ぞんぶんに泡をまとわせてはいたものの、肌からそれなりの量の毛が剃り取られる感触も伝わっていただろう。再び真っ青になった栄はまずは恐怖に体をおののかせると、それからまじまじと自身の下腹部を眺め――今度は怒りに震えた。
「何やってんだよ、この馬鹿っ!」
怒号と同時に、しゃがみこんだままの羽多野の髪をわしづかみにして頭を揺さぶる。殴る蹴るといった暴力に出ないのは酔わせておいたおかげというべきか。
「痛てて、髪引っ張るなよ。悪かったって」
「嘘だ、絶対わざとだろう! 悪かったってそんな軽く……ひどい……!」
体だけでなく声も震えている。
確かに我ながらひどいことをしていると思う。しかしこんな風に恥辱にまみれた顔を見せられれば、それだけで背筋がぞわぞわするほど興奮するのもまた事実。栄に出会った初めて知った自らの歪んだ性癖は、彼を知るほどにエスカレートするのを止められない。
「まあ、髪の毛剃っちゃったわけでもあるまいし。こんな場所、人に見せるわけじゃないんだから……」
羽多野は手で泡をぬぐいながら、たった今計算づくで奇妙なかたちに刈り込んだ栄の下腹部を眺めながら言い訳をした。
「だからって、もしジムの着替えのとき!」
「谷口くんの通ってるジムってそんな、互いに丸見えの状態で着替えるの?」
「しらばっくれるなよ。万が一そういうことがあるかもって、さっきあなたが言ったんでしょう!」
確かにそれはそうだ。栄とすれば、自身の処理が下手だと脅され羽多野に任せたところが、よりひどいトリミングを施されてしまったのだから裏切られた気持ちになるのも当然だった。
「まあ、確かにね。万が一の場合もあるし。わかったよ。だから責任とってここは――」
もともとあまり濃くはない陰毛がつるりと剃り落とされた場所を指の腹でくるくると撫でながら羽多野は思案げに首をかしげた。
これまで直に触れられることのなかった場所だけにくすぐったいのか、栄はくっと息を飲んで腰を引いた。萎えたままの性器がぴくりと震えるのはつまり、頭でいくら怒り狂っていたって、栄の体にはこの状況を性感に変える余地が十分あるということだ。狙いどおりの反応を目にして、羽多野の下腹部にも血流が集まりはじめる。
「とりあえず……全部剃っちゃおうか」
そう告げて、返事が聞こえるまではたっぷり数秒。
「――は?」
栄の手から力が抜けたおかげでわしづかみされた髪の毛が戻ってくる。感情に任せて「責任を取れ」などと言ってみたものの、本人はこの展開を想像していなかったのかもしれない。
「ぜ、全部……?」
羽多野はうなずく。
「ああ。右側だけ深く剃り込まれてたら変だけど、ハイジーナだったらこっちじゃ珍しくもない。誰もみっともないとは思わないだろう」
「は、ハ、ハイジーナって……」
「日本らしく言えば、パイパン」
この上なくわかりやすい単語を口にした瞬間、栄は猛烈な勢いで首を左右に振った。
「じょ、冗談じゃないです! そんな、全部剃るなんて……変態じみた真似、俺は絶対に嫌だ」
「ふうん、この状態とどっちが普通かは明白だと思うけどなあ」
栄の大好きな「普通」という単語を持ち出して羽多野はプレッシャーをかけた。この高慢な男が嫌がることや恥ずかしがることを受け入れさせることは羽多野にとっては無常の歓びだ。かといって暴力で無理やり従わせたいわけではなく、じりじりと追い詰めて、追い込んで、最後は合意を取り付けたい。
本気で傷つけたいのではなく、見たいのは栄本人が認めたがらない、理性の扉のその先にあるもの。この世で他の誰にも見せたことのない彼の一面を、自分だけのものにしたい――。
「……あ、あなた最初からこのつもりで」
疑わしげににらみつけてくる恋人に、羽多野はとっておきの作り笑いを返す。
「まさか。事故だよ。第一、君がグラスを倒さなければこうして風呂場にくることもなかっただろう」
そしてアンバランスに伸びた左側の隠毛を指先でくるくると弄びながら立ち上がると、栄の耳元に唇を寄せた。囁きは低く、とっておきに甘い。
「さあ、どうする? 谷口くん。このみっともない状態のままで数週間、生えそろうのを待つか、それとも誰に見られても恥ずかしくないように、さっぱり剃ってしまうか」
ごくり、と栄の喉が鳴る。彼なりに必死に考えを巡らせているのだろうが、今迫られている選択はお得意の勉強とも仕事ともかけ離れている。それどころかお上品で潔癖な栄にとっては最も苦手なジャンルと言っていい。
「……確認しておきたいんですけど、ほ、本当にこっちではそういうのが普通なんですね? 俺をからかってるんじゃなくて」
その言葉が自信なさげなのは栄が他の男の裸を見慣れていないからなのだろう。うぶな反応に羽多野は気を良くする。
「ああ、もちろん。特にスポーツやってる人は衛生面でもメリットが多いから、ジム通いするような奴は多くが処理してるんじゃないかな」
普通だとか、このままではみっともないだとか、栄の不安を駆り立てる言葉ばかりを吹き込んだ効果はあまりにわかりやすい。このパターンで何度も痛い目を見ているのに、性分というのは悲しいものだ。
しばし唇を噛んで思案した後で、栄は悔しそうにつぶやいた。
「わかりました。でも……」
あなたは信用ならないから自分で――そう言ってシェーバーを奪おうとしてくる栄の手の動きを羽多野はさらりとかわした。
「無理だよ。上の方だけならともかく、玉の裏の方とか自分じゃ見えないだろ。俺だって脱毛はサロンでやってもらったんだから。悪いこと言わないから、ここから先は任せなさい」
股の間の見えづらい場所に剃刀の刃を滑らせるなんて、ただでさえ気をつかうのに、足元をふらふらさせた酔っ払いには難易度が高すぎる。栄もそのことをわかっているのだろう、観念したように大きく息を吐いた。
「最低、最悪。本当、なんでこんな羽目に」
「文句は後でいくらでも聞くから、裾持ち上げておいて。あと、足滑らせないように気を付けろよ」
現実から目を背けるかのように両手を顔に持っていった栄だが、羽多野の言葉に応じて再びスウェットの裾をへその上まで持ち上げた。
さっき塗りたくった泡はすっかり流れてしまっているので羽多野は改めてボディソープを泡立てると下腹部からペニス、股の間までくまなく丁寧に塗りたくった。
「――っ……」
敏感な場所に触れられて栄の全身がおののく。緊張でぴくぴくと震えている腹筋の下で、少しだけ質量を増したペニスがふるりと首をもたげた。完全に勃起する前にまずは根本を覆う茂みから手をつけた方が良さそうだ。
しょり、しょり、と小さな音と同時に泡の中に少しずつ細かな毛束が落ちていく。シェーバーを通じて伝わってくる手応え――服や下着のもっと奥まで栄を裸にしていく実感に羽多野は酔いしれた。
「動くなよ。T字とはいえ変な角度で当たったら怪我する」
「……わかってるっ」
自ら恥ずかしい場所を晒して、他人に下半身の毛を剃らせている状況は耐えがたいのだろう、ぎゅっと閉じた目尻に悔しそうに涙がにじんでいるのがなんとも愛らしい。羽多野に思うようにあしらわれる屈辱――無防備な場所に刃物を当てられる緊張感――でもきっと、それだけではない。
「ほら、きれいになっていく。やっぱり谷口くんはここもきれいだから、全部見せるの似合ってるって」
「うるさい。変なこと言わずに黙ってやれよ、変態っ」
この状況でいやらしい言葉をかけられて、自分のペニスがどんどん角度をつけてきていることに気づいているのだろうか。羽多野は苦笑しながらも、なかなか見ることのできない栄の痴態を目に焼き付けながら、シェーバーを動かし続けた。