大きいのがお好き?(3:尚人)

 半ば押しつけられるかたちで生徒と「コメダでノーマルサイズのシロノワールとかき氷を食べる」という約束を交わし、尚人がまず考えたのはひとりで店に行くことだった。

 だが、甘い物は別腹と公言してはばからない女子高生ですら持て余すようなスイーツを、しかも二品。とても自分の手に負える気はしない。かといって、一粒のお米には七人の神様がいると言われて育った尚人には残す前提で食べ物を注文する選択肢はなかった。

 学生時代、大人数の飲み会で無残に残される料理を見るたび胸が痛んだ。あれはまだ団体責任だからと自分を誤魔化すことができたが、ひとりで店に入って、どろどろに溶けたソフトクリームやかき氷の皿を残しての退店……きっと数日はうなされる。

 次に思い浮かぶのは当然――未生だ。

 二人で外食をすることは珍しくない。そこそこ甘党の未生だから、誘えば誘えば喜んで乗ってくるだろう。しかしここでも引っかかるのは「量が多い」こと。いや、むしろ生徒が冗談交じりに言った「彼女とシェアすればいいじゃん」という言葉だ。

 人前で甘い物を分け合って食べるのは、カップルの特権だろうか。そんなことはないだろう。恋人同士以外でも、親子や、女性グループが和気藹々と食べ物をシェアしているのはよく見かける。とはいえ「男同士」に限るとほとんど見かけることがない場面であることもまた事実。

 それを未生と実践した場合、自分たちは周囲からカップルだと思われてしまうのだろうか。

 かつての恋人・栄は徹底的にセクシャリティを隠すタイプだった。尚人が恋人として第三者に紹介されることなど一度としてなく、人前ではほぼ完璧に「親しい友人」を演じきっていた。中華の大皿料理のようなシェアするのが当然の食べ物以外を分けたり、互いの皿から味見したり、食べきれないものや苦手なものを代わりに食べるようなことはもちろん厳禁だ。そもそも栄は潔癖だから、相手が誰であろうと皿を共有することなど嫌がったに違いない。

 尚人だって、進んで自分のセクシャリティを吹聴したいとまでは思わない。どちらかといえば、世間に紛れて生きていたいタイプだから、余計な波風を立てずにいられるのならば、その方が楽だという気持ちもある。だから栄に不満があったわけではない。むしろ神経質な栄に同調するうちに、彼の考え方や振る舞いに骨まで染められてしまっている。今はそれが問題だった。

 外で、男ふたりで甘い物を食べるなんて――しかも約束は「シロノワールとかき氷、両方」だから、それを愚直に守ろうとすればシェアは避けられない――周囲からはどう映るだろう? 想像するとざわざわと落ち着かない気持ちになった。

 おおらかな未生ならば、あっさり「別にいいじゃん」と言うだろう。背中を押してもらえば楽だと思うが、一方で、これまで守ってきたラインをそんなに簡単に踏み越えていいのかという迷いもあった。

 未生は若い。しかも、過剰なまでの自己抑制が習慣化している栄とは対照的に、父親との複雑な関係の中であえて露悪的な振る舞いをとる傾向があった。つまり、バイセクシュアルであることを、わざとらしくさらけ出していた未生のあけっぴろげさは彼の本来の性質なのか、そのことで未生が将来傷つくことは本当にないのか……尚人はまだ確信を持てずにいる。

 悩んで悩んで、それでも未生にコメダの話を切り出したのは、やっぱり最終的には、未生に一緒に来て欲しかったからだ。だったら最初からそう言えばいいのに、と自分でも思うが、体に染みついた思考や習慣を変えるのはたやすくない。ずるいとわかっていながら、尚人は決断を未生に委ねてしまった。

 デザートのシェアごときでうじうじ悩む自分の背後に、未生はきっと栄の影を見ているだろう。そんな後ろめたさも感じながら、マップアプリで見つけた一番近くの大型店舗に行くことにすぐさま同意した。

「未生くんの行動力は尊敬するよ」

 ログハウスを意識しているのか、インテリアに多く木目が取り入れられた店内に入り、ワイン色の椅子に腰掛けながら尚人がつぶやくと、未生はあきれたように笑う。

「尚人が優柔不断で自意識過剰すぎるだけだって。どうせ今も、俺と尚人の組み合わせがここで浮いてるんじゃないかとか、どんな関係に見えてるかとか、考えてるんだろ」

「うっ……」

 図星すぎて返す言葉もない。

「どうでもいいじゃん。兄弟に見えるかもしれないし、友だちに見えるかもしれないし、親戚に見えるかもしれないし……もしかしたら恋人に見えるかもしれないけど。ただ、こんだけ仕切りがあれば、ほとんどの人にはそもそも俺たちの存在すら見えてないだろうな」

「確かに。店内もこんな雰囲気とは知らなかった」

 コメダ珈琲店を知らない尚人は、スターバックスやタリーズコーヒーのような広々とした内装を勝手に想像していた。だが実際の店内は外観から受けるイメージ同様ファミリーレストランに近いように感じる。

 電源のあるテーブルはやや広く、各座席にメニューが備えてあり店員がオーダーをとりにくるスタイル。座席と座席の間にはついたてもある。顔が見えるのはせいぜい店員と、隣のボックス席に座る客くらい。だが、コーヒーを前にした女性二人連れは話に夢中で一切こっちを見る気配はない。正直少し拍子抜けだった。

 水の入ったグラスとおしぼりを持ってきた店員が、「お決まりになりましたら、こちらでお知らせください」と紙ナプキン入れと一体化した呼び出しボタンを示す。こういうところもコーヒーチェーンよりはファミレスに近い。

 グラスの水をひと口飲んで、「さて」と未生が黒い表紙のメニューを開く。尚人も期間限定メニューやおすすめ商品が色鮮やかに並ぶラミネート加工された別メニューを手にとった。

「へえ、普通に食い物も豊富じゃん」

 メニューをめくりながら、未生の声は弾む。

「そうなの?」

 なんせ女子高生から紹介されたのは、ソフトクリームのせデニッシュと、巨大かき氷。てっきり甘味メインの店だと思っていたが、未生の手元を向かい側からのぞきこむと、サンドウィッチやハンバーガー、さらにはエビフライやカツの乗ったプレートなどメニューは多彩だ。

 時刻は昼には少し早いくらい。未生が来てから何か一緒に食べるつもりで、朝はコーヒーとヨーグルトだけですませている。甘い物のことで頭がいっぱいだったが、食事らしいものを腹に入れたい気持ちはある。朝まで居酒屋アルバイトで動きっぱなしだった未生はなおさらだろう。人の少ない朝の電車でかじるつもりでパンを買ったが、座るなり眠ってしまい何も食べていないのだと言っていた。

「もう昼だし、何か頼もうよ」

 自分が誘った側、というより「付き添いで来てもらった」側なので会計は尚人が持つつもりでいる。それを察してか未生が遠慮している気配を感じ、尚人は率先してフードメニューを吟味した。

 この先に大盛りスイーツが二品控えていると思うと他の皿を頼むことに不安がないわけではない。だが、空腹の未生がいるのだから何とでもなるはずだと尚人は楽観していた。

 フードメニューを頼むことが決まると、未生の顔はぱっと明るくなり、メニューを行きつ戻りつ迷っている。

 写真は載っているが、サイズがよくわからないことは気になった。自分たちの姿を他人から隠してくれるついたての存在はありがたいが、一方で他のテーブルの様子が見えない。スイーツは大盛りだというが、フードはどうだろう。気にしつつも、喫茶店の食べ物などたかがしれていると、懸念は頭から追い払う。結局のところ、尚人もコメダを甘く見ていたのだ。

「じゃあ俺、これ」

 未生は肉体仕事を終えた若者らしく、「カツパン」と書かれたカツサンドのようなものと、唐揚げとポテトの盛り合わせを指さした。

「全部ずっしり系……」

「だって腹減ってるんだもん」

 揚げ物ばかりの選択に圧倒されつつ、未生が遠慮してはいけないという気持ち――そして、栄に教え込まれた「ひとりワンオーダーがマナー」の常識から――尚人は比較的軽そうな「ハムサンド」に決めて、店員呼び出しのボタンを押した。