それぞれがパートナーの「好きなところ」を考えてみる連作SS(になる予定)の未生→尚人編です。
「なあ、笠井って彼女のどこが好きなの?」
授業の合間にお茶――といえば聞こえが良いが、場所は大学生協の食堂の片隅で、手元にあるのはペットボトル。そんな状況で突然篠田が問いかけてきた。
やたらと真顔で、しかも手にはノートとペン。
「何だよ、いきなり」
大学の講義を聞いているときよりもよっぽど真剣な篠田の態度に、未生ははっきりいって嫌な予感しかしない。
「そっちこそ何だよ、のけぞって」
「篠田が身を乗り出してくるからだろ。第一、おまえがそういう話をするときは、ろくなことないんだ」
篠田と恋人の関係は、ときに衝突しつつ、だんだんと尻に敷かれつつ順調に継続しているようである。それ自体はめでたい、というより未生にとっては凄まじくどうだっていい。
問題は、この基本的には気のいい友人が未生のことを「歳上の彼女と付き合っている恋愛上級者」と思い込んでいる点である。
彼女ではなく彼氏だ、というのはともかく八つ歳上の恋人がいること自体は事実なので良いとして、友人たちが思っているほど未生には恋愛の経験値がない。
色恋の「色」の部分については確かに、過去には色々とあった。だが特定の相手と「セックスのパートナー」ではなく「恋人」と呼べる関係を築くのは尚人が初めてだ。それどころか誰かに好かれたいとか、セックスなしでも一緒にいたいとか、他人に情欲以外の感情を抱くこと自体が初めてなのだから恋愛熟練者どころか素人もいいところだ。
自分の恋愛についていちいち話したくもないし触れられたくもない未生は詳細を語らず誤解されるに任せた……そのつけが最近になって回ってきている。篠田から返答しようのない相談を持ちかけられるたび、未生はうんざりしてしまうのだった。
しばらく前の味噌汁論争の件は、くだらないけどまだましだった。あれがきっかけで尚人の手作り味噌汁を味わうこともできたし、自宅にだし入りの液体味噌を常備することを覚えた未生の食生活も向上した。
だが、それ以外の恋愛話というのは概ねくだらない。
サプライズで何をあげると彼女は喜ぶか? なんて、そんな博打を打つより正面切って欲しいものを聞いた方がいいに決まってる。彼女が毎晩のように誰かとオンライン通話しているようで気になる、という相談なぞ、それこそ彼女に聞けとしか言いようがない。
今回は毎度の「彼女に聞け」案件ではないとはいえ、質問のレベルとしては似たり寄ったりだ。
怪訝な顔の未生に、篠田は事情を語り出す。
「こないだ、彼女の誕生日に贈るサプライズプレゼントについて相談したじゃないか」
「うん。で、俺はサプライズなんかより欲しいもの聞くか一緒に買いに行けって言ったよな」
「ああ。欲しいものは聞いた。俺の想定予算の倍額のネックレスを指定されたけどな」
間違いなく篠田の懐は痛むだろうが、彼女にとって欲しくもない安物で落胆させるよりはずっとましだろう。
「でも、それだけじゃ芸がないからさあ。これ添えようと思って」
それでもサプライズをあきらめきれない様子の篠田がカバンから取り出したのは、男子学生には似合わない可愛らしいデザインの冊子だった。
「何それ」
「知らねえの? 『好きなところ100』って」
「……知らないけど、そのネーミングだけでくだらないんじゃないかって気がするな」
というか、くだらないものである予感〈しか〉しない。
未生は完全に引いているのだが、篠田は意に介さず「好きなところ100」とやらの説明を続けた。といっても名前そのまま、何の捻りもない。恋人やパートナーの好きなところを100個書き入れて誕生日や結婚記念日のプレゼントに贈ることを想定した白紙ノートなのだという。
「聞いたところで、なおさらくだんねえ」
しかも恋に恋する女子高生ならともかく、すでに二十歳を超えた男である篠田がそんなもの買っているのが寒々しい。
冷たい言葉を吐き捨てる未生に、篠田は恨みがましい目を向けてくる。
「そりゃなあ笠井、おまえみたく黙っててもモテて歳上女性をたらし込むようなタイプにはわかんないだろうさ。でも世の中の大多数を占める平凡な男女は、こうやって一生懸命誠意を伝え合うことで愛情を育むものなんだぜ?」
さすがにそれは考えすぎだと思うが、告げたところで完全に自分の世界に入っている篠田は理解しないだろう。無駄な労力を使うのはやめにして、代わりに未生は素朴な疑問を口にする。
「……けど、篠田が彼女の好きなところを100個書き出してプレゼントするのはいいとして、そのネタを俺から集めようってのは本来の目的から外れてるんじゃねえの?」
当初の質問「恋人の好きなところは?」の意図を正確に言い当てられたからか、篠田は硬直した。意気揚々と「好きなところ100」を書きはじめたもののどこかの時点でネタに詰まってしまったのは確かだった。
当然の話として、好きなところを100個書き込んだノートを歓迎するタイプの人間が価値を見出すのは、ノートそのものに対してではない。簡単には埋まらない「100」という項目をコンプリートするために、自分を想い、普段意識していない魅力までも探し出そうとする時間や労力こそが「好きなところ100」の真の意味であろうことくらい、未生にだってわかる。
「自分で100個考えられないなら、おまえの彼女への気持ちがそれだけってことだな。そのノートは授業用に転用するか、正直に『これだけしか浮かばなかった』って告白して渡せば?」
「ひどいこと言うなあ。大体100個なんか、普通に思い浮かばないだろ」
それをわかっているなら、最初から無理なことはするなと未生は言っているのだ。好きなところだろうが嫌いなところだろうが、他人について100個もあげつらうのは決して簡単なことではない。
「あ~なんでこういうのって100みたいなでかい数字になるんだろ。もっと現実的なやつ、30とか10……いや、5とか3とかもあればいいと思わないか?」
「3個って、さすがに減らしすぎだろ」
さっきの威勢の良さはどこへやら、どんどんスケールが小さくなっていく篠田に苦笑しながら、未生はふと思う。
――尚人の好きなところを、いくつ書き出せるだろう。
そもそも、ひとつだって言葉にできるだろうか。
ぽわんと頭に浮かぶのは、漠然とした愛おしい気持ち。言葉や文字にしようとした途端、未生の貧弱な言語能力を超えてしまう。
他人のものだったから、惹かれた。当時の恋人に向ける真摯な愛情を目にして、あんな風に想われてみたいといつしか望むようになっていた。気弱で流されやすそうに見えて、優馬が辛い状況にあるときには家族である自分や真希絵に先んじて父に立ち向かってくれた。
ひとつひとつはどれも恋に落ちるきっかけだったし、好きな部分と呼べるかもしれない。でもやっぱりそれらは過去のエピソードで、断片で、いくら拾い上げて並べてみたところで、尚人という人間が組み上がるわけではないのだ。
一体いつから、どこを、なぜ。改めて考えようとすればするほど、わからなくなっていく。かつて関係を持った相手を選ぶときには、明確な理由があったはずだった。顔がいいから、スタイルがいいから、後腐れなさそうだから、奪い取ることで自尊心を満たすことができるから。
どうやら恋愛感情というのは、もっとずっと複雑怪奇なものであるらしい。なぜ今、未生は尚人と一緒にいたいのか。この瞬間、平凡な男の平凡な笑顔を思い浮かべるだけで、胸の奥に温かくて少し切ないような感覚が生まれるのか。
言葉にできないといえば、尚人はそれでも嬉しそうに笑うだろう。でも、もし未生が不器用であっても言葉にしたならば――恥ずかしそうに笑う姿を思い描きながら、未生はそっと指を折りながら恋人のことを考えてみる。
(終)
2022.04.29