逃げようとしてバランスを崩した体は再びベッドに崩れ落ちる。かわいそうではあるが羽多野にとっては都合がいい。
「この、嘘つき……」
罵りの言葉は無視して淡い褐色の乳輪を尖らせた舌でなぞると栄は面白いように震える。快楽を逃がそうと背を浮かせばそのまま腰を突き出す体勢になるから結局は羽多野を煽ることにしかならないのに、どこまで理解しているのだろうか。
「縛ってはいないよ。君が暴れるから、うまく服を脱がせられなかっただけで」
周辺からじわじわと攻めていると、栄がたまらない様子で体をよじった拍子に乳首が唇に触れる。そのまま舌で舐めて吸い上げながら反対側の先端は指でくりくりとつまみ上げた。
「あ……あ、っ」
乳首が肥大しようがしまいが、プール通いはできればやめさせたい。同性に性的魅力を感じるのは少数派だとわかってはいるが、それでもなにが起こるかわからないではないか。なんせ今こうしている自分たちだって、出会った当初は犬猿の仲だったのだから。
しかも羽多野からこれだけの目に遭わされておきながらも栄の自認はあくまで「自分は組み伏せる側の人間」から揺るがない。天高くそびえるプライドゆえ、自身が他人の欲望の対象にされる可能性を決して認めようとはしないのだ。だからこそ生まれる無防備さはたまらなく情欲をそそるが、向ける相手は羽多野限定にして欲しい。
彼がこの体を惜しげもなく他人の前に晒している場面、というか紛れもない現実を想像すると腹の奥がぐっと熱くなる。思わず羽多野は触れている肌に歯を立てた。
「あっ……痛っ」
これまで歯を立てるのはまずいという自制心は働かせていたつもりだが、そんなちっぽけな理性も不穏な妄想の前には脆い。そして、ひとつ噛み跡を残せばあとはどんな印をいくつ付けたところで同じだ。続けて唇を滑らせると鎖骨のあたりを強く吸い上げた。
「も、やだって……泳げないのは、困る……」
思考がとろけて論理的な抗議ができなくなりつつあるからか、栄は吐息のあいまに、うわごとのように泳げなくなることへの不満だけをつぶやき続けた。
「しつこいな、だったらいつかのでっかい青あざはどうなんだ」
「あれは……そんな」
かつて栄が剣道の稽古で負った大きな打ち身。どこぞの馬の骨がつけたあれが許されるのに自分の行為が許されないはずがない。抵抗できなくなった体を心ゆくまでなぶって、それこそ「とても他人には晒せないような」体になったところで羽多野はようやく唇を離した。
栄の下半身に目をやると反り返ったペニスの先から粘り気のある透明な液体が痙攣する腹にぱたぱたと滴を落としている。かつてEDに悩んだというのが嘘のようであると同時に、自分が彼をここまで快楽に溺れさせているのだという優越感もくすぐられた。
「腕、取って。しびれた……」
羽多野が上体を起こすと、栄は苦しげに喘ぎながら体を横に向けた。男二人の体重の下敷きになっていたのだから両腕が痺れるのは無理もない。手を伸ばして栄を抱き起こし、腕に巻きついたままのスウェットを外してやる。
今度は殴られるか、引っ叩かれるか。覚悟をしたが意外にも自由を取り戻した栄は暴力には訴えなかった。羽多野の肩にこつんと額をぶつけて、息を吐く。
「羽多野さんって、本当に。……たまには普通にできないんですか?」
咎める声すら弱々しい。
「普通って? キスして、体に触って、ごく当たり前のセックスだと思うけど」
羽多野が首を傾げると、栄はまだだらんと力の入らない両腕を目の前に掲げて、これのどこが普通なのだと不満を訴えた。
「縛ったり、変なところ触らせたり、舐めたり噛んだり……」
確かに縛るのはちょっとはやり過ぎかもしれないが、異常というほどではない。前回栄自身に指でほぐさせたのは怪我をさせないための緊急避難だし、舐めたり噛んだりだって珍しくはない。だが同じことを過去の相手にやっていたかというと、そういうわけではなく――。
「君だから、やりたくなるんだって」
そう言って、すっかり裸になった体を抱き寄せて新しく首筋に印を付けようとすると、さすがに今度は強い力で阻まれた。ワイシャツで隠せない場所はどうしても譲れないらしい。
いつのまにか――というか服を剥いだのは紛れもない羽多野なのだが――全裸になった栄を抱き寄せつつ、暑さを感じて着ていた部屋着を脱ぎ捨てる。恋人の痴態を堪能して下半身もすっかり窮屈だ。上に続いてズボンも脱ごうとすると栄は気まずそうに目を逸らす。
「……まだ慣れない?」
文明の衝突だとかなんだとか言って、前回の栄は羽多野のビキニブリーフ、そしてアンダーヘアの処理への不満を申し立てた。
確かに一般的な日本人男性の多数はアンダーヘアの処理などしないし、ボクサータイプのブリーフもしくはトランクスを愛用しているらしいという認識はある。だが、こちらにはこちらのライフスタイルがあるのだ。
確かに表面積こそ控えめではあるが、今履いているものも白いウエストゴムに本体は黒、決して派手な色柄ではない。それこそ栄の大好きなジムのプールに行けばこのくらいの水着で泳いでいる男はいくらだっているはずだ。
「責めてるわけじゃなくて、ただやっぱり見慣れないっていうか」
シモの事情についてはさすがに物申しにくいのか、栄はもごもごと言い訳を紡ぐ。だが羽多野からすれば、せっかくまめな運動で美しい体型を保っているのにわざわざ無個性なボクサーで尻や腿を隠すほうがもったいない。
「だったら慣れるために自分も履いてみたらいいのに」
ほどよい筋肉に覆われた美しい臀部をじろじろと眺めると、栄は恥ずかしそうに腰を揺らした。
「俺はそういうの嫌だって、前にも言ったでしょう」
確かに一度は断られた。あのとき栄は着替えを持っていなかったので、セックスのあとの風呂上りには羽多野の部屋着を貸してやった。そのとき新品の下着も添えてやったのだ。もちろんそれは自分用の買い置きなので表面積少なめのビキニブリーフで、色は赤だったか青だったか。しかしせっかくの配慮を栄は無視した。
「そういえば、せっかく置いておいてやったのに履いてなかったよな、あの日も。まあノーパンもエロかったけど……」
そう、風呂から上がってきた栄は、よほどビキニブリーフがお気に召さなかったのか、スウェットの下には何も身につけていなかった。あえて言及はしなかったがもちろん羽多野はそのことを察していた。
「え、気づいて……」
「当たり前だろ。ノーパンで寝て、朝もそのままウロウロしてるんだから」
ノーパンを連呼されて栄は顔を赤くする。
「そんな、人を変態みたいに言わないでください。別に裸でうろうろしていたわけじゃなく、ちゃんとスウェットは履いてました」
「でもさ、ホールドされてないから柔らかい生地越しじゃ、わかっちゃうんだよな。っていうかさ……」
そこで羽多野はおもむろに栄の下半身に手を伸ばす。勃起して濡れたままのペニスをかすめた指でその奥の隠毛に触れるとにやりと笑った。
「谷口くん、この間よりちょっと深い位置まで剃っただろう」
「……っ!」
目にした瞬間もしやと思いつつ確信が持てずにいたが、この動揺を見る限り答えは「正解」。気をよくした羽多野は臍の下、ペニスに近い位置にある素肌と陰毛の境目を指でくすぐった。
「何だかんだ言って、俺の話に興味あったんじゃないの?」
羽多野自身はアメリカで大学時代を過ごしたこともあり、さすがにハイジーナとまではいかないまでも、アンダーヘアをかなり狭い範囲までトリミングしている。快適だからと勧めたところものすごい勢いで断られたが、実のところ気にしていたのか栄のそこも前よりも少しだけ面積が減り、短くなっている。
「……違います、ただ手入れのタイミングが」
「ふうん、それはそれで嬉しいな。俺とセックスするために手入れしたってことだろ」
可愛くない文句ばかり言い募りながら、栄も「お預け」を解除するタイミングを測っていたのだと思うと微笑ましいではないか。羽多野は自身の勃起に栄の手のひらを導きながら、いつか絶対にこの男の下半身をつるつるに剃って、常識人の彼が触れたこともないようないやらしい下着を履かせてやろうと新たな野望を抱いた。
子どもみたいに無毛にしたらどれほど恥ずかしがって、どれほどの屈辱に悶えるだろう。想像しただけでひときわ勃起は硬さを増した。

