松江律は、はっとして目を覚ます。
鼓動が激しくて、自分がつい今まで夢の中にいたことを自覚するまでいくらかの時間がかかった。汗ばんだ肌にじっとりと張り付いたシャツ。
顔を上げるとエアコンの羽根が閉じている。自分でも気づかないうちにタイマーを設定していたようだ。明け方にエアコンが切れて、部屋の中はうだるように暑い。これが悪夢の原因であることは間違いなさそうだ。長らく忘れていた子どもの頃の出来事が、暑さのせいで深層心理の奥深くから浮上してきたのだろうか。
あれは小学校三年生の夏だった。
律と、双子の兄である陸は、はじめてサマーキャンプに参加した。都内のマンション暮らしで両親は共働き。やんちゃな男子二人を子どもだけで留守番させるわけにはいかないと、毎年夏休みは学童と習い事でスケジュールを詰められていたのだが、その年は確か律が「もっと面白いことをしたい」とわがままを言ったのだ。
父親が見つけてきたのが、信越地方の某山麓で行われる子ども向けサマーキャンプだった。自然と触れ合い、子どもの自立心と生き抜く力を育てる……といういかにもな宣伝文句、主催団体の実績も十分だったため、一週間のあいだ双子は山で過ごすことになった。
だが、楽しかったのは最初の数時間だけ。ほとんど初めての、二十四時間の集団行動――しかも山奥での――に律はまったくなじめなかったのだ。
エアコンもなくゲームもできない生活は快適とはほど遠く、子どもたちが協力して作る食事は総じてまずかった。風呂の時間も限られているし、何より人数が多いので落ち着いて入浴することもできない。夜になると、快適な東京のマンションや優しい両親を思い出して、ひどいホームシックに襲われた。
帰りたい、と告げると指導員から説教された。大人になって振り返ると「もうちょっと頑張ってみよう」程度のことを優しく諭されただけだと思うのだが、幼い律にとって、初めて会う大人が自分の言うことを受け入れてくれないというだけで恐怖を感じるには十分だった。
だから、おとなしく律ほど自己主張をすることはないが、おそらく同様にサマーキャンプを楽しめていなかった兄を説き伏せて、勝手に山からの脱出を図ったのだ。
追っ手などという大げさなものではない。ただ大人たちは双子を心配して後を追ってきただけだ。だが当時の律と陸にとって彼らは「自分たちを閉じ込めて危害を加えるかもしれない敵」としか思えなかったし、あれは本気の脱走劇だった。
結局あの後、まずは陸が見つかった。約束どおり「律は別の方向に逃げた」と嘘をついた陸だが、当然大人は信用しない。一方の律も足が痛んでたいした距離進むことはできず、草むらの中でべそをかいて座り込んでいるところをまもなく発見された。
律は応急処置を受けた後で、一応医者に診てもらった方がいいだろうと麓の診療所に運ばれ、陸も付き添った。結局「本人たちの帰宅の意思が強いので」と連絡を受けた両親が診療所まで迎えに来た。
あれ以降、喉元過ぎて熱さを忘れた律がいくら「今度こそ大丈夫だから」と言い張っても、両親は決してサマーキャンプへの参加を許してはくれなかった。
「本当、三日も経たずに脱走して山狩りなんて、子育てしててあんな恥ずかしい思いしたことないわ」と、母は思いだしてはため息をつく。双子の脱走劇はいまでは盆正月に親類が集まったときなどの、定番の笑い話になった。
だが――たしかにあのときの律にとって状況は切実だったのだ。さっき夢で見たみたいに。
いま律がいるのは夏の盛りの山ではなくて、無駄に日当たりが良く夏は灼熱地獄となるマンションの一室。
昨晩も帰宅したのは日付が変わってからだった。
東京都内の私立大学を卒業して、全国紙に記者として入社した。友人のなかには「いまどき紙の新聞を売る会社なんて」と意地の悪いことを言う奴もいるが、誰でも名を知る大手新聞の記者職に就いたことは誇らしい。それに、紙の新聞自体の将来は確かに暗いかもしれないが、最近の新聞社はデジタル部門にも力を入れているし、雑誌社やネットメディア含め結局のところジャーナリストとして活躍している人間の多くは新聞社で取材や記事作成の基礎をたたき込まれた人間だ。
――とはいえ、東京生まれ東京育ち、根っからの都会っ子である律にとって、入社後即命じられた地方支社への赴任命令は嬉しいものではなかった。実際赴任先が決まったとき、両親は真顔で「サマーキャンプの二の舞」を心配したくらいだ。
若手はまず地方支社という小さな組織の中で経験を積み、東京もしくはそれに次ぐレベルの大都市に戻り、大きな仕事にチャレンジしていく。キャリアアップのためには下積みが必要だと頭ではわかっていても、遊びたい盛りの二十代が地方に幽閉され、地元の警察や消防に張り付いては、空き巣だのぼやだの、小さな事件を追いかける日々を送るというのは、なかなかしんどい。
小さな事件であっても、何かしらの取材や原稿書きをやれている時間はまだ楽しい方で、一聴して派手な「ジャーナリズム」の末端のさらに裏側はどこまでも地味だ。小さな支社だけに予定のチェック、出稿原稿の校閲、デジカメの準備やら書類整理、電話対応と、律の日常のほとんどは雑務に終わっていく。
――新聞記者は三年で見習い、五年で半人前、十年で一人前だからな。
入社して最初に仕えたデスクから、耳にたこができるほど聞かされた言葉。それを信じるならば今年で入社三年目の律はようやく「見習い」に足を踏み入れたところ。あと二年間支局生活を耐え抜けばきっと「半人前」として本社に戻れる。
それでも「見習い」になるまでの三年間ですら失ったものは多い。
休みだろうが、何か事件が起こればすぐに駆けつけなければならないのが記者だ。ちょっとした用事や遊びのため気軽に東京に戻るわけにはいかない。
最初何度かは旅行気分で遊びにきてくれた恋人は、半年経つ頃には暇を持て余すようになり、仕事での呼び出しも頻繁な律に愛想を尽かして「距離を置きたい」と言った。SNSを開けば、東京の友人たちがアップする飲み会やらバーベキューやらスキーやらの楽しそうな写真を目にしては嫉妬に胸を焼かれる。
社名入りの記者アカウントでも作れば自尊心が満たされるのだろうかと思うこともあるが、泥臭い仕事しか与えられない今の自分では到底、いかにもジャーナリスト然とした格好良い投稿などできそうになかった。
「まあ、でも事件なんかないのが一番だよな……」
おかげで今日は、一日のんびりできるはず――そう思った途端に枕元に置いているスマートフォンが鳴りだした。
事件だろうか? 休み返上の恐怖が八割、記者として名を上げることができる大きなニュースではないかという期待二割で律は手を伸ばす。だが、期待と不安に反してディスプレイに表示されている発信者名は「母」。がっかりした。
どうせまた「食品を送った」とか、そういった話なのだろう。このマンションには宅配ボックスなどという立派なものはついていないから、荷物を受け取るのも楽ではないのだ何度も伝えているのに、母親というのは自分に都合の悪いことはすぐに忘れてしまう生き物らしい。
だが、めんどくささを押し殺して通話ボタンをタップした律の耳に飛び込んできたのは、母親の涙混じりの震える声だった。
「ねえ律、どうしよう。昨日大学の先生から連絡があって……陸がいなくなったんだって」