第12話

「あ……」

 ボディソープのぬめりをまとった未生の手にゆるく握られて、尚人のそこは大きく脈打ち体積を増した。どうやら思っていた以上に自分の体はこの瞬間を待ちわびていたようだ。自覚することにより羞恥心が増し、羞恥心は更に肌を鋭敏にする。

「ほら、でかくなった。まんざらでもないくせに」

 指で作った輪で勃起した茎を上下に擦りながら未生はささやいた。弾む呼吸に、彼もまたこの日常でありながらも非日常的なシチュエーションにひどく興奮しているのだと知る。

「ん、だって未生くんの触り方が」

「普通だったって。一緒に風呂に入ろうとは思ったけど、風呂場でエッチするかは決めてなかったし」

 その言葉をどこまで信じれば良いものか。いや、信じようが信じまいが今となっては同じこと。こうなったが最後、尚人にできることは快感に身を委ねることだけなのだから。

 ゆるく扱く動きから、くびれた部分、そして先端へと移動しながら愛撫の動きは濃厚さを増す。湯やソープに先端からこぼれ流れる雫が混ざり、濡れた音と荒い息がバスルームに反響した。

「未生くんっ、やっぱりここじゃ」

 そう告げると同時に尚人の体は前方にゆらぐ。濡れた床――しかも安定性が高いとは言い難いプラスティックタイルの上で立ったままの行為なんて。ベッドで膝や腕をついていたって、いつも最後の方はふらふらになって倒れ込んでしまうのだ。柔らかいマットレスの上であるからこそ怪我をすることもないが、ここでバランスを崩そうものなら二人で洗い場にひっくり返ることは確実だ。それで尻や腰を打つくらいで済むならばましで、下手をすれば湯船の縁に頭をぶつけて救急車、といった展開にもなりかねない。

 だが、尚人がよろよろと逃げを打てば、狩猟本能が駆り立てられるのか未生はなおさらに強く腰を抱き寄せる

「大丈夫だってば。尚人と違って俺は若いしバイトで鍛えてるから、これくらいで転んだりしないって。どれだけふらふらになったって支えてやるよ」

 そう言いながら未生は尚人の上体を助け起こして裸の胸で体重を受け止める。同時に両脚を軽く開くよう後ろから膝をねじこんできた。

「……そう言って馬鹿にしてっ」

 思わず反論するものの、どう考えても正しいのは未生の方に決まっている。息苦しさから逃れるように尚人は顔を上げて後頭部を未生の肩に預けた。

「だって、普段は尚人に手玉にとられてばっかりだから、こういうときくらいは頼って欲しいんだよ」

 左手は尚人のペニスに触れたままで未生は右手の位置を変える。快楽に震える体をしっかりと抱きしめつつも、陰毛をくすぐり下腹部を撫でて、たどり着いた乳首をまずは爪先で弾いた。

「や、あ……ぅん」

 石鹸の泡のかすかな刺激だけで色づき尖っていた場所への激しい刺激に尚人は小さく叫び唇を噛む。思いどおりの反応に気を良くしたのか、未生は指の腹でそこをグリグリと押しつぶした。右、左、そして再び右。

 もちろん性器への愛撫も止まることはないし、同時に尻に強く押し当てられるものの熱と質量は体の内側から与えられるどうしようもない快感を生々しく思い出させる。その熱さをより近くで味わいたくて尻を後ろに突き出し、しかし前へのより強い刺激も恋しいから次の瞬間には腰を前に揺らす。

 手玉にとられてばかり、なんてこっちの台詞だ。彼が自覚しているかどうかはともかく、セックスもそれ以外もいつだって主導権を握っているのは未生だ。少なくとも尚人はそう信じている。

 未生はいつだってそうやって、無邪気に、わがままに、強引に――尚人を新しい世界に連れて行く。

 バスルームでセックスをすること自体は初めてではない。一度だけのそれは、ひどく苦く痛々しい記憶だ。あれは愛情でも欲望でもない、ただ互いを傷つけるだけの行為だった。

 浮気を疑った栄がスマートフォンの追跡機能を使い、未生との相引きを終えてホテルから出てきた尚人をつかまえた。風呂場に押し込め、冷水を浴びせながら汚いとなじるあいだ、栄の声が絶望に震えていたことを覚えている。

 さらに服を脱ぐよう命じられ、洗い場の床に四つん這いになったところで後ろから犯された。乱暴な行為にも関わらず尚人の体は淫らに反応し、その事実なおさらに栄を傷つけた。栄はそんな尚人の姿を知らなかったし、きっと望んでもいなかった。

 待ち伏せされてコーヒーショップで話をしたときに、首筋に散る大量の口付けや噛み跡を見られたから、あの時期の栄と尚人の間でどのようなやりとりがあったかについては未生もある程度は気付いているのだと思う。でも、再会して以降の未生はあえてその頃のことを蒸し返そうとはしないし、尚人としても具体的な話をするつもりはない。

 それでも今この瞬間に、未生に抱きしめられ未生の吐息を感じながらふとあの日の栄を思い出してしまうことに後ろめたさを感じ、尚人は余計な考えを振り払うように首を振った。

 髪型や服の趣味にささやかな痕跡を見つけては未生は何かと栄に嫉妬する。今の自分を形作ったのは栄――尚人はそれを否定しない。だが、栄が尚人の不実を疑い、久しぶりに抱いた尚人の反応にあんなにも激しい反応を見せたのは、尚人の中に未生の痕跡を見出したからだ。

 栄は確かに尚人を変えた。人目を気にしてうつむいてばかりだった尚人の手を取り、家族から離れ都会で生きていく手ほどきをしてくれた。でも本人がどれほど自覚しているかはわからないが、未生だって尚人を変えたのだ。恋人としての関係が行き詰まっていることを知りつつ栄の手を離して生きる方法を知らなかった尚人に、別の世界の存在を教えてくれたのは未生だった。

 誰かに依存しなくても、他人の好みや理想に合わせて必死に自分を抑え込まなくても生きていくことはできると知ったのは、未生に出会ったからだ。そして実際に、尚人がときに怒りや苛立ちをあらわにし、わがままや狡さをさらけだしても未生は決して突き放したりはしない。こんなみっともない格好をして、淫らに腰を揺らして欲しがったって、それは恥ずかしいことではないと言ってくれる。欲しいものをねだれば喜んで与えてくれる――。

「未生くん……」

 唇からこぼれた恋人の名は驚くほど甘い。それでも足りないから尚人は不器用に腕を伸ばして未生の首をぐいと引き寄せる。ぎりぎり触れ合う唇がもどかしくて口を開けて、舌を伸ばして、もっと味わいたいと訴える。

「尚人?」

 いつもにも増して積極的な姿に一瞬だけ目を見開いた未生だが、表情はすぐに満足げな笑みへと変わった。

 体を裏返して噛みつくようにキス。欲しくて欲しくてたまらなかった未生の唇、舌の感触、唾液の味。貪りながら尚人は正面から抱き合った未生に自らの欲望を押し付けた。ぬるぬると触れ合って擦れる欲望。それでもまだまだ足りない。だからその手を取って背後に導く。

 まだ触れられていない尻の狭間だが、欲望に震えているのはわかる。

「こっちもして欲しいんだ?」

 指先が縁を撫でるだけで全身がおののいた。尚人が小さくうなずくと未生は確かめるように窪みを指一本の先端で押す。

「んっ、あ」

 未生の太い中指を第一関節まで飲み込んだそこはひくひくと収縮してその先をねだる。浅い場所にある感じるポイントに触れて欲しくて再び腰を揺らしはじめる尚人に未生は甘く囁く。

「本当だ、自分で欲しがって飲み込んでる」

「そういうの……っ」

 恥ずかしいから言わないで欲しい。いや、嘘。恥ずかしいことをするのも、言われるのも、相手が未生であれば本当は嫌なんかじゃない。それに未生は、尚人がどれほどいやらしく欲望をあらわにしてもいいのだと、ちゃんと責任をとると断言したのだ。

 いつになく積極的な尚人に未生も高まってきたようで、指の動きは性急になり本数は増やされる。三本目が馴染んだとみるや、未生は再び尚人の体を裏返すとバスルームの壁面、比較的滑りにくいあたりに両手をついて尻を後ろへ突き出すように誘った。

 ずるりと指が抜き出され、喪失感はほんの一瞬。腰をぐいとつかまれて、次の刹那には尚人の体に未生の先端が押し込まれていた。