第13話

「あぁ……」

 指とは違う、圧倒的に太くて熱くてなめらかなものに押し開かれる感覚に尚人は深く息を吐く。とめどない欲望を不安に思うくらいに毎週末に長い時間をかけて抱き合って、それこそ未生のすら体で覚えてしまったつもりでいた。しかしベッドの中で向かい合ったりうつぶせたり、ときに上になることを求められることはあれど、立ったまま繋がるのは初めてだ。

 心配はいらない、支えてやる。そう力強く言いはしたものの、未生もまた足場の悪さは自覚しているのだろう。柄にもなく用心深い動きで一度に奥まで入ってこようとはしない。少しでも体を安定させようと壁にすがる尚人の指先は壁を滑り、しかし不安で頼りない体勢に、普段とは違う興奮を感じてしまうのはなぜだろうか。

 ごく浅い場所にぬるつく先端だけを含まされて尚人はもどかしさに唇を噛む。未生によってすっかり開発された奥の敏感な場所はおろか、これではまだ前立腺にも届かない。

「尚人、脚もうちょっと開いて」

 そう言われて足先を移動させると、さらに尻を突き出すかたちになる。同時に未生のペニスが音を立てて奥へと進み、ぬるぬると抽送を大きくする。

「……なんか、変っ」

「変って? 何が?」

「だってこれ、いつもと違う……」

 普段とは違う体位ゆえにこれまで経験したことのない角度で内側を擦られる感覚を、尚人はうまく言葉にすることはできない。慣れたやり方であれば、どう動けば感じる場所を刺激してもらえるのかはわかっている。今は思うようにいかないから物足りなく感じる反面、続ければこれまでに知らない未知の快楽が見えるのではないかという予感に下肢が震える。

「立ってヤるのも、気に入った?」

 熱っぽい笑いを含んだ問いかけを合図に動きが激しくなった。余裕のふりで尚人のことをからかいながら、未体験のやり方にひどく興奮しているのは未生だってきっと同じなのだ。

 再会直後は栄への対抗心からか「生でやりたい」などわがままを言っていた未生だが、野望を遂げて気が済んだのか、それとも尚人の負担を気にしてか、最近のセックスではきちんとコンドームをつけていた。だが久しぶりに粘膜どうしを直接触れ合わせれば、たったゼロコンマ数ミリのものであろうと隔てるものがあるとないとでは大違いであると思い知る。

 熱が高まり、体に続いて思考もとろけはじめる中、尚人はただうわ言のようにつぶやく。

「んっ、あ、あ……や、どうしよ……こんな……」

「俺もやばい……生で立ちバックでするの、癖になりそう」

 陰嚢を尚人の尻に叩きつけように腰をピストンさせていた未生は、まだ足りないとでも言いたげに突然腕を伸ばしてくる。ただでさえ激しい行為に、両脚を突っ張って堪えていた尚人だが、ぐいと膝裏に手を入れた状態で大きく左足を持ち上げられてさすがに悲鳴をあげた。

「……ひ、あっ!」

 今にも倒れそうな体勢が怖い。それ以上に……片足を持ち上げたことで未生がさらに尚人に密着して、熱い先端が信じられないほど奥に届いていることが怖い。抱かれるたびにもうこれ以上はないだろうと思うのに、いつだって未生は軽々と限界を超えていく。

「こんなの、やりすぎだよ」

 そう言った尚人の耳たぶを軽く噛むのは、否定的なセリフへの未生なりのお仕置きのつもりなのだろうか。

「気に入ったなら、毎週だってすればいいだろ」

 そう言う未生は平気なのだろうか。これだけ甘ったるく熱っぽく情熱的な時間を過ごしても、また日曜日の夕方が来て自分のアパートに戻れば、未生は完全に気持ちを切り替えることができるのだろうか。

 未生にとってこの部屋は週末だけの非日常なのかもしれない。でも尚人は未生が帰ってしまった後も、その面影やにおいや気配の残る部屋でひとりまた月曜日から金曜日までの長い時間を過ごさないといけない。すでに洗濯と乾燥を終えてにおいなど残っていないはずなのに、恋人の温度や吐息を思い出してベッドに顔を埋めるせつなさ。それだけでもいっぱいいっぱいなのに。

「だって、お風呂でこんな……どうするんだよ、思い出したらっ」

 ぐりぐりと奥をえぐられて、尚人は半泣きで訴えた。未生がいない日々も毎日このバスルームを使わなければいけない尚人は、きっとそのたび思い出してしまう。そうしたら、きっと。

「いいな、すっげえ興奮する」

 恨み言に対して嬉しそうに返しながら、みっしりと尚人の内部を埋めた未生のそれは硬さを増して痙攣し、絶頂が近いことを知らせる。同時に未生は尚人の脚のあいだで健気に震えている勃起に指を絡めた。

「俺も、尚人が風呂場で今日のエッチのこと思い出してオナニーしてるとこ想像して、ひとりでやっちゃいそう」

 どうやってするの? 前だけ? それとも後ろも? 切羽詰まったかすれた声で煽られて、片足だけで立っている辛さも忘れて尚人は腰を揺らした。

「未生くん、いくっ……もう、いくから……」

 明日から何を想像して、どんな恥ずかしい気持ちでどんなに淫らに自分を慰める羽目になるのかはわからない。でも、少なくとも今ここにいる、尚人の中にいる未生は妄想でも回想でもない。だから肌も熱も何もかもを味わい尽くす。

 言葉にしなくとも尚人が何を望んでいるかは伝わっている。未生はぐっと尚人の腰を引き寄せると腹の最奥に熱く濃いものを放ち、一瞬遅れて尚人もまた達した。

 動きを止めると、バスルームに響くのはふたりの荒い息遣いだけ。本当ならば呼吸が落ち着くまではそのままじっとしていたいところだが、正気に戻れば途端に体重を支えている右脚ががくがくと震えだす。

「えっ、これ……」

 少し冷静さを取り戻した頭で今の自分の体勢を省みて尚人は青くなる。片脚を大きく上げて、尻には未生を受け入れたまま。ぎりぎりのバランスでなんとか転倒することなしに持ち堪えているが、果たしてどうやって体を離せば良いのだろうか。

「えっと……尚人。右脚もうちょっと踏ん張れる?」

 まるでバランスゲームの次の一手を考えているかのように、未生も真顔で繋がったままの体を眺めた。尚人が右脚に力を入れて、その間に未生がペニスを抜き去ると言うのは確かに現実的だが、いかんせん尚人には体力がない。

「……む、無理。脚がもう限界」

 生まれたての小鹿のようにがくがくと震える右脚は、ほんの少し体勢を変えれば崩れ落ちてしまいそうだ。かといって永遠に未生のものを咥え込んでいるというのは問題外で――解決方法は見えず、そうしている間にもどんどん右脚は限界に近づく。だが尚人がいよいよ膝から崩れそうになったところで、未生は力技にうってでた。

「――あ、やっ」

 もう転ぶしかない、と思ったそのとき尚人の体は宙に浮く。と同時に内側を埋めるものがずるりと出て行った。硬さはずいぶん失われているもののまだ一定の質量を保っているもので内側を擦られ、しかも同時に中に放たれた精液までもが重力に負けてどろりとまだ敏感な粘膜を伝う。

 突然のことに何が起こったのかわからず、これは床に叩きつけられる寸前であるに違いないと尚人はぎゅっと目を閉じる。が、数秒経っても覚悟したような衝撃は訪れなかった。代わりに包み込んでくるのは未生の体温。

「……え?」

 おそるおそる顔を上げて、自分が未生の腕に抱えられていわゆる「お姫様抱っこ」と呼ばれる状態にあることを悟った瞬間、真っ青だった尚人の顔はすぐに真っ赤になった。

「み、未生くん何してるんだよ。離して……」

 キスもセックスもして甘い言葉で睦み合いもする恋人同士ではあるが、これは果たして。尚人は自身が比較的「男らしさ」とか「男のプライド」のようなものにとらわれないタイプだと自認している。男相手に抱かれることにも違和感はなく、抱く側に回りたいという欲を感じたこともない。しかしそれでも、さすがにこの状態には抵抗がある。

 だが反射的に腕を突っ張る尚人を未生は厳しい顔で諫めた。

「おい暴れんなよ、落としたら怪我するだろ。ゆっくり床に下ろすから」

「いや、でも」

「だって右脚ガクガクで立てないんだからしかたないじゃん」

 返す言葉もない尚人は、先日ネットで見かけた「初心者向け、自宅でできる筋トレ」を必ずや明日からの日課にしようと心に決めたのだった。