栄は何も言わなかった。というよりはきっと、どう返事をすれば良いかわからなかったのだろう。そもそも羽多野自身も答えを求めて問いかけたわけではない。
覆いかぶさったままの体を揺らし奥まで進む。前回は余裕なくひたすらに貪るだけだったが、今日はゆっくりとこの体を味わいたい気分だ。すぐに終わってしまうのはもったいないから、意識してペースをゆるやかに保った。
「……っ」
深い場所を擦られた栄が声をあげる。射精して一度は温度を下げかけた腕の中の体も熱を取り戻しつつあるようだ。
「どう、後ろからは」
「こ、こんな品のない格好、嫌です……」
案の定の反応だ。後ろからなんて、まるで動物の交尾みたいな――お上品な彼だからそんなことを思っているのかもしれない。羞恥もしくは屈辱に染まる顔を見ることができないのは残念だと我ながら下卑たことを考えながら腰をぐっと押し付けると同時に栄の上体は崩れ落ちた。
シーツに額を押し付けて、快楽を逃すようにぎゅっとシーツを握りしめる手の甲に浮かぶ血管すら色っぽい。誘われるように上から手を重ねようとするが、するりと逃げられた。追いかけて上からぎゅっと手を握る、というよりは押さえつけた。
「手は」と、表情が見えないまま栄がふいに声を震わせる。
羽多野を包み込む内側がとろけるように熱いのとは対照的に、汗をかいているせいか栄の指先はほんのり冷たい。
「手が、どうしたんだ?」
汗ばんだ後頭部に口付けながら問いかけると、栄は嫌々と首を振りながら羽多野の手を振り解こうともがいた。
「……手を握るのは、好きじゃない」
奥までみっちり埋められて、揺らされて、快感を得ているのは確かなのに今度は手に触れられるのが嫌だという。相変わらずの気難しさに呆れつつも、訴える声があまりに悲壮だったので羽多野は手を離し、次の瞬間栄の中から自らのものを一気に抜き去った。
「――あっ!」
そのまま腕の下の体をひっくり返すが、栄は泣いているわけではなかった。やっぱりただの気まぐれなのか、それとも。しかしそんな考えも毎度の駄目出しにさえぎられて消える。
「……急に動くのはやめてください」
「まだ文句か? 後ろからやられるのは嫌だって言ったのは自分だろ?」
「だからって……」
「俺はどっちだっていいんだ。君を四つん這いにさせるのも楽しいし、こうやって全部見えるのもいい」
そう言って仰向けになった体を見下ろすと、栄は気まずそうに腕で顔を隠した。自分から見えなければ相手からも見えていないと信じ込んで、かくれんぼで顔を隠す幼児を思い出して、羽多野は薄く笑った。
ベッドサイドの間接照明は十分とはいえないが、遮光カーテンを閉じた薄暗い部屋よりはましだ。改めて眺めると栄の裸体は、生まれ持ったバランスに加え几帳面で神経質な彼の自己管理のおかげで見惚れるほど美しい。正月太りだなんだと言っていたが、その後ロンドンに戻ってからしっかり節制していたのかもしれない。
「今度はもっと明るいところでやろうか。せっかくの綺麗な体が、ちゃんと見えない」
「絶っ……対に嫌です」
ナルシストの癖に、せっかく整えた体を見られるのが嫌だなんて絶対に嘘だ。
「谷口くんの『嫌』は当てにならないな。特にベッドの中では」
栄の脚を持ち上げて、まずはくるぶしにキス。それから膝が腹につくように深く折りたたみながら閉じきっていない後孔に再び挿入する。後ろからマウンティングスタイルで抱くのも征服欲を駆り立てるが、やはり自分はこの男の顔を見ながら貫く方が好きなのかもしれない。
欲望のままに深くえぐり、腰を引いてはまた押し込む。荒いけれども規則正しい自分の息遣いに栄の小さな喘ぎ声が重なる。抽送を繰り返すうちにどこが感じる場所で、どうすれば筋肉や骨格が薄く浮き出た腹をひくつかせるのかもわかってくる。
「や……あ、ああっ」
唇を噛みしめては堪え切れず甘い声を漏らし、ときに快感を逃す場所が見つからないことに焦れるように脚をばたつかせる。きっちりと身なりを整えた普段の姿が嘘のように髪を振り乱して、まなじりに悦びの涙を浮かべ、ときに飲み込み切れない唾液が唇を伝った。
気づけば再び栄のペニスは硬く上を向いている。口で愛撫しながら味わいたい気持ちはあるが、そのためには結合を抜かなければいけないから躊躇する。思わず動きを止めると、栄のかかとが羽多野の脇腹を蹴った。
「痛てっ……蹴るなよ」
顔を上げると栄は顔を赤くして羽多野をにらみつけている。
「……もう、そろそろ羽多野さんも……」
弱々しい声にようやく真意を知る。二度目の絶頂が近く、そろそろ体力の限界も見えてきた栄は羽多野にも果てるよう要求しているのだ。
「一緒にいきたい?」
「そういうわけじゃなくて、でも」
顔を赤くして口ごもる姿を見ればいじめたくなる。羽多野は自分のものを根元まで飲み込んだ栄の腹をそっとさすりながらわざと余裕を見せる。
「だったらもう少し楽しませてくれよ。今晩まで一ヶ月も待たされたんだから、次に君の気が向くまでまたどれだけかかるかわからない」
これくらいプレッシャーをかけておけば今後は少しは回数を増やしてもらえるだろうという打算だったが、どうやら栄には逆効果だったらしい。
「……そ、そんなこと言ってあなた、やっぱり遅漏なんじゃないですか」
辛辣な言葉はぐさりと羽多野のプライドを傷つけた。
若い頃から夜の生活は強い方だったし、衰えを感じたこともない。だが、そろそろ四十が見えてきた昨今――しかも年下と付き合うとなれば体力精力についてまったく気にならないわけでもなく――。
いや、違う。断じて違う。長く楽しむために今日はあえてペースを落としていて、さらに言うならば酒もけっこう飲んでいる。普段の自分を思えば若い頃と持久力はほとんど変わっていないはずだ。
「人聞きが悪いことを言うなよ、俺は遅いんじゃなくて、耐久力があるんだ」
「ものは言いようってやつですか?」
栄は羽多野の顔を見上げてふふんと鼻で笑った。見る限りは切羽詰まった状態であるはずなのに、これも彼のプライドゆえか、もしくは一度達したあとの余裕なのか。
もちろん黙っていられる羽多野ではない。
「違う、比較対照の問題だ。もし谷口くんから見て俺が遅いように見えるなら、それは君が早すぎるってことだろう?」
「は? ふざけるなよ! 誰がっ」
人を遅漏だと罵るくせに、自分が早漏だと言われれば怒る。いいだろう、そんなに疑うならば身を以てこちらの体力を思い知らせてやろうじゃないか。羽多野は栄の腰をつかんで思いきり引き寄せた。
「……あ、あっ……」
こうしてやれば余計なお喋りはできなくなる。
ここまで優しくしてやっていること自体、少しは感謝されてもいいはずだ。待てをさせられている犬みたいに一ヶ月もご機嫌を伺い続け、前回は強引すぎたと反省た今日は栄のお好みに沿ったお上品なセックスを心がけている。舐めるなとうるさいから口での愛撫は最低限だし、彼が嫌がるような場所は触らせていない。
これまで寝てきたどこの馬の骨ともわからない男たち相手だったら、嫌だとか汚いだとか言われても気にせずにくわえさせているところだ。でも嫌われたくないから、逃したくないから――羽多野なりに計算して、細心の注意を払って触れているのだ。
激しく腰を動かしながら、耳、こめかみ、首、鎖骨とやたらめったらキスをして、ときに噛みつく。出会ったときから気に食わなかった。仕事のミスの謝罪で頭を下げているにも関わらず、全身から悔しくて納得いかないというオーラがにじみ出ていた。立場の違いを利用してさんざん言うことを聞かせたが、悔しそうな顔をしながらも栄は決して本当の意味で屈することはなかった。
「まったく、どうすれば……」
本当にこの男を思いどおりにすることができるのだろう。抱きしめて体の奥まで征服して、あちこちに跡をつけて屈服させたつもりでいても、どうせ明日の朝には澄ました顔で毒を吐くのだ。
でも、こういう彼だからこそ――。
抱きしめる腕に力を込めて、羽多野は栄の耳に唇を押し付ける。
「……栄」
思わず名前を呼ぶと、驚いたように栄の体がすくむ。そして次の瞬間、これまでにない強さでぎゅっと根元を締め付けられて羽多野は堪え切れず達した。