第3話

 そんなこんなで半ばやけくそというか、尚人の当てつけめいた気持ちに突き動かされて未生は飲み会への参加を決めた。

 翌朝に「余計なことを言ってごめん」というメッセージを確認したときはそのまま床にへたりこみたくなった。要するに尚人は、未生が交友関係に口出しされたことに腹を立てていると思っているのだろう。相変わらず尚人は未生が何に焦れて何に怒っているのかは理解していないのだから当てつけたところで未生の独り相撲ではあるのだが、それでもやり場のない気持ちを他にどうすれば良いのだろう。

 未生には、尚人に自分の気持ちをわかってもらうための方法がわからない。言葉にすれば良いのか。でもいまだ「お試し期間」の身で出過ぎたことを口にして愛想を尽かされはしないだろうか。

 心の奥では未生は今も、尚人の隣に谷口たにぐちさかえの幻影を見ている。冷静に考えれば絶対に敵うはずのない相手の手を離し、尚人が未生を選ぼうとしてくれていることを信じられずにいて、だから怖いのだ。

「では、カンパーイ!」

 木曜の午後七時、飲み会は栗原範子の音頭で始まった。

 会場は学生目当てに立ち並ぶ格安居酒屋チェーンのうちの一件で、飲み放題二時間付のコースは三千五百円。当然のように突き出しは業務用ポテトサラダ。申し訳程度の刺し盛りに、見るからに冷凍食品のから揚げとポテトが続く。

 飲み放題メニューの品質もお察しで、要するに値段相応と言って良いのだが、会の目的が飲食ではなくあくまでほど楽しく寄って騒ぐことであるのだと思えば適切なチョイスなのだろう。

 来月に迫った前期試験の話を切り口に、話は少しずつ個人に切り込んでいく。浪人、中退、社会人とバリエーションはあるものの、全員が高校を卒業後ここに至るまで何らかの経験を積んでいるのでそれなりにネタは豊富だ。

 幹事の栗原は未生と同じ他大学中退組。しかし無目的に入った大学を辞めてきた未生と違って、彼女が前にいた大学はそこそこ名の知れた私立の獣医学部であるらしい。

「えー、獣医とか下手するとここより難しいのに、もったいなくない?」

「そうかな。でもやっぱり動物より人間の方がいいかなって思っちゃったんだよねぇ」

 十人ほどが長方形のテーブルを囲み、頼んでもないのに未生は中央あたりに押し込まれている。右と左でちょうど別々の会話が行われているのをつまらない気持ちでぼんやりと聞いていた。

 範子が未生の右側で獣医学部を辞めた理由を語る一方、左には二浪経験の男子学生である篠田しのだ。一年目はいわゆる「宅浪」で失敗し、二年目に入った某予備校の寮では徹底的にスケジュールを管理され地獄を見たという経験を自虐とユーモアたっぷりに披露している。

「もうね、本当にあれは出家したような気分。だから大学に入って普通に女の子が歩いてるの見て思ったね、ああ俺はシャバに出たんだって……」

「篠田、大げさだよ」

「あれ経験したら絶対そうなるんだって。いまだに若干トラウマっていうか後遺症あって女子と話すのキョドっちゃうしさあ」

 あはは、と篠田の周囲に笑いが起こる。未生を撒き餌に使うようなことを言っていたが、十分自分の話術で戦えそうに見える。

「篠田くんは面白キャラだけど、笠井くんは普通にモテそうだよね」

 憧れの大学デビューに熱弁を振るう篠田を黙って眺めていた未生だが、不意に流れ弾が飛んできた。

 こういった質問は苦手だ。というか得意な人間がこの世にいるのだろうか。確かにその気になれば相手に不自由しないという意味で未生は「普通にモテる」のだろうが、一方でまともな恋愛経験は皆無で今は触れさせてももらえない相手の家に毎週虚しく通い詰めている。

 答えよどむ未生の横から篠田が口を出す。

「あ、探り入れても無駄。笠井は彼女いるらしいよ」

 その瞬間周囲の女子学生の間にあからさまな落胆を含んだざわめきが広がるが、すぐに宴会の雰囲気に消える。

「えっ、そうなの? やっぱイケメンはそうだよねえ」

「ねえ、笠井くんの彼女さんってどんな人? 前の大学の人?」

 内心少しくらい良いなと思っている相手でも、先客ありと見ればすぐにゴシップの対象に変わる。頼もしい話だが、いかんせん対象とされた未生にとってはいい迷惑だ。

「……別に言う必要ないだろ」

 必要以上に迷惑そうな顔を作ってそう答えるが、酔いの回りはじめた面々に通じるはずもない。

「ねえ、彼女さんの写真見たい」

「写真なんか持ってない」

「えー笠井くんケチ。だったら芸能人だと誰似?」

「誰とも似てないってば」

 それでも質問は雨あられのように降り注ぎ、何かしらの情報を与えない限り集中砲火がやまないことを察した未生はぽつりとつぶやいた。

「年上だよ。八歳年上」

 今度のざわめきは、さっきより少しばかり不穏に感じられる。

「え……笠井くんの彼女って、アラサー?」

 思わずどこからかこぼれたつぶやき。未生が大幅に年の離れた相手と付き合っていると聞いて明らかに引いているようだ。

 長いこと象牙の塔で暮らし世間擦れしていないせいか、普段接している限り尚人との間にそこまで年齢差を感じることはない。とりわけここのところの未生にとっては年齢差よりむしろ、あのどこかぼんやりした性格の方が大問題だ。だがもちろんここにいる誰もそんな事情知りようがない。未生だって同世代の友人が三十前の女と付き合っていると聞けば多少は驚くだろうから、まあこれも順当な反応なのだろう。

「まあ、言われてみたら意外ではないか。色っぽいお姉さまの若いツバメってのもちょっと似合ってるかも」

 フォローしているのか馬鹿にしているのかよくわからない言葉に小さな笑いが漏れて、ようやく場の空気が和んだ。色っぽいお姉さまとは対極にある尚人の顔を思い浮かべてとんだ勘違いだと笑いが込み上げるが、もちろん未生には周囲の誤解を敢えて訂正しようというつもりはなかった。

「ほら、それじゃ勝ち目ないだろ。君たちはもっと身の程にあった相手を探しなさい」

 篠田の言葉でようやく話題が未生から逸れる。

 彼女持ち――しかもかなりの年上――これで未生の位置付けは「今年の看護学科で一番人気」から「何となくアンタッチャブルな男」に変わったに違いない。おかげで面倒な絡まれ方をしなくなるのならばむしろ望ましいくらいだ。

 サークル、彼氏、彼女。妙に意識の高い将来設計語り。あとは酔いのままに似たような話題がループするだけだった。どうしてこんな面白くもない場所でまずい料理を食べてまずい酒を飲んでいるのだろう。

 今日が飲み会だということは一応尚人にも連絡しておいた。だが今この瞬間未生が不特定の男女と酒を酌み交わしていることを、きっと尚人は何とも思っていないに決まっている。かつての未生の手癖の悪さを思えば少しくらい心配して釘を刺したっていいくらいなのに、物分かりの良すぎる態度は逆に未生を不安にするだけだ。

 余計なことを考えているうちに気持ちがくさってきた未生は、ともかく嫌なことを忘れようと柄にもなくグラスを次々と空けていった。

 ラストオーダーのあとも粘って、一次会がお開きになった頃には十時が過ぎていた。二次会に行く人、という呼びかけに半分程度が挙手し、未生はもちろん帰ることを選んだ。

 多少引き止められたが深追いされなかったのも、もしかしたら「アラサー彼女」のせいなのかもしれないと頭をかすめ女子たちの抜け目のなさに感心するが、一方でその「アラサー彼女」が実際は恋人でない相手を指しているのだと思えば面白くはない。酒で紛らわすどころか未生の苛立ちはむしろ増大していた。

「……おい、笠井、酒好きじゃないって言ったわりにけっこう飲んでたけど大丈夫か?」

 途中まで帰る方向が同じだという男子学生が、未生の足取りを見て心配そうに言う。飲み過ぎであることはどうやらばれていたらしい。そして実際、未生は酔っていた。

「うるさいな。大体これも尚人が……」

「ナオト?」

 思わず口にした名前を聞き返されるが、そこでまずいと思う程度の理性はぎりぎり残っている。

「なんでもない。俺、こっちだから」

 酔った勢いでの言い間違い、ということにして話をそこで打ち切ると未生は彼に手を振った。

「足元気をつけろよ」

 背後からそんな言葉が飛んでくる。未生は振り返らないままにひらひらと手だけを振った。

 妙な気分だった。苛立ちと高揚感が胸の奥に渦巻いて、眠気を感じている反面妙に行動的な気分でもある。基本的に酒は嫌いなのでこれまで量を飲んだことがなく、ゆえに未生は酔うという感覚や酔った場合に自分がどうなるかについて、ほとんど知らなかった。

「尚人――」

 ポケットのスマートフォンを取り出す。新着マークに胸躍らせてメッセンジャーアプリをタップするが、そこに表示されたのは「今日は遠足だったよ」という文面と弟の満面の笑顔だった。普段だったら微笑ましいはずの優馬のメッセージすら今は苦々しい。

 尚人はどうして心配のひとつもしないのか。尚人は本当にいつか「お試し期間」を終えて未生を恋人にするつもりはあるのか。悶々と考えているうちに、未生の脚はなぜか家ではなく駅へと向かっていた。

 まだ都内へ向かう電車は走っている。

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