スリープ・トーク(1)


未生×尚人。会えない週末のお話です。


 

 ――土曜日って、こんなに長かったっけ?

 未生のいない休日は、とんでもなく長く退屈だ。土曜日の夜、テーブルに置いたままのスマートフォンをちらちら眺めながら相良尚人はため息をついた。

 手を伸ばしたマグカップは空っぽ。早い時間に夕食を終えてからどれだけのコーヒーを飲んだだろうか。いくら手持ち無沙汰だからって、こんなにカフェインを摂取したら眠れなくなってしまうかもしれない。

 実に充実した土曜日だった。そのこと自体は間違いないのに、どうしてこんなに物足りないんだろう。

 朝起きて一番に洗濯をすませた。平日には行き届かない掃除をして水回りまでぴかぴかに磨き上げた。近所のカフェで朝食をとり、そのまま駅に行って新宿へ向かった。

 普段履きの靴下が薄くなってきていたことを思い出して、衣類量販店で三足千円のもの適当に選びをカゴに入れる。そういえば下着も少し、ゴムがゆるんできていたかも。アンダーウェア売り場に移動してから自分用に地味な単色のボクサーブリーフを数枚手に取り、それから同じ棚にある柄物下着に目をやる。

 ほとんど毎週末尚人のマンションにやってくる未生。最低限の着替えは置いてあるのだが、うっかり下着の替えが不足したことがあった。そのときはちょうど尚人も新品の買い置きを切らしており、いくら恋人とはいえ自分の着古しを渡すのも気が咎めた。

 下着だけをあわてて洗濯し、部屋干しすることでことなきを得たが、再度ああいう事態に見舞われた時のことを思うと、予備の下着も一枚くらいあった方がいいだろう。

 未生の下着のラインナップを思い浮かべながら、自分用には決して選ばない色柄の物を持って会計に向かう。この店にいる誰も尚人の買い物カゴになど興味はないし、中身を見られたとしても「男が男性ものの下着を買っている」ごく普通の光景でしかない。

 それでも尚人の心は踊る。自分は週末ごとに部屋に来る恋人のための下着を選んでいる――優越感というにはあまりにささやかな喜びを噛みしめた。

 と同時に、今週末も未生に会えない厳しい現実を改めて思い出し、幸せな気持ちにはいくらかの寂しさが混ざった。

 もう二週間、未生には会っていない。そしてあと一週間……つまり来週末までは、未生に会えない。

 先週の土日は尚人に用事があった。大学時代の友人たちから「関西で学習支援のワークショップをやるから参加しないか」と誘われたのだ。

 週末は未生と過ごすため仕事を入れないようにしているから、尚人は当初、招待を受けるかどうか迷った。だがワークショップの内容は興味深かったし、普段やりとりしない地方の実践者と交流が持てるというのは何より魅力的だった。

 尚人が行きたいと言えば、反対する未生ではない。「いいじゃん、行ってこいよ」と即座に背中を押してくれることはありがたかったが、問題はその翌週――この土日――は、未生も大学関係のボランティア活動で泊まりがけで出かけることだった。つまり、二度の週末を挟んで丸三週間ふたりは会うことができない。

 学生である未生の方が、試験やら実習やらで週末が埋まってしまうことが多い。だから彼は、まれに尚人に土日の予定が入ったとして「行くな」とは言わない。いや、尚人の生き方を応援してくれている未生だから、そんな狭量な思いを抱くことすらないのだろう。

 誰よりも尚人自身が、三週間も未生と会えないことを寂しく思っている。だから未生にも同じように寂しさを感じて欲しい。快く送り出して欲しい気持ちと、引き留めて欲しい気持ちが半々に混ざり合う自分のわがままには苦笑するしかない。

 先週のワークショップは期待以上に有意義で楽しいものだった。土日は一瞬で過ぎ去り尚人は大きな刺激を受けて東京に戻った。そのときは高揚した気持ちで、寂しさなど一切感じていなかった――しかし自分がひとりの週末を過ごすとなると、時間は驚くほど長い。

 衣料品を買い、大型書店を見て回り、映画館にも寄ったのに、まだ日が沈む気配もなかった。いつもだったらそろそろ未生が来る時間、いつもだったら未生と夕食の相談をしている時間。そんなことを考えては時計を眺め、本を読んでもまったく集中できなかった。

 未生がいないと思うと夕食を作るのも億劫で、冷凍してあったごはんで卵とネギしか入っていないチャーハンを作り、申し訳程度にレトルトの味噌汁をつけた。

 そんなこんなで長い一日はようやく終わりかけているが、朝から今まで未生からは一本の電話も、一通のメッセージすら届いていない。真面目にボランティアに取り組んでいるからだと頼もしく思う反面、本当にスタンプのひとつも送れないほど忙しいのかと、ときおり醜い感情が頭をもたげそうになる。

 これ以上リビングにいても手持ち無沙汰で延々とコーヒーを飲み続けてしまいそうだ。こういうときはさっさと寝てしまうに限るという結論にたどり着いた尚人は、読みさしの本を手に寝室へ向かった。

 普段の尚人は、慢性的に睡眠不足気味だ。

 ありがたいことに仕事は順調。教育企業での本業に加えて、友人たちとの研究活動や社会活動の機会も増えている。生活は充実しているものの一日は二十四時間。結果として平日の尚人にはだらだらとテレビを観るような時間はないし、睡眠や食事に費やす時間すら切り詰め気味だ。

 ワーカホリック気味であることは自覚しているので、強制的にでも仕事から引き離される未生との時間は、心身を健やかに保つ意味でも大切なのだと思う。

「いや、でも睡眠についてはそうでもないか」

 普段からすれば信じられないほど早い時間に横になりながら、尚人は思わずつぶやいた。

 未生と過ごす夜は、ベッドに入ってからの時間も長い。だから今日みたいな夜こそ、たっぷり眠る絶好の機会なのかもしれない。ベッドの中の未生を思い浮かべ、恥ずかしくいたたまれない気持ちになった尚人は慌てて淫らな妄想を打ち消した。

 枕元の充電器にスマートフォンを挿して、明かりを小さくする。

 横になればすぐに眠くなるだろうと思ったが、むしろ目は冴えてくる。明かりをつけて本でも読もうか。でも、そんなことするとますます眠りから遠ざかってしまう。ぐるぐると考えながら寝返りを繰り返しながら、ふと、数年前のことを思い出す。

 麻布十番のマンションで、眠れない夜を過ごしていた日々。独り寝の夜を数えてはむなしさにとらわれていた日々。

 どうしてあんなに萎縮していたのだろう。もう少し勇気を出していれば、ほんのわずかの本音をさらけ出していたら、絡まった糸は簡単にほどけていたかもしれない。当時の自分が感じていた劣等感も恐怖心も、今となっては馬鹿馬鹿しいほど些細に思える。

 こうして他人事のように俯瞰できるのも、過去を過去として切り離してしまったからだとわかっている。あの頃の尚人とあの頃の栄には他の道はなかった。そして、一度だけ電話で話した限り――尚人と離れて異国で暮らす栄は、あの頃よりずっと明るく過ごしているように思えた

 あの頃の尚人は、ひとりの夜が永遠のように思えて、ひたすら怖くて寂しかった。今はこうしてベッドに横たわっていて、確かに寂しさはあるけれど、恐怖はない。それはきっと、隣にはいなくとも未生の存在を近くに感じることができているからなのだろう。

 房総の施設で一日中忙しくボランティアで働いた未生は、もう宿舎に戻っただろうか。ちゃんと食事の時間はとれただろうか。立ちっぱなしで力仕事で疲れ果てただろうが、ゆっくり湯船につかれただろうか。離れた場所で有意義な体験をしているであろう未生のことを思うと誇らしい気持ちになる。

 ねぎらいのメッセージくらい送っておこうかな。いや、疲れている未生に返信をねだることになってしまうから、我慢したほうがいいだろうか。

 揺れる気持ちを抱えて、充電パッドから取り上げたスマートフォンをのぞきこむ。と、まるでタイミングをはかったかのように小さな音が鳴り、スリープ画面に未生からのメッセージが浮かび上がった。