大きいのがお好き?(2:未生)

「未生くんは、コメダ珈琲って行ったことある?」

 尚人の質問はさりげなさを装ってはいたが、その奥に潜む複雑な心情を未生は見逃さなかった。

 たかがコーヒーショップの話題。だが、一週間ぶりの逢瀬だというのに、はるばるやって来た未生にまず切り出すのが「コメダ」とは、あまりに唐突すぎる。尚人はおそらく未生に会ったらすぐにこの話をすると決めていたのだろう。

 それにしても、なぜコメダ?

「いや、ないけど。どうかした?」

 質問の真意を図りかねた未生も、とりあえずさりげない風な返事をする。尚人は「そっか」とつぶやいて、難しいことを考えているとき特有の表情を浮かべた。

「生徒が駅の近くにできて嬉しいって言ってたから、若い子には人気なのかなって思って。僕はモーニングメニューがお得なコーヒーショップだってことしか知らなかったから」

「若い子に……?」

 もちろん未生だって、最近急速に店舗を増やしているコメダ珈琲店の存在くらいは知っている。だが「若い子に人気か」と問われて自信を持って答えられるほどの知見はない。漠然と「珈琲店というからにはコーヒーを出す店なのだろう」とイメージしている、その程度。

 第一、尚人の生徒というからには、おそらく中高生。明らかに自分とは世代も感覚も異なっている。八歳下の未生のことを、尚人は何かと若者扱いするが、中高生からすれば未生などむしろ尚人に近い大人側に分類されるのではないだろうか。

 かといってここでまた「ガキ扱いするな」と文句を言えば、せっかく一緒に過ごす週末なのに雰囲気が悪くなる。

「どうだろう、わかんないや。俺、外で飲むコーヒーってあんまり好きじゃないし。カフェチェーンの食い物って腹にたまらないし、テーブル狭くてうるさいからああいう場所で勉強するのも苦手」

 あいまいなやり方で年齢の話を回避しようとした結果、意図せず巷のコーヒーショップ全般をディスってしまったような気がする。特にカフェチェーンに恨みはない。とはいえ最近の未生がその手のカフェにほとんど立ち寄らないのも事実だ。

 かつての未生は、スターバックスだろうがブルーボトルだろうが雰囲気がよく暇を潰せる店であれば、コンビニで水を買うような気軽さで利用していた。

 住居や光熱費の相場に無知で、自分の通う私立大学の学費がいくらなのか考えもしなかった頃。アルバイトの給与はすべて遊びに使っていたので今よりずっと懐具合には余裕があった。口説いている相手に誘われて、牛丼屋なら三食食べられそうな値段のパンケーキの行列に並んだこともあったっけ。

 そういえば、尚人を最初に呼び出したのも、ドリンクとケーキで千五百円は超えるような小洒落た「隠れ家カフェ」だった。今もたまのデートで雰囲気の良い店に行くことはあるが、自分ひとりの外食であの値段はありえない。そもそも、尚人が丁寧にハンドドリップで淹れてくれるコーヒーだけは別格に美味く感じるものの、相変わらず外で飲む手頃な価格のコーヒーは口に合わないことが多い。わざわざ外でカフェに入ることのメリットがないのだ。

 そんなこんなで、未生はさして興味のないコメダ珈琲店。だがわざわざ話題に出してくるということは、尚人は生徒との話のネタづくりのため行ってみたいと思っているのだろうか。だとしたら初手でネガティブなことを言いすぎたかもしれない。少し後悔しながら未生はきいてみる。

「尚人、行ってみたい?」

「というか……、話の流れで宿題を出されちゃって」

 宿題? と首をかしげる未生に、尚人は生徒である女子高生との一件を話して聞かせた。彼女のコメントを疑うようなことを口にしたばかりに「来週までに実物を体験してくる」約束をする羽目になったのだと。

 たかが生徒の言うこと、まともに相手をする必要はない。未生だったらきっと「忘れてた」「忙しかった」で済ませるか、店に行ったふりをして適当にやり過ごす。

 しかし、そういう小狡い真似ができないのが尚人だ。そして、彼の不器用な誠実さこそが、問題を抱える繊細な生徒の心を開いてきたのだと未生は知っている。

「だったら行けばいいじゃん」

 これが「三ツ星レストランの感想を聞かせて欲しい」とか「本場でフレンチを食べて来い」とかなら、確かに困る。だが、宿題はコメダ。最近では都内でもめっきり見かけることが増えて、行こうと思えばいつだって行ける。

「それはそうなんだけどさ」

 未生の明快な回答に、しかし尚人は歯切れが悪い。

 確かに尚人は内気だし、人見知りで保守的なタイプだ。ひとりで外食するのは得意でないと言っていたし、コンビニのレジで無料クーポンを出すことすら躊躇するタイプ。とはいえ三十路の大人なのだから、コーヒーショップに入ることくらいできるだろう。

「別に、普通のコーヒー屋だろ? 尚人仕事の時間調整によくドトールとかスタバとか行ってるよな。変わんないと思うけど」

 なのになぜ、尚人は週末までうじうじ悩んだ挙句、未生に「行ったことある?」などと遠回しに話題を振るのか。よしんば未知の店に一人で行くのが嫌なら、素直に一緒に行こうと誘えばいいではないか。

 未生は考える。ここまでの会話にヒントがあるとすれば――女子高生。スイーツ。大盛り。

 尚人は甘いものは嫌いではないはずだ。たまにコンビニスイーツを一緒に食べることがある。どちらかの誕生日のときはケーキを買うし、九州北部のご当地アイス「ブラックモンブラン」を東京のスーパーマーケットで見つけたときは目を輝かせた。

 とはいえ「嫌いではない」と「女子高生が持て余す量のスイーツを平らげる」はイコールではない。しかもさっき聞いた話では、生徒が尚人に出した宿題は、シロノワールなるデニッシュにソフトクリームを組み合わせたいかにも重そうな食べ物と、凍死レベルのかき氷。未生と比べて少食で、食の趣味もあっさり系である尚人にはきっと辛い戦いになる。

「……量が多いの心配してるなら、一緒に行けば俺が食うよ?」

 未生だって大の甘党というわけではない。しかしハーゲンダッツの無料クーポンが当たれば大喜びする程度に甘いものは好きだし、何より大盛りスイーツを食べるに当たって二十代前半の年齢は大きなアドバンテージになる。

 だが当然のように未生が導き出した提案に、なぜか尚人の表情は曇ったままだった。

「そう言ってくれるのはありがたいんだけど……」

 ひとりで行くことは渋っているようで、未生を誘いたそうな雰囲気もある。にもかかわらず、いざ一緒に行こうと言われれば素直にうなずかない。付き合いが長くなるにつれて未生の前でははっきりものを言うようになってきた尚人の、久しぶりに見るいじいじと優柔不断な一面。懐かしさよりも鬱陶しさが込み上げる。

「なんだよ、さっきから。結局何が言いたいわけ?」

 未生の口調にいらだちが混ざると、尚人は慌てたように「ごめん」と口走ってからようやく本音を打ち明けた。

「でもさ、男二人で甘いものシェアするなんて、変じゃない?」

「え? そんなこと?」

「だって、居酒屋や大皿料理ならともかく、普通のお店で、しかもデザートだよ? そんなの見たことない」

 数秒の間を置いて、未生はがっくりと首を垂れて吐き捨てる。

「……くっだらねー」

 それは偽らざる本音だったが、どうやら尚人の気持ちを著しく害したらしい。顔を覆っていた不安がスッと消え、代わりに「不満」の二文字が浮かび上がる。

「くだらないって、失礼な言い方だな」

「だって、他に言いようがないから。別に、マナーにうるさい店で皿交換するわけじゃないのに、誰がどうやって食おうが勝手じゃね? 金は払うんだし、食いきれなくて残すよりシェアする方がよっぽどマシだろ」

 言いながら、未生は察している。

 本質的には物の見方もニュートラルで、考え方も柔軟な尚人なのに、稀に昭和の遺物みたいなステレオタイプを披露することがある。そういうときは大抵、背後にあの男の影響があるのだ。

 もう顔も忘れかけている――というか忘れるよう努力している谷口栄。あの妙なこだわりが強く過剰に世間体を気にする男との八年間の付き合いで、尚人は「世間の常識=栄の常識」として妙な固定観念を植え付けられている。

 きっとあいつが「男が甘いもの目当てで店に行くなんてみっともない」とか「男同士でデザートをシェアするなんて、ゲイだと思われる」とか、訳のわからないことを吹き込んだに違いない。前者は大いなる偏見だし、後者に至っては実際に同性カップルであるにもかかわらず、だ。

 尚人の恋愛に関する窮屈な思い込みを見つけるたびに、未生はそれを解きほぐす。だが、初めての恋愛というのはこんなにも人に影響を与えるのかと驚くほどに、消しても消しても「過去の呪い」は浮かび上がる。でも――それら全てに嫉妬して消耗することに意味はないのだろう。

 それに、未生が尚人に抱く違和感やもどかしさが偶然過去の恋愛絡みなだけで、尚人だって未生に染みついた過去にやりきれない気落ちになることもあるだろう。

 何気ない会話の中で未生がふと口にした言葉に尚人が表情を曇らせることがある。そんなとき未生は、自分が無意識に「円満な家庭で育った人間であればしないであろう言動」をしたことに気づくのだ。

 そういうとき尚人は敢えて指摘しない。ただ黙って未生の過去を受け入れてくれている。少なくとも未生はそう感じる。だからこそ未生も、尚人の以前の恋愛にこだわるより、先を見ていたいと思っているのだ。もちろん完全に割り切ることは難しいが、できる限りは。

「ごめんごめん、言いすぎた。でも大丈夫だって、こっちが気にするほど周囲は俺らのことなんか見てないんだから。それに店の人だって、大量に食い物残されるよりシェアでも何でも食い切った方がいいだろ」

 努めて明るく尚人の不安を払拭しようとしながら、未生はスマートフォンの地図アプリを立ち上げ、近くのコメダ珈琲店の場所を探しはじめた。