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 貴重な休日の昼間を費やして、「DNG」なる団体について得られた情報はあまりに少なかった。

 母から告げられた「DNG」というのはあくまで略称で、正式にはDoor for Next Generationsというらしい。まるでベンチャー企業や自己啓発セミナーのようなネーミングだというのが正直な印象だった。

 個人ブログなどから得られた少ない情報をつなぎあわせるに、彼らの活動自体も特定の神仏や経典を信仰したり、祈祷活動を行ったりするものとは根本的に異なっているように見える。

 たとえば、とあるブログには三年前の日付でDNGのセミナーに参加した記録が記されている。そのブログ主は東京から地方へ移住した若夫婦で、ブログ自体も就農をテーマにしたものだ。

 

 ――今日は、ケロちゃんさんの紹介でとあるセミナーに参加してきました。詳しい内容は秘密なんですが、私たちの夢であり目標である完全無農薬あんど化学肥料ゼロでの農業はやっぱり正しいのだと確信! もちろんそれ以外にも地球を守るため、この世界をより良いものにするために大切なこと、いろいろな学びと気づきを得ることができました。

 DNGって、Door for Next Generations、つまり次世代の子どもたちにより良い世界を残していくための扉ってこと! むちゃくちゃ共感できたし、世の中の人がみんなこういう考えになってくれたらいいのにな~。

 

 似たような投稿はいくつも見つかった。というか、その手のライトなセミナー参加者による書き込みがDNGに関するネット上で得られる情報のほとんどすべてだ。そしてすべての書き込みが同じように、「自然」「環境」「より良い世界」についてほのめかしながらも、具体的なセミナー内容には触れていない。クローズドなセミナーにありがちなこととして、参加者に守秘義務を課しているのかもしれない。

 完全会員制、紹介者のみのセミナー、やたらと意識が高く一部の思想を持つ人間に親和性の高そうな内容……参加者は軒並み物質主義社会に疑問を呈し、自然愛や人類愛といったものに傾倒しているタイプだ。

 そういえば、と律は最後に陸と直接話をしたときのことを思い出す。

 新聞社に入ってからなかなかゆっくり休みが取れなかった律が、やっと手にした三連休ではじめて東京の実家に戻ったときのことだ。ちなみにあきらめの悪い律は紗和との約束を取りつけカフェでお茶することに成功したが、「新聞記者のお嫁さんになる将来は描けない」と復縁の提案は一刀両断された。

 紗和との面談結果には落胆したものの、久しぶりに陸とゆっくり話ができるのは楽しみだった。就職前の一年間を振り返っても、律は就職活動と卒業論文、陸は卒業研究と大学院入試で忙しくしており、双子が顔を合わせる機会は少なかったのだ。

 両親も、数年ぶりに息子二人が揃っての食事を楽しみにしていたようで、子どもの頃から家族で通っていた焼き肉屋に予約を入れていた。だが、陸は食が進まないようでまったくといっていいほど肉には手をつけず、サンチュやナムル、そして五穀入りの米飯だけをもそもそと、まるでダイエット中の女子のようについばんでいた。

「どうした陸? おまえ牛タン好きだろ?」

 気を遣って、完璧な焼き具合の肉を取り皿に置いてやっても、あいまいな笑みを浮かべるだけ。しかも寝不足で調子が悪いからと、ビールを頼むこともせず、ずっとウーロン茶ばかり飲んでいた。おかげでせっかくの家族の食事にはどこかしらけた、気まずい雰囲気が漂った。

 両親が寝た後で、律は自分用に作ったハイボールを手に、リビングで本を読んでいる陸に苦言を呈した。

「おい、陸。父さんも母さんも心配そうだっただろ。多少食欲なくたって、ああいう場ではうまそうな顔して食ってやれよ」

 顔を上げた陸は目を丸くする。

 久しぶりに会った双子からの説教に気でも悪くしたかと律は反論を覚悟して身構えるが、意外にも次の瞬間、陸は破顔した。

「……おい、聞いてんの? 何で笑うんだよ」

「いや、律もそういうこと言うようになったんだなって。やっぱり社会人経験ってすごいな」

「なにそれ」

 どうやら陸は、律の「お説教」を「不肖の弟の成長の証」と受け止めたようだった。

「だって、前はあの店行くと、律が叱られてばかりだったじゃないか」

「いつの話してんだよ。もう食べ盛りの高校生じゃないんだからさ」

 確かに数年前――二人が高校生の時分までは、焼肉屋に行くとあれとは逆の光景が繰り広げられていた。一切野菜に手をつけず、ひたすら肉ばかりを食べまくる律に家族が呆れるのが定番だったのだ。だがそんなのは成長期の男子「あるある」だろう。二十代も半ばになれば嵐のような食欲も落ち着き、普段一人暮らしで不規則な食生活を送っている分、親の前くらいではバランス良く食べようという気にもなる。

「でも陸、おまえ一切れも肉食ってなかったじゃんか。酒も全然飲まないし。あれじゃ具合でも悪いんじゃないかって心配されても当然だ」

「うーん……」

 話をはぐらかすのに失敗した陸は困ったように首をかしげる。それから少し迷う素振りを見せ、ゆっくり口を開いた。

「実は最近、肉食は控えてるんだ」

「……は? 何それ。ダイエット?」

「いや、そういうんじゃなくて。もちろん完璧にやめるっていうわけじゃないし、まだ魚や乳製品なんかはとってるんだけど……でも特に牛とか羊とかは……環境負荷が高いから……」

 肉食は控えていると言われた律があからさまに怪訝な顔をしたからだろう。陸の言葉には全体的に言い訳がましい響きが混ざる。魚や乳製品を食うからなんだというんだ。牛や、羊? 北海道でも外国でもないんだから、そもそも羊なんか年に一度も食わないだろう。疑問が次々に湧いてくるが、聞かなくともわかることがひとつ。つまり陸がさっき焼肉に手をつけなかったのは決して体調不良のせいではなかったということ。

「環境負荷って?」

 宗教的、思想的、健康上、様々な理由でベジタリアンという選択をする人々がいることは、漠然と知っている。そういえば少し前に同僚が、留学生の受け入れを増やすために学食にハラール認証メニューを取り入れたという大学の取材をしてきたっけ。ベジタリアンといっても植物性タンパクや油脂はたくさんとるので決してダイエット食ではないし、食べてみるとそこまで味気なくもないのだと言っていた。

 だが――あくまで律にとって日本国内で肉を食べないというのは「特殊な人の」「特殊な習慣」だった。家族の、しかも双子の兄の口から出る言葉としてはかなり意外なものだった。しかも理由が、環境負荷?

 陸はうなずく。

「牛や羊って反芻するだろ? 消化がゆっくりだから体の中でメタンガスが発生して、げっぷになって大気中に出ていくんだ。それが地球温暖化の原因のひとつだって言われてる」

「げっぷで地球温暖化?」

「そうだよ。世界の肉食人口が増えれば増えただけ家畜の数も増えるから馬鹿にならない。しかも肉食はエネルギー効率が悪いからね」

 牛一頭を育てるのに使われる飼料でどれだけの人間の食糧がまかなえるか――陸はそんな話もしていた。

 まるで自然保護団体の言い分みたいだ、というのが正直な感想だった。一方で、大学でエネルギーや環境について学び研究する中で、陸は陸なりに様々な問題意識を持っているのだろうとも思った。

「一生食わないの? 肉」

「さあ、わかんないな。でも環境問題や食糧問題は世界的に重要なイシューだから。ただ文献読んで研究するだけじゃなく、ちょっと実践してみれば見えてくることもあるのかなって」

 陸はあくまで軽い調子だった。だから律も、彼の中での「菜食ブーム」は興味本位による一過性のもので、深い意味はないのだろうと流してしまった。

 こうして思い出してみると、ネットで断片的に得たDNGの姿――環境保護や自然農法と親和性の高い団体であるという情報と、あのときの陸の言葉には重なり合う部分も多い。ブログの主たちと同じように、陸もどこかの段階でセミナーに参加して、DNGに興味を持ったのだろうか。

 だが、自然農法や無農薬無肥料という、ある意味よくある宣伝文句のセミナーと「出家」「現世での使命」などといった浮世離れした文句の間にはまだまだギャップがある。

 一体DNGとは、どのような団体なのだろうか。陸はどこで何をしているのだろうか。疑問は深まるばかりだった。