第7話

 だったら最初から相談して目的を告げてくれれば、こんなややこしいことにはならないのにと頭をよぎるが、過去の自分が栄についてどれだけ容赦ない罵倒と嫉妬の言葉を吐き続けたかを思い出せば苦いものがこみ上げる。心のままに告げた正直なわがままが尚人を悩ませ、最終的には嘘というかたちで跳ね返ってくるなんて、人と向き合うとはどこまで難しいことなのだろう。

 はあ、と恋人を腕の中に閉じ込めたままで未生はひとつ息を吐く。ため息というよりは、安堵。そこで未生の怒りがおさまったことを確信したのか尚人もためらいがちに腕を上げて抱き返してきた。

「で、言ったのか?」

 嘘についてはひとまず置いて、他ならぬ尚人の口から栄への交際宣言というのは悪くない。

「うん」

 そう言う尚人の声からも緊張が消え――代わりにいくらかの甘えをにじませながら未生の肩にことんと頭をもたせかけた。普段は賢くて落ち着いていてまさしく年上といった感じの尚人だからこそ、ふいに甘えてくるときの声や仕草は未生にこの上ない陶酔をもたらす。

「でも、僕が言う前から知ってたんだって」

「知ってたって、なんで?」

「わかんない。俺は地獄耳だからとかなんとか」

「相変わらず気持ち悪い奴だな」

 まさか別れた後もしつこく尚人の周囲を嗅ぎ回っていたのだろうかと頭をかすめて未生が眉をひそめると、尚人が苦笑いをもらす。

「またそういうひどいこと言う。……でも栄、僕が決めたことで今が幸せならそれでいいってさ。心配しなくたってもう僕のことなんて全然って感じだったよ」

「ふうん」

 未生は複雑な気分だ。これで尚人の嘘を帳消しにする気にはなれない。とはいえ――なかなか信じがたいことではあるのだが、栄が本心から尚人と未生の今の状態を受け入れるのならば、それ自体は良い知らせでもある。尚人がいつまでも栄を裏切った過去をうじうじと思い悩むのは哀れであり、同時に気に食わない。

「まあいいか。それで気が済んだなら、尚人ももうあいつのこと何かと思い出して気にかけるのやめろよな」

「……努力はする」

 軽率な嘘で未生の怒りを買った直後だけに「絶対」という言葉を避ける尚人を誠実というべきか、ずるいというべきか。いずれにせよ未生は惚れた弱みで最終的にはなんだって許してしまうのだ。これではヒモ化確実の年下男を甘やかしている範子のことを馬鹿にできない。

 仲直りの後の甘ったるい空気と触れ合う体温に、まだ昼どきではあるがこのまま一度押し倒してしまうのも悪くないなと未生は考える。だがそこで放置できない問題がもうひとつ残っていることを思い出した。そもそも未生が尚人を問い詰めるに至ったきっかけは、尚人が密かに羽多野の居場所を探って、それを未生への口止めをした上で真希絵に訊ねていたことだったのではないか。

「で、それと羽多野さんになんの関係があるんだ?」

「さあ、仕事の関係で頼まれたって言ってたけど詳しくは教えてくれなかった。ただ、栄らしくもない剣幕で、あいつの親父の元秘書なんだから調べられるだろって……」

「あいつって、もしかして俺のこと?」

 そこで失言に気付いたらしき尚人は、はっと顔を上げて困ったような苦笑いを浮かべた。

 未生には国会議員の仕事も官僚の仕事もわからないが、羽多野と栄の間にかつて仕事上のやりとりがあったことは確かだ。そしてなぜか今になってロンドンにいる栄は羽多野の居場所を探している。元々仕事を介しての知り合いだというのならばそのルートで伝手を探した方が良いのではないかとも思うが、すでに議員秘書を辞めて本人曰く「無職を満喫」している男の消息は正攻法では見つからなかったのかもしれない。

「未生くんには貸しがあるから何がなんでも調べさせろってきかなくて。かといってそんなこと君に頼めないし」

「は? なんでだよ!」

 まるで頼り甲斐がないと言われているかのようで思わず声を荒げた。

 理由や目的はわからないが、栄は羽多野を探している。そして、未生を通じて、かつて羽多野が秘書として仕えていた未生の父親から情報を得ようとした。当たりまえだ。尚人は一度だけ、偶然出くわした際に優馬の教育方針について意見したことで、父を怒らせたことがある。逆に言えばふたりの接点などその程度にすぎないのだ。だから最初から栄は未生をあてにしていて――卑劣にも尚人の罪悪感すら利用しようとしたのだ。

「だったらなおさら、俺に隠す必要なんかないだろ。そりゃあ、勝手に連絡取られたのはむかつくけど、それだってさっきみたいに理由を話してくれれば……」

「でも、そうしたら未生くんは」

 そこではっとする。

「あ、もしかして……?」

 未生と父の不仲について尚人はよく知っている。だから、栄の頼みをそのままストレートに伝えることが未生の負担になると思って言い出せなかったのだ。

「よりによって毛嫌いしてる栄からの頼みで、しかもお父さんに連絡するだなんて、未生くん絶対嫌がるに決まってるし」

 それに、とつぶやいて言葉は消える。尚人はわかっているのだ。いくら気が進まなくても、それが父親に対する意地を曲げることになるのだとしても、それが尚人の頼みである限り――そして他でもない栄からの挑発である限り――きっと未生が自分の気持ちを曲げて父親に連絡を取ろうとするであろうことに。

「僕はずるいんだ」と尚人は言った。

「栄に君との話をしようと思ったのも結局は自分が楽になりたいからだ。それに栄からの頼みについて切り出せなかったのも……自分が悪者になりたくないから」

 未生は再び尚人を腕の中に抱き寄せるとぽんぽんと背中を叩く。ついさっきまであわよくば押し倒そうと考えていた不埒な自分が恥ずかしく思えてくるくらいに今の尚人は真摯で健気で、ただ愛おしい。

「いきなり怒って悪かったよ」

 謝罪の言葉を口にすると抱きしめられたままで尚人が左右に首を振る。考えすぎて先回りしすぎて、がんじがらめになってしまうのは尚人の優しさであり欠点でもある。

「尚人がただ影で谷口と連絡取ってたことが後ろめたいからとかじゃなく、ちゃんと俺のこと考えて悩んでくれたってのはわかった。気持ちはありがたいよ」

 そう言って一際強く抱きしめてから「でも」と未生は肩をつかんで尚人の顔を自分の方に向かせる。

「やっぱり、そういうの何より俺は尚人に隠しごとはされたくない。尚人だって、俺が尚人のためだっつって嘘ついたり秘密作ったりしたらどう思う?」

「それはもちろん、寂しいよ」

 どっちが大人だ子どもだと言い合うのも馬鹿らしくなるほどに、多分今は自分も尚人もひどく幼稚な顔をしているのだろう。誠実でいることは難しいし、未生だって優しさゆえの嘘の存在くらいは理解はしている。ただ自分たちの関係の中ではどのような気遣いが必要でどのような遠慮が不要なのか、そのあたりのバランスは恋人になって半年足らずの未生と尚人の中ではまだまだはっきりしていない。

 噛み合わないこともうまくいかないことも多い中で、できることは理解する努力もされる努力もあきらめないという、それだけ。慣れない勉強よりよほど厄介ではあるが、恋や愛というものを信じてみると決めた以上は避けて通れない困難だと腹を括るしかない。

 だが、それはそれとして――。

 ついさっきまでは、いっそこのままベッドまでなどと不埒なことを考えていた未生だが、栄に挑発されたと知れば黙っていられない。あの男が一体なんの目的で羽多野のことを調べているのかは別として、売られたけんかは買うのが未生だ。

「……って言っても、住所や電話番号くらいすぐにわかるはずだよな」

「あの頃はテレビや週刊誌でも騒がれてたし、もしかしたら電話番号を変えたり引っ越したりしてるのかもね。だとすれば未生くんのお父さんに聞けばわかるってわけでもなさそうだけど」

 尚人の推理ももっともだ。それに、いまさら未生が格好をつけたところで真希絵に話がいっている以上できることはほとんどない。

 なんせ誰もが認める不肖の息子だった未生だ。自宅に出入りする秘書の多くは未生を避けた……というより徹底的に愛想のない未生に絡むことをあきらめていた。事務所時代の羽多野の同僚への顔がきくのは圧倒的に真希絵だろう。それに尚人のことを恩人と見做している彼女だから、きっと父含め知る限りの人間に羽多野のことを当たっているに決まっている。

 もし尚人が直接栄の依頼を告げてきたら、未生はきっと困惑していたに違いない。なのにいざ自分が手を下す余地がないとみれば、手柄を逃したようで残念に思ってしまう。我ながら現金なものだと未生は苦笑した。

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