第10話

 核心を避けるかたちで敏感な場所ばかりを撫でられて、おそらくは無意識の仕草で栄が羽多野の腕に爪を立てる。高められたままで放置されてそろそろ苦しさを感じているのかもしれない。

「一回、出しておく?」

「それで終わってくれますか?」

 挑発的な言葉に羽多野は首を振る。もちろんそんな気はさらさらない。

 とはいえ栄の言い分にも一聴の価値はあった。なんせ挿入をともなうセックスはまだ二度目。むやみに射精させていわゆる「賢者タイム」に入ってしまい、やっぱり嫌だと翻意されては困る。

「じゃあ、まだやめておこう」

 せめて彼の中に自身を埋めてからだ――そう決めた羽多野は先を急ぐため栄のペニスのぬめりを指先にとる。すると思惑に気づいたのか栄がもぞもぞと体をベッドの端に寄せようとした。ここに至ってまだ逃げる気かと警戒するが、彼が手を伸ばしたのはサイドテーブルについている小さな引き出しだった。

「……これを」

 視線をそらしながら差し出されたのは箱に入ったコンドームと小さなローションのボトル。もちろん開封された形跡のない新品だ。

「何だ、もったいぶった割に、やっぱり君だってやる気だったんじゃないか」

「それは……俺が何を言っても、どうせ羽多野さんは」

 いったいどのタイミングで買ってきたのかはわからないが、ともかく栄が本人なりの覚悟を固めていたのは確からしい。

「しかし俺も信用がないな。こっちだって何も準備してないわけじゃないのに」

 脱ぎ捨てたスウェットのポケットから羽多野はゴソゴソと個包装のコンドームを二つ取り出して見せた。ローションは失念、というか前回のように体液と舌を使えばいいと思っていたのだが怒られそうなので黙っておくことにする。

「でもまあ二個じゃ心許なかったから、これだけあれば気兼ねなく……」

 そう言いながら手渡された箱のフィルム包装を剥がしていると、栄は信じられないと言いたげな目で羽多野をにらみつけた。

「はぁ? 何言ってるんですか?」

「そんな怖い顔するなよ、冗談だって」

 もちろん本当に「冗談」で終わるかはこの先の展開次第ではあるのだが――。

 手のひらでどろりとしたローションを温めてから背後に手を回して再び尻のはざまに指先を進める。抱きしめた体に緊張が走るから、空いている左手で裸の体を撫でつつ勃起したもの同士が触れ合うように腰を押し付けた。

 さすがに潤滑剤を使っているだけあって中指の第一関節まではほとんど抵抗もなくつるりと中に入る。そこからは指先を軽く動かしながら埋めていった。

「ゆっくり息を吐いて」

「ん……」

 栄は羽多野の肩に頭を預け、ぎゅっと目を閉じている。怖いのか、それとも緊張しているときの癖なのか眉間にぎゅっと寄った皺が痛ましくも可愛らしい。少しでも気をそらしてやろうとこめかみにキスを落とす。

「あ……」

 何度かローションを足しながら、第二関節まで。そして指を二本に増やす。きつく指を食い締めていたそこも、じわじわと指を動かし拡げる動きを続けるうちに緩んできた。

「ほら上手だ。柔らかくなってきた。どう? 自分でするのとは違う?」

「そんなこと、わかんな……っ!」

 くいっと指先を丸めるようにして前立腺を刺激してやると、羽多野の下腹部に触れる栄のペニスがびくんと硬さを増した。恥ずかしそうに栄が自ら中を弄るところを見るのは眼福だったが、こうして直接指で反応を見ながら体を拓いていくのも格別だ。敏感な場所を指の腹で擦れば面白いように腕の中の体が跳ねて、羽多野の腹に濡れた感触が広がる。

 プライドの高い栄は自分の体や快楽を他人にコントロールされるのを恥ずかしいことだと思っている。だが彼がそれ以上に他人の評価に弱いことも羽多野はよく知っている。

 なんせ友人や同僚たちに人格者だと思われるためだけにいつだってお上品な笑顔を取り繕い、職場での評価を得るためだけに身をすり減らして仕事に没頭してきたのだ。――いや、高慢さすらきっと、ご自慢の出自を裏切ることはできないという家族や親類への責任感の裏返しなのだろう。

「悪いけど、俺は利用できるものはなんだって利用するから」

「え? 何……?」

 不穏なつぶやきは快楽に浮かれた栄の耳には届かない。何でもないよ、と告げて羽多野は指をさらに奥に進めた。

 本当は一度で病みつきにさせるつもりだったのに、一ヶ月もお預けさせるだけの余裕を与えたのは誤算だし、羽多野にとっては悔やむべきことだ。二度目の失敗は許されないから、決して痛みを与えないために用心深すぎるほど準備をする。結局、先に我慢できなくなったのは栄だった。

「やっぱり、出したい」

 耳元に訴えかける声には切実さが滲む。栄は腰をじりじりと動かして羽多野の腹にペニスを擦り付けた。のぞき込むとそこは我慢できているのが不思議なくらいに張り詰めている。しかしここまで我慢しておきながらいまさら「先に」と言われたって素直にうなずけない。

「ちょっと待って」

 羽多野はずるりと栄の中から指を抜くと、腰を持ち上げてベッドの上にうつぶせに膝をつかせた。向かい合ったままだと勝手に腹にこすりつけて射精しかねない。それはそれで魅力的な光景だが、今日はこちらが責任を持って最後までお世話すると約束した。一度決めたことを覆すのは趣味ではない。

「も、痛いんだって」

 初めてこのベッドの上で触れたとき、四つん這いに組み伏せられたことに栄は激怒した。しかし今はそんな余裕すらないかのように救いを求めて荒い息を吐いている。射精をこらえているときの痛みは羽多野にも理解できた。

「だから、もうちょっとだけ。谷口くんは我慢強いから大丈夫」

 そう言いながら高く腰をあげさせて、横から栄の腹の下に手を伸ばす。下手に触ってさせては困る。きゅっと根元を握ると恋人は低い悲鳴をあげた。

「何して……っ、離せよ」

「だって手を離したら君、ひとりでイっちゃうだろ。満足したからもういらないって言われたら困る」

「言わない、言わないから」

 そうあやしながら栄のものに負けないくらい硬くなった自分のものを、指での愛撫の名残にひくつく場所に押し付けた。

「……っ」

 紅く染まった襞が質量に押し伸ばされる。ゆっくりと、焦らずに。深呼吸するようにゆっくりと呼吸をしながら腰を進める。栄も前回の経験に学んでいるのか、衝撃を避けるため大きく息を吐き余計な力を抜こうとする。

「上手だ」

 先端の太い部分を飲み込んで伸びきった襞。ここまで入れば大丈夫だ。軽く腰を動かして、指で覚えた感じる場所を粘膜で擦る。と同時に栄のペニスを戒めていた左手を離した。

 前立腺への刺激、手を離したこと、それと同時に我慢できず腰を叩きつけてしまったこと、どれが決定的な要因かはわからない。「ああっ」と鋭い悲鳴をあげて次の瞬間、栄が背中をのけぞらせる。と同時に体がびくびくと震え、射精したのだとわかった。

「……はぁ」

 前回は正面から抱き合ったが、薄くきれいな筋肉に覆われた背中が快楽のあまり猫のように伸びるのを見るのもまたいいものだ。羽多野はより深く、根元まで自身を埋めるために腕をついて後ろから体ごと栄を包み込む。と同時に左手を伸ばして射精直後の柔らかくなった性器の感触を楽しむように軽く揉みしだいてから、シーツにこぼれた白濁をすくった。

 はじめて男と寝たとき、もしかしたら目的はセックスそのものよりを見てみたいという興味だったかもしれない。何年もかけて、数え切れないほどの検査を繰り返したにも関わらず羽多野はまだ心のどこかで自分の肉体の問題を認めきれていなかった。だって健康状態には一切問題ないし、普通に勃起もすれば射精もする。だから、本当に自分のは人と違うのか、一度この目で確かめたかったのだ。

 手の中に出された他人の精液は一見自分のものと変わらなかった。色だって、粘り気だって誤差程度の違いしかないし、量に至っては羽多野の方が多いくらいだ。何が違うのかとむきになって口に運び、比べてみたくて自分の精液もひと舐めしたら相手の男から性癖を疑われたのは今でこそ笑い話だが、当時は必死だったのだ。

「よく我慢したな、えらいよ」

 栄の耳にキスをして、白く濡れた指を一度栄に見せつけてから口に運ぶ。いつもと同じ、自分のものとも、他の男のものともほとんど変わらない青くさいえぐみのある味――そのはずなのに、なぜだか他の誰のものとも違う甘さに舌が痺れる。

「また、あなたはそんなこと……」

 目の前で出したばかりの精液を舐められたことを、栄は一応は咎めてみせる。でもその口調にかつてのような鋭さも嫌悪もないのは、きっと彼が羽多野の癖の奥にあるものに勘付いているからだ。まったく、セックスの話には驚くほど鈍感なのに、なぜこういうことには鋭いのだろうか。

「俺を哀れんでいるのか?」

 問いかけると、短い沈黙。同情されることを嫌う彼は、素直に哀れみを口にすることができないのだろう。

 でも羽多野は栄とは違う。同情だろうが哀れみだろうが、それを理由に栄が自分から離れられなくなるならば望むところだ。

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