育たない。そんなことを考えて少しぼんやりしていた。とはいえ現場検証をしたという警察の人が「いや、前を見ていたってあんなの、普通の反射神経では対応し切れてないよ」と言っていたのはおそらく事実だろうから、ぼくには非がないはずだ。

 はっと顔を上げたときにはすぐ近くにトラックの姿があって、そこで記憶は途切れている。たぶん、叫び声をあげる間もなかった。

 次に気がついたときにはストレッチャーに乗って病院の廊下を運ばれているところで、肩や腕のあたりに打撲のような痛みがあった。左脚はといえば、かすかに痺れたような感じがするだけ。

 救急医が痩せたロン毛のおっさんで、ワンレンに分けた長い髪を後ろでひとまとめにして、口の周りに髭を生やしていたことをなぜだか鮮明に覚えている。

「先生……キリストみたいですね」

 ぼくがそう言うと、意識が戻ったことにはじめて気づいたらしき医者は一瞬呆気にとられた顔をしてから、苦笑した。

「……事故ですか? なんだか脚がしびれちゃって」

 なんとか下半身に視線を向けようとすると、今はやめたほうがいいと言われた。その後は薬を打たれたのか出血の影響か、すぐにまた意識を失ってしまい、目を覚ましたときにはもうぼくの左脚は半分ほどの長さになっていたというわけだ。

 あのとき医者がぼくに脚を見るなといったのは、膝下がほとんどぺちゃんこでミンチのようになっていたからだ。すぐに切断する以外の方法はなかったのだという。

 土岐津ときつあまねの左膝下。

 享年二十三歳。

 別れとはこうもあっけないものだと知ったのは、夏が終わろうとする頃のことだった。