きみのすきなところ 〜尚人〜


それぞれがパートナーの「好きなところ」を考えてみる連作SS(になる予定)の尚人→未生編です。


 

「尚人、『好きなところ100』って聞いたことある?」

 食後のデザートのいちごを洗ってリビングに戻ってきた尚人に、未生が不意にそんなことをたずねた。

「うん、知ってるよ。ノートに好きな人の好きなところを100個書き出すってやつだろ」

 答えた瞬間、未生の顔にはこの上ないほどの「がっかり」が浮かび上がる。

「あ……、そう」

 拍子抜けしたようにうなずくのは、予想外の答えであったため用意していた言葉を使えなかったからだろうと察した尚人は苦笑いで返した。

「期待外れって顔してる。どうせ僕はそういうの知らないって思ってたんだろ?」

 未生は何かと尚人が鈍くさくて世慣れていないとからかう。馬鹿にする意図がないのは明らかだし、尚人の自己評価も正直似たようなものではあるのだが、たまにはちょっとくらい反論したくなる。

「仕事柄若い子を相手にすること多いから、アンテナは高くするように努力してるんだよ」

 きっと未生が思っているよりずっと、尚人は年齢の割に若者の流行には敏感だ。少なくともそうであるはずだ――そうあって欲しい。

 とはいえ「アンテナを高く」というのはやや、いやかなり誇張した表現で、実際は、家庭教師や不登校生徒のサポートをする中で話題に出てきて、あわてて検索することがほとんどだ。

 未生が話題にした「好きなところ100」なるものにしても、しばらく前に教え子の高校生女子との会話で知った。

 彼女は「三ヶ月後の〈推し〉の握手会で渡すために、一日ひとつずつ〈推し〉の好きなところを書きためている」のだと言って、ピンク色の表紙のノートを見せてくれたのだ。

 好きな相手の良いところを100個書き出すというコンセプト自体は理解できるものの、それを渡す相手がクラスメートでも憧れの先輩でもなく〈推し〉というのは正直尚人にはピンとこなかった。というか、毎日こつこつそんなことができるなら「毎日ひとつ英単語を覚える」や「毎日一問計算問題を解く」方面に根気を発揮して欲しいのが正直なところ――とはいえ、中学校までは不登校かつほぼ完全な引きこもりだった彼女が、最近では〈推し活〉とやらでできた友達と日々チャットしたり遊びに出かけたりしているらしい。外出への抵抗が薄らいだせいか、通信制高校のスクーリングにもときおり出席するようになったのだから、〈推し〉の力は偉大だ。

 小劇場に定期的に立っている若手俳優である〈推し〉の尊さを語り続ける彼女を前に、どう誘導して授業に軌道修正しようか頭を悩ませながら、それでも尚人は微笑ましい気分になったのだった。

 ちなみにテーブルに置いたいちごは、その女子生徒の母親からもらったものだ。実家が栃木のいちご農家だからと毎年紙袋にいっぱい持たせてくれる。

 自分では買うにはハードルの高い高級フルーツとはいえ食べきれる量には限度があるため、昨年は自分用にひとパックだけ残して富樫に渡した。

 だが今年は未生がいる。内心ではお裾分けを期待しているかもしれない富樫には申し訳ないが、すべて自宅に持ち帰った。

「じゃあさ、最近ではファン活動のことを〈推し活〉っていうんだって、未生くん知ってる?」

 生徒とのやり取りを思い出して、今度は尚人が未生の知識をテストしてみる。

「よくわかんないけど、聞いたことはある。なんかアイドルとか声優とか好きな奴は、そういう言い方するよな」

「なんだ、たまには知ったかぶりできるかと思ったのに」

 どうやらこの方面について、ふたりの知識レベルは似たり寄ったりであるらしい。確かに未生は尚人よりずっと若いが、性格的にはややクールというか、特定の趣味や芸能人に夢中になるタイプではない。〈推し活〉とは縁遠そうだ。

「ところで未生くん、どうして急に『好きなところ100』の話なんか?」

「ああ、篠田がさ」

 どうやら未生の友人である篠田が恋人へのプレゼントに「好きなところ100」を埋めようとして、早々にネタに詰まってしまったらしい。未生は決して尚人を試そうとしたのではなく、ただこの話をしたかっただけなのだ。

「まあ、確かに100個は楽じゃないよね」

「だろ? 俺にネタ出しさせる時点で誠実さのかけらもないっていうかさ」

 あきれ顔の未生を横目に、尚人はこみ上げる笑いを堪えた。

 出会った頃の未生からは、「誠実」などという言葉で友人に苦言を呈する姿など決して想像できなかった。本当に未生は変わった――というか、本来の彼の姿で生きることができるようになってきたに違いない。

 もしも未生が心底いい加減で意地の悪い人間であったならば、敢えてあんなに露悪的な態度を取ることも、わざわざ肉体関係を持つ相手にあらかじめ「本気になった時点で関係を終える」ことを宣言することもなかっただろう。

 倫理的に褒められたものではないが、あの頃の未生が求めた刹那的な関係性は、当時の彼には必要だった。そして「自らはいいかげんな悪人である」ことの過剰なアピールは、未生なりに精一杯の誠意のあらわれだったのだと今ならばわかる。いいかげんな振りをして実は繊細で、人並み以上に真面目なのが未生という人間なのだ。

 他人の力を借りて無理やりに好きなところ100個をひねり出すくらいならば、ひとつも口にしないほうがよっぽど誠実。それどころか、その「ひとつ」すら、適当なことは口にしたくない。未生はきっと、そんな風に思っているのだろう。

 だったら――ふとした疑問が、尚人の口からこぼれる。

「未生くんは、いくつ言えるの?」

「え? 何を?」

「何って、僕の……」

 そこではっとして口をつぐむ。しまった。未生の生真面目さをからかってやるつもりで、思わぬ失言をしてしまった。面と向かって恋人に「自分の好きなところをいくつ言えるか」とたずねるなんて、重いというかうぬぼれすぎというか、図々しいというか。

「へえ、尚人ってそういうの言って欲しいタイプなんだ」

「違うよ! 未生くんが100個なんて無理筋だっていうから、だったらいくつかなって。別に言えなきゃ言えないでいいんだ」

「いや、言える! 言えるけど、ただ……なんか、何を言ったって芯を食わないっていうか。考えれば考えるほど言葉になんないっていうかさ」

 動揺した尚人をからかい返してくるかと思いきや、意外にも未生もはずかしそうに言い訳を紡いだ。どうやら未生は求められるまでもなく、「尚人の好きなところ」をいくつ挙げられるか考えて――というか、考えすぎてしまったようだ。

「尚人みたいに賢ければ上手く言葉にできるのかもしれないけど、俺馬鹿だからそういうの苦手で」

 自分は頭が悪いとか、言葉を知らないとか、謙遜ではなく未生は本心からそう思っているようだ。尚人からすれば勘違いもいいところだが、未生自身は、他の人は彼よりずっと高度な思考力も言語化能力を持っていると信じているのだ。そんなことあるはずないのに。

「未生くんは、本当にそういうとこ生真面目だよね」

 好き、という気持ちをそんなにも突き詰めて考えれば、きっと尚人だって迷宮に入り込んでしまうだろう。未生の好きなところ。なぜ彼なのか、彼でなければいけないのか――何ひとつ言葉になんてできない。

 ただ、そういう究極的な話は別として、「好きなところ」なんてもっと些細でささやかでいい。

 たとえば、毎週末一緒に過ごしているのに、まるで百年ぶりみたいに待ちわびた顔でドアを開けるところとか。たとえば、「今日はいちごがあるよ」と告げたときの嬉しそうな顔だとか。

 たとえば――「好きなこと」くらいで真面目に考え込んで、何も言えなくなってしまうところとか。

「じゃあ未生くん、ゲームしよう」

 テーブルのいちごを眺めて、尚人はいたずらっぽく笑う。

「ゲーム?」

「お互いに相手の好きなところを考えて、ひとつ言えたら一個いちご食べていいってルール」

 小ぶりだけど美味しいんですよ、と言って渡されたいちごはお皿に山一杯。真っ赤でみずみずしい、見るからに甘そうなそれを目の前にぶら下げれば、はにかみ屋の自分たちだってお互いの好きなところを正直に口にできる、かもしれない。

 

(終)
2022.05.04