第11話

 かくして、尚人ははじめて未生と入浴するという状況に、しかも心の準備ゼロで放り込まれたのだった。

「そういえば一緒に風呂入るの初めてだよね。あのときも結局なんだかんだ理由つけて一人でシャワー浴びちゃったし」

 未生が拗ねたような声色で蒸し返すのは、再会してからはじめて体を重ねた初夏の日のことだ。行為を終えた未生は二人で一緒にシャワーを浴びるつもりでいたようだが、風呂場までつれて行ってもらったところで尚人は手伝いを丁寧に断った。ただでさえ久しぶりの行為に動揺し、消耗していたので少しでいいからひとりになって心を落ち着けたかったのだ。

 もしや未生はあのことを密かに根に持っていて、今日という尚人が拒否できないタイミングを狙ってきたのだろうか。

「あれは、だって。君の家のお風呂すごく狭いし」

「でも、昔ラブホで会ってた頃も、俺が一緒に風呂入ろうかっていうといつも嫌がってた」

「……あの頃は付き合ってもいなかったんだし、未生くんだって本気じゃなくてただからかってただけだろ」

 もごもごと言い訳をする尚人をしつこく追求するところからして、予想は当たらずとも遠からずといったところなのだろう。きっと未生にとって尚人と風呂に入ることそれ自体に大きな意味はない。ただ過去に拒否された、許されなかった行為にこだわっているだけ。

 腰に触れた手を撫でるように滑らせながら、未生はちらりと尚人の顔色を気にする。

「……未生くん、ずるいよ」

 思わず尚人はそうつぶやいた。

「え? そんなに風呂入るの嫌だった?」

「そうじゃなくてさ」

 子どもじみた嫉妬や独占欲だって、向こう見ずでときにやりすぎに思える行動だって、相手が未生であれば嬉しいと感じてしまう。

 ここでもしも「嫌だ」と言えばきっと真に受けて、むきになって自身の正当性を訴えてくるか、もしくは消沈して出て行ってしまうかもしれない。かといって言葉で許しを与えるのは恥ずかしいから尚人は未生の手に自分の手のひらをそっと重ねて「急に入ってきたから驚いただけだよ」と告げた。

 未生のワンルームマンションよりはましだが、今いるバスルームも決して広いとは言えない。洗い場に大人の男が二人向かいあうとスペースにはほとんど余裕はないし、湯船に至ってはぎちぎちになるだろう。

「未生くん、体冷えるから先にお湯に浸かったら?」

 狭さを思えば、洗い場と湯船を交互に使う方が現実的だ。すでに洗髪を終えている尚人が先に体も洗ってしまうほうが効率的だろうと提案すると、未生は壁のフックに引っ掛けてあるボディスポンジを取った。

「ありがとう」

 てっきり渡してくれるのだと思って尚人は手を伸ばすが、未生はそしらぬ顔でスポンジにボディソープを垂らすと大きな手のひらの中でぐしゃぐしゃと泡立てた。ラベンダーの甘い香りが浴室の湯気にふんわりと溶ける。

「はい、腕出して」

 その口調があまりに自信に満ちていたので思わず右腕を伸ばし、前腕にスポンジを押しつけられたところではじめて未生が手ずから尚人を洗おうとしていることに思い至った。

「いや、あの」

 焦って腕を引こうとするが、もう遅い。

「せっかく一緒に入るんだから洗ってやるよ」

 そのまま右腕、左腕、肩、首と未生はスポンジを滑らせていく。強からず弱からずの力加減で、その時点では特に怪しい動きはないのだが尚人は次に何が起こるのかで気が気ではない。しかも目の前には未生の裸。

 普段ならばキスをして触れられて頭がぼんやりしてきたところで、気づいたら尚人の服は脱がされ未生も裸になっている。こんなふうにまだほとんど何もしていない段階、尚人の意識がはっきりした状態で未生の裸体と向き合うことはない。もちろん尚人だって人並みの性欲を持つひとりの男だから、恋人の裸体を見ることはやぶさかではない。ただ――目をそらすのはわざとらしいし、凝視するのも恥ずかしすぎる。

 若者らしい艶のある肌、体を動かすアルバイトで鍛えられた引き締まった体。普段はしがみつき温度を感じるだけで精一杯のそれらが容赦なしに尚人の視覚を刺激する。ちらりと視線の端で捉えたその下にはまだ平常状態のままの性器。未生が尚人に触れることで、もしくは尚人が未生に触れることで、あれがどう形を変えて、どれほど熱く硬くなって尚人を高めるのか――知り尽くしているからこそ、想像せずにはいられない。

 やましい想像はダイレクトに体まで伝わり、未生の与える柔らかな刺激とともに尚人の肌を粟立てる。普段ならなんとも感じないスポンジと泡の感触が、首筋、そして耳の後ろに触れられる頃には身をよじるほどくすぐったく思えてきた。

「い、いいよ。自分でできるから」

「駄目だって。今日は尚人、俺に借りがあるだろ。たまには好きにさせろよ」

 ではなくだろうと言い返したいが余裕がない。そんな尚人の動揺の理由を見透かして、逃さないとばかりに未生は腕を握る手に力を入れる。

 左の首と耳裏から首の後ろを通り、右の首筋へ。まずは上半身から片付けていくと決めたのか、未生は几帳面すぎるほど丁寧に尚人の体をなぞっていく。そして鎖骨、その下は――。

 鎖骨に溜まった泡が自らの重みに耐えかねて肌を滑り落ちる。なんということないはずの刺激が胸の先を捉え尚人は小さく息を飲んだ。白い泡は一度胸を覆い、さらにそこから腹に向けて滑り出すと、薄く残ったあぶくの間から硬く勃ち上がった乳首が先端をのぞかせた。

 未生は何も言わない。ただじっと、赤い顔で体を硬くした尚人の胸の先を見つめ、それから尚人の両肩をつかむとぐいと体を裏返した。

「あ……」

「先に、背中」

 いつのまにか未生の声にも濡れた色が混ざりはじめている。と同時にはやる心を抑えるようなもどかしげな口ぶりだ。

 未生はさっきまでの丁寧さが嘘のように今度は乱暴にすら思える手つきで尚人の背中を擦りはじめた。だが、すでに肌に熱の灯りはじめた尚人にとっては、荒っぽい触れ方すら刺激にしかならない。肩に食い込む指先も、肩甲骨から背骨を滑るスポンジも、何もかもが愛撫のように感じられ、胸に続いて下半身が正直な反応を示しはじめることに気づいたときには、今の自分が未生に背を向けていることを幸いだと思った。

 実は浴室にはもともと鏡がかかっていた。しかし前の住人が何かぶつけてしまったのか、尚人がこの部屋の内見をしたときには鏡面を斜めに横切る大きなひびが入っていたのだ。費用は大家持ちで取り替えるとは言われたが、髭剃りや身支度は洗面台でする主義の尚人に風呂場の鏡は必要ない。危ないのでひび入りの鏡は撤去してもらいたいが、わざわざ代替品を入れる必要はないと告げた。

 あのときは将来的に未生と付き合うことになるとも、まさか風呂場でこんな行為に及ぶことがあろうとも思っていなかったが、なんにせよ鏡を外したのは正しい判断だった。

「尚人」

 背中を洗い終えた未生が尚人の名前を呼ぶ。腰から尻の上の方を滑らせて、スポンジはかろうじてまだ手に持ったままだが、すでに意識は体を洗うという当初の目的とは違う方向に向かいつつあるようだ。ぐいと後ろから抱き寄せられ、尚人の背中が未生の胸、腹に密着する。押しつけられたものはもう硬くなっていた。

「ちょ、いつの間に」

 さっき見たときは平常モードだったのに、あっというまにこんなにも育ったのか。見えなくたって、感触だけで「それ」がどのような状態なのかはわかる。未生の方がいくらか背が高いので、勃起したペニスは尚人の尾てい骨をぬるりとこする。くすぐったくて身をよじれば、今度はまるで尚人の側が欲しがっているような動きになってしまうのだ。

「いつの間に、って見てたんだ?」

「見てたんじゃなくて、向かい合ってたから嫌でも目に入るだけで」

 からかいの言葉に対する弁明は弱々しい。だって実際尚人は最初から未生のそこを気にしていたのだから。

 未生は小さく笑うと熱を帯びた吐息を耳に吹きかけながら尚人の腹の側に手を回し――ついにはスポンジを投げ捨てる。そして未生のものと同じくらい熱く硬く反り返った尚人の性器をやわらかく手のひらに包んだ。