スリープ・トーク(4)

 本当は確かめるまでもなく、自分が欲情していることには気づいていた。

 触れられて、煽られて、高みに導かれるだけではない。いつからか尚人は、不意に未生が見せる頼りなく子どもっぽい一面に掻き立てられる熱を意識するようになった。

 子どもっぽいという言葉を未生は嫌うから、あえて伝えはしない。でも鋭い未生のことだから、尚人のささやかな欲情ポイントくらい承知しているのだろう。その上で甘えたり媚びたりするのは天然か、それとも計算か。

 まあいい。尚人だって結局のところ、未生のあざとさに翻弄されるのは悪くないと思っているのだから。

 尚人はスウェットの上から張り詰めた股間にそっと触れてみた。じんと甘いしびれが下半身から背筋を駆け上り、脳をとろけさせた。

「……っ」

 どうしよう。こんなこと、してはいけない。

 未生は気にしないかもしないが、密室で抱き合っての行為と回線を通じて互いに痴態を見せ合う行為を同等に語ることはできない。それらは別物だ。絶対的に。

 タブーであると頭では理解しているが、視覚と聴覚からの刺激に触覚が加わった破壊力はあまりに大きい。尚人の理性はいとも簡単に揺らいで、崩れ落ちた。

 カメラを向けなければ、という言い訳でぎりぎり自身を誤魔化して、尚人は手を布地の内側に入れる。映像で見せつけられた未生のものに負けないくらいにそこはもう硬度を増して、先端を濡らしていた。

「あ……」

 堪えきれず喘ぎ声をこぼすと、未生が熱っぽくねだる。

「下も見せてよ」

 もぞもぞした動きと表情の変化で、尚人が何をしているかは筒抜けなのだ。カメラを動かすように求めてくる未生に首を振って拒否する。

「それだけは、絶対にだめ」

「……ケチ」

 小さく舌打ちして、未生は報復のように彼の側のカメラを上に動かした。未生にとってこれは正しい判断だ。なのに、恋人を求める尚人の本能は、赤褐色の勃起がフレームアウトするのを寂しがる。

「何だよ、ぎりぎりまで目で追って。尚人ってむっつりスケベだよな」

「なっ……」

 反論したいのに舌がもつれてうまく言葉が出てこない。

 本当は見たい。この先も見たい。未生が自分に発情するところを確かめて、求められていることを実感すれば、あと一週間を耐え切ることができるはず。

 どこで覚えたのか、それとも毎度の勘の良さゆえなのか。未生まるでポルノ動画のようにゆっくりと、局部が映るか映らないかぎりぎりの場所までカメラを動かした。

「尚人……」

 フレームのすぐ外で未生が性器を握り直すと、くちゅくちゅと濡れた音が耳を刺激する。これ以上未生に誘惑されたら限界で持ち堪えている自制心すら揺らぎそうだから、尚人はぎゅっと目を閉じた。いくら通信が暗号化されているとはいえ、通信回線にあられもない姿を乗せることにはリスクがある。尚人には自分を守る必要もあるし、それ以上に未生を守る責任もある。

「未生くん……ぁ」

 名前を呼ぶと、語尾が熱い吐息に溶ける。未生の声。未生の音。さっき目にした欲望。そして生々しく思い出す硬さ、温度、手触り。未生のすべて。

 自身のペニスを握った手のひらを上下に動かしながら、これが未生の手だったらどれほどいいだろうと思った。

「エロい声。……尚人、見せてくれないならもっと声聞かせて。名前呼んで」

 居たたまれず目を閉じてしまった尚人とは対照的に、きっと未生は食い入るように画面を見つめて、耳を澄ましているだろう。未生との淫らな行為を思い浮かべて慰める尚人の表情を少しも見逃さないように。唇からこぼれるほんの僅かの喘ぎも聞き逃さないように。

「未生くん、未生くん……」

 求められるままに、尚人は目の前にいない恋人の名前を繰り返す。呼べば少しでも近くに存在を感じることができるような、そんな気がして。

 荒い息遣いと、互いの名を呼ぶ声。そして濡れた音が重なり混ざり合う。そこから弾けるまで長い時間はかからなかった。

「……っ」

 手のひらに熱いもの。続けてどうしようもない脱力感が全身を包む。

 サイドテーブルのティッシュボックスから中身を数枚とって手のひらと局部を拭ってから尚人は倒れ込み、枕に頭を預けると長く大きな息を吐いた。視線をスマートフォンに向けると未生もほとんど同時に達したようで、ティッシュを手にしている。

 吐精したことで肉体的には満たされるはずだった。ひとりで慰めるよりは、気持ちだけでも未生と繋がって果てることができたのは確かに悪くない。

 でも――。

「未生くんの馬鹿」

 思わず、悪態が口を付いた。

「いきなり怒るなよ」

 まだ少し息が乱れている未生は、倒錯的な行為に巻き込んだことを咎められているのだと思ったのだろう。小さな声で「まあ、俺が馬鹿なのはわかってるけどさ」と言い訳がましく付け加えた。

「尚人がこういうの嫌がるのはわかってるけど、我慢できなくなったんだからしょうがないじゃんか」

 拗ねた声色。未生もベッドに倒れ込み、画面に映る顔が横向きになった。セックスの後と同じ、乱れた前髪が少し汗ばんでいる。疲労と眠気を滲ませた目元をひどく愛おしいと思った。

「違うよ。怒ってるんじゃなくて」

「じゃあ、何でいきなり馬鹿なんて言うんだよ」

 少し迷って、尚人は小さな声で告げる。

「いつもなら君とこういうことした後は、一緒に眠れるのになって思っちゃって。つまり、八つ当たり?」

 声を聞いて顔を見られるだけましなはず。通話しながらでも互いの欲情を確かめて果てることができればまだましなはず。そんな言い訳でエスカレートした行為だが、物足りなさはちっとも消えない。それどころか、果てた後で隣に未生の温もりがないのは、なおさらに切なく思えるのだ。

「どこまでも欲深くなる自分が、ときどき怖いよ」

 つぶやきは、未生ではなく自身に向けたものだった。今夜はひとりでも、また会えるとわかっているだけで寂しくなんかない。そんな気持ちも嘘ではないはずなのに――。

 変なことを言っている自覚はあるので、どんな顔をすれば良いのかわからず尚人が中途半端な苦笑いを浮かべると、画面の向こうの未生は吹き出した。

「……可愛いこと言うな。まさか、尚人飲んでる?」

「飲んでないよ」

 笑われるのは心外だし、アルコールのせいにされるのも不本意だ。正真正銘の素面だし、普段から思ったことは素直に伝えている。少なくともその努力はしていた。

「でも、そうだな」

 不満そうな尚人の姿にくっくっと小さく笑いながら、未生はうなずく。

「賢者モードになったらなったで、確かに寂しい。ほら、俺こういうベッドにひとりで寝ることないし」

「そっか、その部屋のベッド大きいんだね」

 未生の学生用アパートは狭いから、部屋にあるのは背の高い彼には窮屈すぎる寝具。男ふたりで抱き合うにも眠るにも狭すぎる。壁の薄さも気になるから、結局尚人と未生の逢瀬はほとんど、尚人のマンションになる。かといって尚人のベッドもセミダブルなので、やはり男ふたりで眠るにはやや窮屈なのだ。

 未生の泊まっているホテルは、シングルサイズのベッドふたつを、ツイン使用のときは別々に、シングル使用のときはくっつけて設置しているらしい。つまり、今日の未生は幅200センチメートルのキングサイズのベッドを独り占め。普段とのギャップは大きいに違いない。

「とはいえ、もうこんな時間だ。未生くんもいいかげん寝なきゃ昼間に響くよ」

 射精後特有のだるさと眠気に襲われながら、尚人はベッドサイドの明かりをひとつ小さくした。ひとりの寝床が寂しいなど睦言を交わすにも、さすがにもう遅すぎる。

 通話を終えようとする尚人に、あくびを噛み殺しながら未生が言う。

「わかってる。でもあとちょっと、あと五分だけ」

 あと五分、という言い方が帰宅を渋る子どものようだったから、今度は尚人が吹き出す番だった。

「……未生くん、一緒にいるときより甘えてる」

「そう?」

「そうだよ」

 とりとめもない会話を続け、何が面白いわけでもないのにくすくすと笑い。「あと五分」を何度も何度も繰り返し夜は更けていった。